発端と結末


神崎黛大佐は軍歴的にはあまり良い軍人とは言えないかもしれない。彼は戦後、国防軍から防衛軍に改変される際に予備役へと強制的に編入され、そして退役した軍人であるからだ。

 予備役であれば暫くは恩給などで一般的な生活も営めるが、彼には恩給が支給されたという確かな記録はない。

 私がこの軍人を知るに至ったかについては、先の大戦でローグ帝国から迫害されて虐殺されたドルキ人達が戦後に建国したドルキ共和国の軍人からこの軍人の人探しを頼まれたからであった。

 

 取材のためにドルキ共和国を訪れた私が、街の美しさや人々の勤勉さに触れて充実した取材を終え、その疲れを癒すためにパブへと入った時のことだった。最初の一杯のエールをグッと飲みグラスを開けたところで、奥でリラックスして飲んでいたドルキ軍の連中から、星をつけた将官クラスの軍人が1人で私の隣へと座った。私が公宮国の人間かどうかを短いながら独特の言い回しのあるドルキ語で確認され、辿々しいドルキ語でそれを返答したところ、妙に流暢な公国語で彼が話しかけてきたのであった。

 

「君がマスコミの関係者ならお願いしたいことがある。君らの海軍にいた神崎大佐を探してほしい、私からも貴国に対してなども要請をしているのだが、該当者なし の連絡を寄越すばかりだ。私たちの同胞を救ってくれた彼にお礼がしたい」


 そう言ってエールを飲んだ彼はガラスコップを悔しそうに荒々しく机の上に置いた。


「神崎大佐ですか?」


 私は戦中に有名になった軍人をある程度は諳んじることができるが、その記憶の中にも神崎という名前は見当たらなかった。


「ああ、神崎大佐だ」

 

 そう言ってポケットからドルキ軍の軍務手帳を取り出すと、そこに挟まれていた一枚の紙を取り出した。それは凄まじいほどに痛んでいる紙だったが、しっかりとした上質な和紙わがみであった。和紙は公宮国では伝統的に公文書に利用される特別な紙であり、軍が使用したそれは特に丈夫で上質なことで知られていた。


「和紙ですね・・・」


「ああ、これがあったおかけで私は生き延びることができたんだ」


彼はその紙を愛おしそうに眺めながら、擦り切れそうなほどの和紙の一部に記載されていた文字を指差した。そこには達筆な署名と共にスタンプで次のように記されていた。

 

[公宮国ローグ帝国派遣艦隊より要請及び依頼、この軍務査証をもつ一家に対しては公宮国軍が保護を約束した者達である。軍及び官民に対して最大限の援助と支援を要請する。

 公宮国国防総司令部ローグ帝国派遣艦隊・リドルア自治区派遣航空戦艦 真心 艦長 神崎 大佐 」


 軍務査証と言うのは軍が保護したことを認定した避難民に対して発行される査証であり、それを受けた者は軍の責任において何があっても守ることを確約したものだ。


「真心ですか・・・・あの骨董品か・・・」


 私は顔を顰めながらそう言った。多分、公宮国国民なら航空戦艦「真心」と聞けばこうなることが多いだろう。

 真心というのは、先の対戦時に最後まで出撃をすることなく終戦を迎えた不動の(役立たず)と言われた航空戦艦である。国内に留め置かれ続け、一説には戦闘参加を拒否したのではないかと噂されたほどの航空戦艦だ。だが、戦後も軍籍に残り続け数十年が経過した今となっても就役扱いとされている。だが、今もまだ訓練以外は港で停泊しているだけで目立った動きを取ることはない。

 一部の政治家や軍人は「骨董品=役立たず」と揶揄して、我々マスコミもそんな予算をドブに捨てるような軍艦に対して廃艦の記事を掲載して廃艦運動に一役買っていた。


「骨董品というべきでない!」


 将官はそう怒鳴り声をあげると怒りの視線で私を睨みつけた。

 その姿はまるで家族以上に大切なものを傷つけられたとでも言いたげなほどに物凄い剣幕で、しっかりと握りしめられた握り拳には血管が浮かび、目にはうっすらと悔し涙が浮かんでいた。


