獣討つ彼女、木を植える彼

草上アケミ

彼女は美しい一匹狼

 今にして思えば、俺は彼女に一目惚れをしていたのだ。


 王都からやってきた、外地派遣師団の護衛部隊の増員の中に、彼女はいた。二十五人の新兵の中に紛れた、たった四人しかいない女性の一人だった。


 背中にかかる長さの黒檀の髪、夜のような深い色の瞳、育ちの良さをうかがわせる艶のある顔立ち――興味を惹かれない男などいないとさえ思わせる、美少女がリリルット・チャーコウル公爵令嬢だった。


 だが、そう思っていたのはどうやら俺だけだったようで、他の奴らはおおよそ生意気な女だと彼女を評していた。

 体つきは一人前だが、上背が男並みで可愛くない。貴族のお嬢様が従者も連れずにこんな僻地にとばされるなんて厄ネタに決まっている。

 部隊長たちは皆、彼女にいい顔をしなかった。


 それでも、新兵の中で一番男受けすることもあって、彼女を狙う輩は多かった。

 家の庇護が届かないのをいいことに、通り過ぎざまに彼女の尻を触った男がいた。次の瞬間、男の鼻が折れていた。

 お嬢様の腕っ節は男並みだという噂はすぐに広まり、彼女に下世話なちょっかいをかけようとする馬鹿な奴は減った。減っただけで、何人か無謀な挑戦者が前歯を折られていたが。


 彼女が過酷な戦場に派遣された理由は、初任務でつまびらかにされた。

 拠点を襲撃するモンスターの掃討任務。大体の新人の初任務にして、最大の関門だ。

 内容としては、拠点へのモンスターの侵入を阻止するだけの分かりやすい任務。新兵の配置は、最前線で突っ立っているだけ――最前線で突っ立ってモンスターを釣ることだけが要求される。


 地面に埋め込まれた鋼鉄の籠の中に銃を持たせた新兵を二、三人ずつ放り込み、モンスターへの注意をひかせる。籠の中央で身を寄せ合っていれば、まず死ぬようなことにはならない。

 ただ、人間を容易く八つ裂きにできるモンスターと至近距離で対面するわけなので、精神的にはかなりきつい。新兵の半数は使い物にならなくなって除隊するが、乗り越えればモンスターと正面から渡り合える一人前の兵士になる。

 拠点外での本番任務では最前線に立たない俺たち植樹部隊でも、避けては通れなかった外地の洗礼だ。


 見張りの情報から立てられた襲撃予測に合わせて、拠点周辺の鉄籠に新人が配置された。

 そのとき俺は、迎撃する護衛部隊の後方、拠点の安全な壁の中にいた。補給部隊の連中と一緒に、新兵の帰りの待ちながら洗濯していた。


 ふと、俺が新人だった二年前のことを思い出した。ろくな覚悟もないまま籠に入れられたときには、俺も現場で小便を漏らしかけたし、しばらく悪夢にうなされて眠れなかった。

 あの気の強そうなお嬢様も、さすがに一日くらいはへこむのではないか、と考えた。


 ――任務が終わった後、無事帰ってきた彼女は血塗れになっていた。

 三人分の銃と弾丸を総取りし、鉄籠の隙間からモンスターを撃ちまくっていたらしい。籠の隙間に鼻先をねじ込んできたモンスターを、銃床でぶん殴ったというおそろしい噂も聞いた。

 震える同期を尻目に五頭討伐を成し遂げ、一人鼻歌を歌いながらリリルットお嬢様は帰還した。


 後に貴族出身の奴から小耳に挟んだところ、チャーコウル家というのは軍需産業の大手とのことだった。親類筋が対モンスター弾用にモンスターの養殖業まで行っているらしい。

 とんだキワモノお嬢様だったということだ。


 それから彼女は当然のように部隊に居座っていた。

 通例通り、使い物にならなくなってしまった新兵は半数ほど。残る半数も暗い表情でやつれていたが、彼女だけはベテラン顔負けの態度でけろりとしていた。

 あまりの人間離れした胆力に、言い寄る男は幸か不幸かいなくなった。


 部隊が違うせいで直接その勇姿を拝む機会は少なかったが、護衛部隊の演習ではかなり活躍しているという噂はよく流れてきた。

 一月ほど経ってから、ようやく彼女の属する護衛部隊との合同任務があった。

 人工林の手入れのため、俺たち植樹部隊と共に拠点から離れたときは、浮つきがちな新兵の中で一人落ち着いているのが目をひいた。


 その日の俺たちの仕事は、人工林の下草刈りだった。

 植樹部隊はモンスターが嫌う樹木を育てるのが役目だ。代々の部隊が何十年もかけて外地の荒野を森に変え、人々が安心して暮らせる土地を増やしている。育ちきった森はいずれ開拓されて肥沃な農地になり、新しい国土も増える。

