『ニセモノの霊媒師』

pocket12 / ポケット12

第一話 トウガラシよりも辛い厳しさ

 実際のところ僕は幽霊ゆうれいの存在を信じているわけじゃない。


 そりゃあいたら面白いとは思うけれど、それはやっぱり空想上の存在で、現実にいると主張するには僕の心は大人になり過ぎていた。


 第一、もしも本当に幽霊が存在するとしたら、この世界はすでにたくさんの幽霊で埋め尽くされていることになる。目に見えないだけで、僕らは幽霊で満たされたプールの中を泳ぎながら生きているというわけだ。まったくゾッとする世界である。


 だから僕が職業に霊媒師れいばいしを選んだことに特別な理由は何もなかった。割りの良いバイト感覚の、言ってみればただの偶然で、長続きするとも思っていなかった。もっと良い職が見つかるまでの繋ぎとして一年か二年、長くても三年やれれば良いというくらいに考えていた。


 けれどどういうわけか、結局はこの歳になるまで僕は霊媒師として働き続けている。


 不思議なものだ。あるいは人生とはそういうものなのかもしれない。思い通りに進むことがなく、何が最善の道になるのかもわからない。人間万事塞翁さいおうが馬とは、なるほど、むかしの人はよく言ったものだった。


 僕のこれまでの人生をひとことで表すとしたら、それは風のまにまにただようヤナギのようなモノだった。


 ヤナギの葉が風に決して逆らうことなく静かに揺らめいているように、僕も人生で起きたいろいろなことを受け流してきた。


 両親の死や、親戚という名の他人との生活、それに付随ふずいした少しばかりのいじめ。そのどれもが簡単なことではなかったけれど、僕は水のような心を持ってやり過ごしてきた。ただ静かに、従順じゅうじゅんな子どものふりをして。


 それが良いことなのか悪いことなのかは知らないけれど、とにかく僕はそういう生き方を選んできた。両親が死んでから高校を卒業するまでの七年間。波風を立てることなく、自分を殺した八方はっぽう美人な少年として生きてきた。


 だけど間違っているとは思わない。そうすることが最も信頼できる味方を失った子どもが生きていくために取れる最善の方法だったと僕は今でも信じている。


 幸いにして大学に進学後は一人暮らしをすることになったから、他人の顔色をうかがいながら振る舞う必要はそれっきりなくなっていった。


 あるいはそうした反動だったのかもしれないが、大学を二度留年して卒業した後、僕はふらふらと生きてきた。定職につかず、日雇いバイトで食い繋ぎ、宿はいつもその日に適当に決めるという、あてのない荒野こうやを歩く遊牧民のような生活を送ってきた。


 当然将来にそなえての貯金なんてあるはずもなく、大学を卒業するまでに遺産も使い切っていたから、学生の頃に三万四千円で買ったロードバイクだけがその頃の僕が持つ唯一の資産と呼べるものだった。


 僕はそのロードバイクに乗って色々な場所を転々とした。北海道から九州、沖縄まで、時には船に乗って無人島へと行くこともあった。そしてそれらの場所でロードバイクに乗りながら、僕は多くのことを考えた。整備された道を走るときは人間の歴史の歩みについてを考え、整備されていないケモノ道では自然の変遷の規則性についてを考えた。


 風に包まれながら考えるという行為は僕を情緒じょうちょあふれる詩人にさせていた。行く先々で僕は本当に多くのことを考え、人間の生きる世界と自然の生きる世界との違いをおぼろげな心でとらえていった。


 多くのひとはそんな僕をみて変わり者だと言うかもしれないが、少なくともその時分じぶんの僕にとっては、そうすることが海外に自分探しの旅に出るよりもはるかに有益なことのように思えたのだ。そして実際、僕は今でもこの時のことをよく思い出す。スコールの後の潮風しおかぜの柔らかさやよく晴れた日のアスファルトの匂い、もう失われてしまった星の輝きなどなど。どれもがただ漠然ばくぜんとした日常を送るだけでは得難えがたい貴重な経験で、今の僕という人間に多大な影響を与えてきたモノだった。