「君らの国が隠すというなら、私が教えてやる! 勇気ある英断がどのようになされたのかを!」

 

 そして彼の口から聞かされた話は、公宮国が戦争で行なったある種の美談に等しく、だが、軍人としては絶対に許されざることだった。


 ローグ帝国の皇帝が突然崩御された帝国は(以降は帝国と表記する)国内情勢が著しく不安定と化した。

 強大な帝国が足元から揺らいでいる事態は世界が想像することができないほどの事態であったが、数ヶ月して宰相の地位にあったテーラー卿が主だった貴族と共に当時4才であった幼帝を擁立して国内を安定させようとまとめ上げ始めたが、その纏め方については人類史上最低の行為であったと言わざるを得ない。

 特別親衛隊と呼ばれる軍団がテーラーの下に組織され、その組織は国軍や騎士団よりも上位の地位に置かれた。黒を基調とする軍団服を纏った連中が帝国中を闊歩する姿はとても滑稽であり、最初は軍隊の真似事をする連中がと嘲笑っていた帝国民たちも、しばらくしてガドル領民虐殺事件という世紀の大事件を経て彼らがお遊びでない殺人集団であることを知ったのだった。

 ガドル領主のガドル卿が公然とテーラー卿の目に余る行動を批判したのだが、その結果はテーラー宰相の命令の下で親衛隊が行った「虐殺」へと繋がった。黒服親衛隊が街の中心部に数十台のトラックで乗り付けると、軍用小銃や機関銃、果ては対航空機用の機関砲まで持ち出して、訝しげに見ていた人々に対して無差別に発泡を始めたのだった。老若男女を問わず乳飲み子を抱えた母親から、恐怖のあまり身動きを取ることが叶わない老人から幼児に至るまで、分け隔てなく殺害してゆく姿が写真で帝国中に知れ渡ったと同時に世界は帝国が危険な方向へと向かっていることを理解した。

 これ以降の帝国は悲惨を極めたと言って良い。

 親衛隊が至る所でテーラー反対派の虐殺を始めると同時に、帝国内にあった自治州の州民への迫害も始まった。迫害などという生やさしい言葉では到底足らない、いや、彼らの犯罪が明らかになった今となっては根絶やしという言葉が正しいだろう。帝国中に暴力の暴風が吹き荒れ始めると、帝国に住む各国の国民にも少なからず被害が出始めた。路上を買い物のために歩いていた一家が何者かに襲われて殺害されたり、男女問わずに犯されたりなど犯罪と言う行為が横行し始めれば各国も救援について本格的に思案しなければならなくなった。帝国政府に再三要請を行っても、そのような事実は感知していないという誤魔化しばかりに、各国はついに避難船を手配する運びとなったが、或る国が派遣した一隻が港に停泊中に帝国政府に言わせれば誤ってということらしいが親衛隊から攻撃を受けた。一般船籍の避難船までが攻撃を受けた事態に各国は驚愕したことはいうまでも無く、その後の救援には各国の軍艦が48時間という制限付きで救援艦として各国の在外公館のある港へと入る運びとなった。

 

 この時の編成を任されたのが武官連絡室である。もともと、各国の大使館の駐在武官を管理していた彼らには、情報が入り易く、また、軍事作戦ではない、一つ間違えば帝国との国際問題、救援という国内問題という重大な問題を抱えることになる救出作戦に、総司令部参謀も3局の主だった長も及び腰になり、結局、この武官連絡室で総指揮をする羽目になったのだ。

 当時の室長で退役大将の美鈴さんに言わせれば、「一歩間違えば、俺の首と数人の室員の首が物理的に無くなったわね」と片手で首を切り落とす仕草をしながら笑っていた。

 