 未来を確実によいものに変えるこの仕事を、俺たちは誇りに思っている。


 護衛部隊は作業中の植樹部隊がモンスターに襲われないよう、道中と森の近辺を警備するのが主な仕事だ。

 今回も、いつも通り護衛部隊は森の周囲を手分けして警戒していた。もしモンスターが現れれば、警笛ですぐに全体に知らせる手筈になっている。おかげで、今回も余計な気を張らずに作業に没頭できた。


 だから、彼女が声をかけてきたのに最初気づかなかった。


「あの、聞いてますー?」

 少し苛立った少女の声に、手を止めて顔を上げた。

 森と荒野の境目に彼女が立っていた。長い黒髪をスカーフでまとめ、他の兵士と同じく灰色の軍服を着た後ろ姿は、間違いなく彼女だった。


「ああ、すまない。何かあったのか」

 作業によるものか、冷や汗なのか判断がつかない水滴が首筋をつたって落ちた。

「さっき、私のこと見てませんでしたか、先輩」

 彼女は森の外に顔を、身体を向けたまま言った。肩に大きなライフルを吊り下げた彼女は、既に一人前の兵士だった。


「初任務で大活躍だったって、噂になってたから」

「周りが腰抜けすぎるだけです。私、十二からモンスター狩ってますから」

 当然とばかりに彼女は言った。


「モンスターが怖くないのか」

「慣れです。怖いから立ち向かわず死ぬとか、馬鹿じゃないですか」

 言った後で、彼女の肩が軽くはねた。さすがに不敬にあたると思ったのだろう。


「勇敢だな、俺にはできない」

 俺は咎めずに、作業を再開した。

「……すみません、言い過ぎました」

「こんな部隊に所属しているんだ。今更腰抜け呼ばわりされたところで慣れてるさ」


 植樹部隊は目に見える成果がすぐに現れない。討伐したモンスターを定期的に国に送る討伐部隊や護衛部隊の影に隠れて評価が小さくなりがちだ。新人の何人かは、俺たちを軽く見ていた。

 まあ、百日も生き残っていれば、そんな考えはなくなってしまうが。


 したがって、彼女がそう考えているのは新人の中でよくあることだ。ちょっとがっかりしてしまったが、本当によくあることだ。

 だが、俺の言葉を聞いた彼女は振り向いた。話しながらも任務を忠実にこなしていた彼女は、きょとんとした顔で振り向いた。


「何言ってるんです? 私が言っているのはこの前国に帰った連中のことで、先輩たちを貶すわけないじゃないですか」

 彼女ははっきりと言った。

「私は戦う人のこと、みんな尊敬してますよ?」

 戦場に立つには不釣り合いな可愛い顔で、彼女は言い切った。


 彼女の言葉は真っ直ぐで、辛辣で、敬意があった。

 俺の抱いた第一印象は間違っていなかったと、心の中でほっとした。


 ただ、彼女の態度は誤解を招きそうだとも思った。

 残念ながらそれは当たりで、だんだん彼女の周りからは人がいなくなっていった。


 誰かが倒れても、振り返って心配などしない。討伐で犠牲者が出ても、涙を一筋流して忘れる。

 常に前だけを見て、いかに効率よくモンスターを倒せるかで行動を決める冷血女。死者を悼まない成果主義者。家から追い出された、どうしようもない戦闘狂――本人が否定しないこともあって、陰口が広まるのは早かった。

 俺の前で話題に上ったときにはそれとなくフォローしてはいたが、所詮は部隊が違うのであまり効果はなかった。


 そんな悪評などお構いなしに、俺は任務の最中に彼女によく挨拶した。

「今日もよろしく頼むな、チャーコウル」

「先輩こそ、お仕事頑張ってくださいね」

 彼女はいつでも律儀に返事をくれた。作業後の泥と堆肥と汗にまみれた格好で近づいても、嫌な顔を見せなかった。

 機嫌がよいとき――それは大抵、モンスターを仕留める機会があったときだったが――は、微笑みを返してくれることもあった。思わず顔に泥をなすりつけて冷やしていると、同僚に変な顔で見られた。


 いつの間にか、任務中に言葉を交わすことが当たり前になった。

 勿論、モンスターに警戒しながらなので長時間じっくり話すことはできない。それでも、回数を重ねることでだんだん彼女のことが分かってきた。


 公爵家の末っ子の四女で、兄も二人いること。親類のメーラン家で、銃の扱い方を十歳の頃から学んでいたこと。十四歳でモンスターを初めて単独討伐したこと。

 家庭教師から数学の出来がよいと褒められていたこと。甘いお菓子が大好きなこと。流行りのドレスや装飾品にそれなりに興味があること。外地にやってきたのは、不毛なお見合いから逃げるためだったこと。