 あるいはその頃の僕が今の僕を見たら失望の感情を抱くかもしれないが、とにかく僕の二十代はそうしているうちに過ぎていった。


 二十九歳になった頃、僕はそろそろ身を落ち着けることを考えていた。いつまでも根無しぐさな生活を送ることに限界が見え始めていたのだ。


 だんだんと気力も体力も衰えてきて、このままではいずれ何をするにしても億劫おっくうになる。もう若者ではなくなったという実感がヘビのようなとぐろを巻きながら僕を襲っていた。


 僕は安定した生活を送るために職を探すことにした。洋服店でスーツとくつを買い、それから美容室で散髪をし、床屋でひげった。ロードバイクで大地をける山犬やまいぬ然とした姿から、すっきりとしたサラリーマン風の見た目に変貌した僕はさぞ真面目な好青年に見えていたことだろう。


 僕自身これまでとは全く異なる新たな環境に身を置くということに興奮していたし、また楽しみでもあった。いったい今度はどんな景色が目の前に広がっていくのだろうか。


 しかしどんなに身だしなみをととのえたところで、二十九歳にもなってまともな職歴のない人間を雇ってくれる場所なんてそう簡単に見つかるはずもなかった。何社かの面接を受けたけれど、面接官として僕の前に現れた人間たちは決まってカメと話すウサギのような薄ら笑いを浮かべながら僕を見ていた。まるで目の前にいる人間を認識できないという目で。


 おそらく彼らの住む世界の常識では、二十九歳の人間が一度もまともに働いたことがないというのはあり得なかったのだろう。


 彼らがはっするあきらかな冷笑れいしょう憐憫れんびんの混じった視線の中で、次第に僕は失望し、彼らのようなヒトの住む環境に期待を持つことができなくなっていった。


 もちろん僕自身にも問題があったことは認める。定職につき、安定した生活を送ることを決意していたわけだけど、しかし積極的に探そうという熱心さは持ち合わせていなかったのだ。特に働きたい場所があるわけでもなく、特に叶えたい夢があるわけでもなかった。


 的な言い方をするなら、風に導かれるままにたどり着いた先で生活できればなんでも良かった。


 そしてそういう考えが透けて見えていたからこそ、彼らは僕に対してさげすみとあわれみのこもった態度で接していたのだろう、と今では反省もしている。


 だから結局のところそんな僕の選択はただの行き当たりばったりの衝動で、世間を知らない子どもが取るような行動に過ぎなかった。


 それでも、あるいは僕らの生きるこの世界がハチミツのような甘い優しさに包まれていたとしたら、僕の職探しも簡単に終わったのかもしれない。行き場のなくした子どもを温かく迎え入れてくれるような優しさに満ちた世界だったなら。


 でも実際には僕の両親が僕の成人を待たずして死んだという事実からわかるように、この世界はトウガラシよりもからい厳しさで構成されていた。自然の世界とは違い、ヒトの善意を食い尽くし、不幸のミツを待ち望んでいるような世界。


 そんな世界でより良く生きていくためには多くの犠牲が必要だった。そしてそれらの犠牲を払った者にだけ世界は慈悲じひ深い微笑ほほえみを与え、払わなかった者たちには未来永劫えいごう解けないかせを与える。間違っても世界の美しさを感じている余裕なんてそこにはない。


 それが我々の生きるこの世界の真理だった。


 僕は焼きこがれるような苛立いらだちと、少しの恐怖心から、それでも職を探し続けた。あるいは登山の帰りに、あるいは交通整理の帰りに僕は求人情報誌に載っている会社に電話をかけた。だけどもちろん結果はかんばしくなかった。へだたれたおりからの叫びは誰の耳に届くこともなく、吐き捨てるような犠牲の中へと埋没まいぼつしていった。


 それからの数年間、僕はまた一年の大半を日雇いバイトで食いつなぐロードバイク乗りとして過ごし、時折思い出したかのように求人誌を見ては電話をかけるという日々を続けていた。すえの見通せない、不透明な瓶の中にいるような日々を。


 そんなある日のことだった。ふらりと立ち寄った神社で霊媒師募集のチラシを見かけたのは。


 どうやら定年間近の霊媒師が後継者を探しているらしかった。

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