 そして、帝国のガドル領の隣にあったリドルア自治区へ派遣されることになったのが、航空戦艦の真心であった。古来の艦名法を逸脱し、今上陛下のお生まれになったことを祝福して命名された名前を持つこの艦は、この作戦の参加をもって以降を運命付けられたに等しい。リドルア自治区はドルキ人が多く住む地域であったが、公宮国がその事を理由に犯罪多発地域であると帝国政府に対して陸戦隊の派遣を認めさせたおかげで比較的安定した地域であった。公宮国陸戦隊は大隊規模で派兵されており、到底、陸戦隊と呼べる規模ではなかったが、公宮国政府はそれを陸戦隊と言って押し切った。一説には彼の地から伸びる大陸鉄道のストローフ共和国へのドルキ人の避難列車を円滑に出すために協力していたのではないかという噂もある。

 

 話がずれてしまったが、真心は救援派遣命令を受けて、リドルア自治区へと派遣された。


 ところがである。出航して太平海という大海原を横切って向かっている最中に真心は機関故障を起こしてしまい、現地到着が遅れることになってしまった。そして、救援を待つ国民が隣のガールデル国の空母で救援されたのは周知の事実だろう。現地に到着した頃には24時間を切っており、数人の外交官を乗せて本国に帰還したという記録が残っているが、これをこの酒場で出会った将校、ドルキ軍情報部のトガル大将が陸戦隊の一説は事実であると断言した。


 真相は下記の通りであっただろうと推測される、ということだけは付け加えておく。ただ、ガールデル国の通信記録とその後の現地ので行動が、この推測を実測に至らしめる事実であることも記しておく。そして、この秘匿情報を神崎大佐の御意志を無視してまで語ってくださった美鈴大将と 真心 乗員に対してこの場を借りてお礼を申し上げたい。


 出航して数時間後のことだった。順調に航海を続けていた真心の艦橋に伝令が息を切らして現れた。敬礼もそこそこに副艦長のスロフ中佐へとそのメモが渡されると、美しいスロフ中佐の顔が苦虫を噛み潰したように歪んだ。


「艦長、武官連絡室から暗号電です」


 紫色の和紙が差し出されるとそれを身長の低い青年将校が受け取った。軍入隊ギリギリの身長であるため、艦の中では1番身長が低かったが、筋骨隆々であり、その背中には自信が漲っているように見える。スキンヘッドに軍帽、そして海軍の白の詰襟制服、所謂、第一種軍装に微妙な長軍靴を履いている。お公家のような愛嬌のある顔立ちに艦内では「ぼっちゃん」と暗喩されていた。

 

「へぇ、暗号電ね・・・」


 神崎はメモを受け取ると伝令を睨んだ。その睨みに凄みはなく伝令もその場で姿勢を正して返答を待つ体勢を取る。


「スロフさん、どう考える?」


 神崎は部下を呼ぶ時に階級ではなく「さん」をつけることが多かった。階級がつくときは殆どが説教の時だけであった。


「これについては、小官は口出しできません・・・。こんなこと前代未聞です・・・」


 武官連絡室からの連絡は紫色の和紙であるから一級特秘の扱いであり下記の内容であった。

 

『リドルア自治領の陸戦隊より連絡あり、鉄道にて事故が発生し現在復旧中。事故ではなく親衛隊協力者による破壊工作と思われる。食料、医薬品などの支援物資が不足中、乳幼児や就学前児童などを伴った家族が多く、輸送鉄道が少ない現状では本数が限られるため越境は困難と思われる。救援艦にて救出が可能か?』