「私の方が力持ちだって分かった途端、みんな変な顔するんですよ。酷くないですか?」

「うーん、男として気持ちは分からんでもないというか……」

「後、結婚してもせめて鴨撃ちくらいしたいって言ったら、大体取り下げられちゃうんです」

「貴族らしく、家でじっとしているっていう選択肢はないのか」

「え、無理に決まっているじゃないですか」


 俺が思い描く貴婦人の振る舞いは、彼女には無理なようだった。

 彼女の口調も、最低限の敬意を残して砕けきってしまっていた。最初から敬語は崩れかけだったような気がしないでもない。


 その話題がきっかけで、結婚がー、恋がー、と愚痴を言う回数が増えた。そのあたりは年頃の女の子らしいのだが、女友達にするような話を全部こっちに振ってくるのは勘弁してほしかった。


「あー、男だったらこんなに悩まなくてよかったのに。優良物件じゃないですか、私。男だったら」

 いつになく弱気な発言だった。半年以上も一緒にいて、ガードが少し緩んでいたのかもしれない。

「……俺としては、チャーコウルが女でよかったよ」

「なんでですか」


 乾いた喉を、飲み込んだ唾で湿らせてから口を開いた。

「男だったら、あっという間に昇進して仲良くなる機会なんてできなかっただろうし。それに――」

 道具袋の中に隠していた袋を取り出した。さらに袋の口を開けて、中のものを彼女に差し出す。

 作業以外の物音に、それまでずっと目視で警戒を続けていた彼女もちらりと視線を向けた。


「こういうものが似合うのは女の子だからだろ」

 白い花が散りばめられたドライフラワーの花輪だった。

 彼女は目を見開いた。戦場に不釣り合いなものに、釘付けになっていた。


「先輩、それって……」

「そこらへんに生えてるのを使って作ったんだ。可愛いもの、好きなんだろ」

 彼女の好みを知ってから、こつこつと材料を集めて作っていた。花はシミができていたり、欠けていたりと、お世辞にも上出来とはいえない代物だった。


 しかし、俺の気持ちはこれで伝わる筈だ。伝わってくれ。


「……先輩、平民出身でしたよね。未婚の貴族の女性に花を贈る意味って、知ってます?」

「知ってるから、渡したいんだ」

 言ってから、首から上が熱くなった。彼女の顔も僅かに上気して見えた。


「私がうるさかったからって、同情ですか」

「違う、断じて違う。俺は、チャーコウル――いや、リリルット・チャーコウル、君のことが」

「ちょっと! この場でこれ以上言ったらぶっ飛ばすから先輩っ!」

 俺の手から花輪をもぎ取り、彼女が遮った。


「敵地のど真ん中で頭の中お花畑とか、本気で死にたいのっ!? そういうのは後で、後でっ!」

 顔を真っ赤にして彼女が怒鳴った。

「はい、私は受け取った! だから後はもうちょっといい雰囲気のときで!」

 勢いよくまくしたてる彼女から花輪を突き返された。空気にのまれて、頷くことしかできなかった。


 任務の後、拠点に戻ってから改めて彼女に花輪を渡した。今度はきちんと受け取ってくれた。いい雰囲気にできたかどうかは、正直、自信がない。

 その場面を植樹部隊の同僚に目撃され、三日は代わる代わる質問攻めにされた。


 彼女――リンも、護衛部隊の間で話題になったらしい。

 これを機に、リンのとっつきにくさがマシになって、部隊の中で孤立しなければいいなと思った。

 数日後、潰れた鼻をおさえながら医療班に駆け込んでいく奴を目撃した。リンに下品な冗談をとばしたらしい。護衛部隊の中で笑い話になっていた。ざまあみろ。


 それからは、特に何もなかった。正しくは、何もないように浮つく心を抑えるのに必死だった。

 浮ついて油断すれば、任務の最中に死ぬ。だから、任務中は無心でスコップや鎌を振るったし、リンとも話し込まないように気をつけて日常を続けた。

 ただ一つ、変わったことがあった。俺が挨拶したら、リンは必ず笑顔で返すようになった。


 季節は、植樹部隊にとって一番厳しい時期に変わりつつあった。

 虫も病気も息を潜め始める冬の始めが、木を植えて人工林を広げられる僅かな期間だ。当然、その間は任務の回数が増える上に、大きな若木を丁寧に運ぶために苦労が多い。


 モンスターの嫌うにおいが薄い若木は、草食モンスターが狙うこともあって、道中も普段以上に気が抜けない。