 早い話が真心に乗せて連れて行けということである。


「こんなこと、外務省の担当だよねぇ」


 ため息をついた神崎がスロフを見た。スロフもまた同じようにため息をついた。


「ええ、間違いなく外務省の対応となるはずですが・・・。現場に丸投げしてきたのでしょう。ここで我々が断れれば済む話と考えたのではないでしょうか?」


「だろうねぇ、厄介ごとだもんね・・・」


 顔を顰めた神崎であったが、何かを思いついたように笑みを見せると、同じ艦橋内の航海長のマツバ少佐の元へと走った。


「マツバさん、付近に友軍の輸送艦と空母はいる?」


「付近にですか?」


「そう、付近に」


 年配のマツバが海図を広げて付近の艦船を探し出すと、大型輸送艦の「くじら」と空母「洋々」が近海にて災害時の補給訓練を行なっている最中であることが判明した。


「ありがと。航海長進路変更、訓練中の くじら と 洋々 と合流する」


「は?」


 聞き間違いかと言うようにマツバが声を上げた。


「命令通りに、2回は言わないよ」


「了解、進路変更します」


「よろしく。伝令、訓練中の指揮官に暗号電で至急連絡取りたい旨を伝えてください」


「了解しました」


 敬礼を向けた伝令が再び艦橋を走り抜けると通信室へと直通の階段を下っていった。


「スロフさん。悪いけど、私は救援任務を行うよ。それがどの国民であろうとだ」


 公家顔には決意が激っていた。スロフはその表情をまじまじとみてからため息をついた。


「艦長・・・。いいですよ。どうせ、大学からの腐れ縁ですからね」


 彼らは卒業年次が同じで大学時代から仲が良い、男女の関係には発展しなかったが、それでも互いが背中を預けられるほどに信頼できる間柄であった。


「ありがとう」


 そう言って神崎はスロフへ礼を述べるとその背中に決断の重さを抱えながら艦長室へと向かって行った。


 その後、真心は機関故障という報告を武官連絡室へ連絡した。もちろん、救援についての作戦は記載されておらず、ただ一文、『博愛精神のもと宣誓を忘れず』と記載されていた。

 その文面を受け取った美鈴が武官連絡室の室長席でその紙に向かって深々と頭を下げたのは言うまでもない。それは外務省の尻拭いを、総司令部の尻拭いを神崎はやってのけると言ったに等しい行為であった。武官連絡室は直ちに機関故障の報を外務省に入れて軍艦の派遣が遅れることを通達した。

 国内では支援が間に合わないことに糾弾の声があがったが、武官連絡室は耐え忍んで聞き続けた。それが美鈴ができる神崎への恩返しでもあったのだ。総司令部内でも神崎の責任を糾弾する声があったが今更、呼び戻す訳にもいかず、帰還後に査問会を開くことで各部署は意見の一致を見た。もちろん、各部署ともに本当の意味での作戦すら知らされていないというのに。


 くじらから、救援支援物資を艦載機収納スペースへと押し込むと、最新鋭艦載機「真雷しんらい」を全て空母「洋々」へと移動させ艦載機の保全を図り飛行隊に対して洋々へ移動するように退艦命令を出したが、飛行隊全員が艦を降りることを拒んだ。カラトウ飛行隊長は神崎艦長の前でこう言ったそうだ。


「降ろしやがったら承知しねえぞ、洋々の通信室を占拠してでも、本国にこの作戦を伝えてやる」


 ため息をついた神崎が笑いながらも、「君、反乱予備罪で飛行隊全員を艦内拘束ね」と呟いた。カラトウが拳をグッと握って嬉しさを表すと、「ほら、スロフさん、僕を殴ろうとするよ」と大笑いしたとカラトウは部下に話していたそうだ。

 

 ガールデルの空母が自国民と公宮国国民を乗せてリドルアを離岸してから数日後に、夕暮れの岸壁へ航空戦艦真心はリドルアへと接岸した。港は陸戦隊が警護を兼ねて警備しており、その他にはリドルア自治区軍という平民で構成された軍隊が共同警備の名目で警戒を行なっている。その港の一角の港湾監視棟の一室に公宮国リドルア自治区領事館のコレキヨ領事とその家族がいた。コレキヨ領事は外務省の命令を無視して査証を2ヶ月前から書き続けてドルキ人の避難を手助けしていた。もちろん、鉄道事故が発生して以降は査証は出せても、移動手段がなく、途方に暮れているところであった。そこに公宮国の航空戦艦が接岸したのである。さっそく疲労の色が滲み体が軋みを上げていたコレキヨ領事が面会を申し込もうとすると唐突に仮設の領事室の扉がノックされた。


「失礼します。時間がないためアポイントなく伺いました。航空戦艦 真心 艦長 の神崎 黛 大佐であります」


 突然入ってきた公家顔の背の低い軍人に驚いたコレキヨ領事だったが、すぐに机の上に纏められていた分厚いファイルを持つと扉を閉めて敬礼をする神崎の元へと急いだ。数歩の距離なのに一分一秒が惜しい状況なのが切実に分かるその慌てぶりに状況が悪化していることを神崎は瞬時に理解した。


「これが保護家族の名簿です。ドルキ人の代表者から提出された一覧です。外務観察では全員が公宮国への反抗の意思はなく、公宮国経由での第三国への出国を望んでいます」


 領事の言葉に頷いた神崎の横でスロフがファイルを受け取るとそれを持って艦へと走って戻っていった。


「状況は悪いようですね。あ、お手を止めずに作業しながらで結構です」


「ありがとう、そうさせて貰います」


 コレキヨ領事は執務机に戻るとスタンプの押された査証にひたすら直筆の署名を書き入れていく、非常時の簡素な査証の場合は公宮国の法律では直筆の署名が必要であると定められていた。いかにこの法が使われることのない法律であることかを物語っているように神崎には思えた。無論、彼もまた外務省命令を無視していることは確かであり、その行為に対して姿勢を正して頭を下げて軍隊式の礼をしたのちに神崎は話かけた。


「状況はどこまで悪化していますか?」


「災厄です。真心の着岸時間は48時間ではなく、ガールデル空母への避難民収容に24時間ほどを使ってしまいましたので、実質は24時間で離岸せねばなりません。しかも、情報筋からですが、親衛隊が首都を出発してこちらに向かっているとのことです。24時間後にはこの港を占拠しているでしょう」


「災厄ですな・・・」


「加えて警備隊ですが、陸戦隊は信頼を置けますが、リドルア自治区軍には、スパイも紛れ込んでいるようです。そのため彼らに避難民の支援を任せることはおやめになられた方がいい」


「公宮国の艦艇は公宮国軍人が死守します。それは他国人の力を借りる必要はありませんからご安心ください。ご忠告もありがとうございます、では、私はこれから急ぎ軍務査証を作成しますので失礼します」


 敬礼を向けた神崎にコレキヨ領事がペンを置くと立ち上がった。


「神崎艦長、このような決断をしてくださったこと、心から感謝申し上げます」


 うっすらと目に涙を浮かべたコレキヨ領事が深々と頭を下げた。


「おやめください、領事閣下。私は褒められたことはしておりません。軍の規律を破り、そして、部下の身体と将来を危険に晒すのですからケチをつけられるならともかく、感謝されることなど何もしていません。閣下こそご尊敬申し上げます。私には部隊がおりますが、閣下は守らねばならないご家族と、雇いの職員数名と協力者の方とでこの敵地に等しい土地で戦ってこられたではないですか、私こそ一国民として閣下の行為に感謝申し上げます」


 敬礼を下げた神崎が軍帽を取ると深々と頭を下げた。陸戦隊は常駐しているが、彼らは警備のためにいるだけである。陸戦隊が外務省の領事館に協力していたと言う証拠が出来上がってしまえば、それは大変な外交問題となって帝国法によって外交官身分を剥奪されて逮捕されてしまうだろう。

 一文官が幼い子供と妻を連れて現地に留まり、そして、ペン一本で巨大な帝国と、自国を敵に回しながらも、闘う姿を外務省からの噂で聞いた神崎は感銘を受けていたのであった。


「お互いに頭を下げていても始まりませんね、では、お願いします、軍人さん」


「ええ、お任せください。文官さん」


 お互いに笑いながらそう言って別れてのち、その後、艦内でも国内でも彼らが再び出会うことはなかった。


  真心艦内では、4層ある格納庫を仕切りに仕切ってドルキ人の避難民を受け入れることとなった。また、軍務査証の発行には大佐クラスの署名のみが有効であることから、艦の指揮を全てスロフに任せて数千人分の署名を行った。文面のほとんどをスタンプ化し、署名を 神崎 のみとして、本人を目の前にして書き続ける艦長の姿は鬼神の如き姿だったと数人の乗員は答えてくれた。