 護衛部隊が築いた防衛陣地の中に若木を運び込むまでに、モンスターの襲撃で死にそうな目にあうことも何回か経験した。

 もちろん、いつもと同じように、帰り道でモンスターが襲ってくることもある。


 だから、これは、十分よくあることだ。

 護衛部隊の弾幕を突き抜けて、鹿によく似たモンスターが植樹部隊に突っ込んでくることも。

 踏み潰されそうになった仲間を庇った誰かが、代わりに踏み潰されることも。踏み潰された奴が致命傷を負うことも。


 ――それがたまたま、俺だっただけで。


「先輩、しっかりしてください!」

 暗くなっていく視界の中、銃を捨てて駆け寄ってくるリンの姿が見えた。

 リンは俺に肩を貸して立ち上がらせようとした。細い女性らしい身体で、特によろめくこともなく俺を支えた。

 全く、情けなくなってくるぐらい頼もしい。


「先輩、まだ生きてますよね!」

「……ああ」

「生きていてくださいよ。私、死体に敬語使う趣味ないんで!」

「……そう、だったな」


 話している間にも、目の前はどんどん暗くなっていった。もうリンの後ろ姿も見えない。ああ、黒い髪だから、こうも暗いと見えづらいのも当たり前か。

 彼女の歩みに合わせて足を動かしているつもりだが、感覚が麻痺して本当に動いているのか分からない。


「拠点まで近いんです、それまで死なないでください」

「……ああ」

 リンの声が聞こえる。俺の身体を支えている暖かさを感じる。冬はこれからだというのに、酷く寒い。


「お願いだから、息を止めないで」

「…………ああ」

 口が寒さで回らなくなってきた。

 寒くて、暗くて、怖い。このままいなくなったら、君は、リンは、俺を嫌うだろう。絶対に嫌われたくない。


 嫌だ、君に嫌われるのだけは、嫌だ。

 ずっと君の好きなままの、俺でいたい。

 お願いだ、俺を嫌わないでくれ。君を好きな俺を、どうか――


「先輩、頑張って……先輩? オスマン?」


  ◆ ◆ ◆


 私が放り捨てた先輩の死体は、すぐに別の隊員が回収した。その件で、また隊長から叱責された。

 でも、私が面倒を見るのは生きている先輩に対してで、死んでしまった先輩を運ぶなんて約束はしていないのだ。そういうところをちゃんと先輩は分かっていてくれると思った。


 先輩はその日の夕方に火葬されることになった。持ち帰ることができた死体は、疫病を防ぐためにもすぐに骨に返される。

 先輩の部隊が貯めていた間伐材で大きな焚き火を作り、その上に先輩の死体がのせられた。

 血塗れの制服を着たまま、青ざめた顔の先輩は目を閉じていた。そういえば、任務でしか会う機会がなかったから、先輩の寝顔を見たことなかったな。


 仄暗い空の下、焚き火の勢いは増していった。

 鼻に肉の焼けるいやなにおいが届いた。煙で目が痛いし、何故か口の中がしょっぱかった。


「庇って自分が死ぬとか、馬鹿じゃないの、先輩」

 先輩は炎にすっかり包まれてしまっていた。煙でもう顔も見えなくなった。

 握りしめた手に、花輪の枝が食い込んだ。


 捨てようと思って持ってきたのに、なかなか花輪を火の中に放り込めなかった。先輩のくせに、こんなに可愛いもの作りやがって、捨てるのがもったいない。

 違う、もっと可愛いのを自分で作ってやるんだから、全然もったいなくない。

 そう決意して、炎の中に振りかぶった。かたく瞑った瞼の向こうで、花輪が落ちる軽い音が聞こえた。


 目をそっと開くと、花輪は燃えていた。よく乾燥した花は、あっという間に燃え尽きていった。


 肩が震えたのは、悔しかったからだ。すぐに死んでしまうような弱い男に間違えて入れ込んでしまった自分が悔しくて仕方がないからだ。

 こんな悔しい思いはもう十分だ。他人を庇って死ぬような弱い奴を、好きになってたまるものか。


 だから、これは悔し涙で、悲しいわけじゃない。

 この涙が涸れたら、この気持ちもなくなる筈だから。また前を向けるから。


 明日も私はモンスターと戦わないといけないのだ。この程度で立ち止まってたまるか。

 立ち止まったら、先輩が好きだった私じゃなくなるから。



 次に恋するなら、誰かを庇った程度で死なない人がいい。

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