 24時間後にファイル分の全ての家族を収容し終わり、陸戦隊は補修された鉄道の最後の便に残ったドルキ人をのせて送り出したのちに彼ら全員を艦内へと収容した。コレキヨ領事家族を最後に乗艦させてタラップやクレーン類を全て収納して離岸準備が整ったところで、港湾施設に残留していたリドルア自治区軍の全員が入り口で整列すると持っている自動小銃ではなく拳銃を取り出して空へ構えて撃ち始めた。

 

「24時間過ぎたので射撃開始なんです」


「そうなのか・・・」


 司令艦橋の外にある対空監視台にスロフと神崎の姿があった。彼らに敬礼を向けるスロフはリドルア自治区軍のガネ隊長の姿を探して見つけると目に焼き付けるようにその勇姿を見た。

 

 着岸した軍艦に挨拶に来たガネは姉御肌の似合う女性だった。乗り付けた軍用車から降りてきた彼女は艦のタラップ手前で上がることもなく、連絡を受けて大急ぎで駆けつける艦長代理のスロフが降りてくるのをじっと待っていた。タバコを燻らせて日に焼けた色黒の肌と短髪に軍服姿の彼女を見たとき、スロフは憧れを少し懐いたものだ。


「リドルア自治区軍のガネ大尉です」


「どうも、公宮国 航空戦艦 真心 艦長代理の スロフ中佐です」


 お互いに敬礼を向けながら視線を合わせる、それだけで互いが危険な立ち位置にいる事がわかる。


「すいません、ちょっとトイレに行きたいんですがね。どらですか?」


 ガーネがタバコを地面に捨てて足で火を消しながらそんなことを言った。一瞬、キョトンとしたスロフだったが、すぐに気転をきかせると艦のタラップを指差した。


「トイレともなればここから距離がありますでしょう、艦内のトイレ使用を許可します。念のため私が同行しますね。そこの陸戦隊員、このタラップを私たちが戻ってくるまでその副官と警備しなさい」


 少し離れた位置にいた陸戦隊員2名が駆け寄ってくると陰気そうに佇んでいたガネの副官の前に立った。副官は文句を言いたそうであったが、屈強な陸戦隊員に睨まれると大人しくその場で休めの姿勢をとった。


「どうぞこちらへ」


「ありがとうございます。帝国語上手いですね」


 先に歩くスロフがタラップを上がり甲板へとのぼるとガネもすぐに上がってきてそう言った。


「あはは、付け焼き刃なんですけどね。通じたならよかったです、で、どういう要件です?あなたの身も印象も悪くなるでしょう」


 敵国に等しい士官と2人っきりで密談のような環境を作り出すのは彼女にとって災厄な状況だろう。それでも彼女は求めたのだった。


「ああ、そんなことは気にしないで。あの副官は親衛隊のスパイなの。時間がないから単刀直入に伝えます。私たちは24時間後に港に残る全てに射撃命令を受けています。きっちり24時間後です。船体でも艦体でも発砲せよと命令を受けています。これはどうしようもありません。あなた方の支援もできないのが心苦しいですが、どうか、それをお心に止めて降りてください。もし、24時間後の発砲の際には親衛隊が来るまで空に向かって撃ちますから、どうか、逃げ切ってください」


 そう言うとガネはスロフの両手をその女性にしては分厚い手でしっかりと握った。


「私の親族にもドルキ人と結婚したものがいます。真心に乗艦予定です。どうか、頼みます」


「ありがとうございます。必ず連れて帰るとお約束します」


 互いに手を握り合い、そして離すと不思議と敬礼を向けあう。これが最後の別れだと2人には分かった。


「では」


 そう言ってラッタルを降りて行った彼女の後ろ姿が忘れられない。

 離岸が進んで岸壁と20メートル以上は離れたところで、夕暮れに染まる建物の後方から真っ黒い装甲車が数台走り込んでくるのが目に入った。


「逃げて!」


 思わずスロフは叫んだ。だが、それが発せられるのと黒い装甲車の親衛隊がリドルア自治区軍へ発砲を始めるのは同時だった。装甲車の上についている機関砲や降りた兵員が機関銃を天に向けて撃っていた彼らへ激しい銃撃を浴びせる。スローモーションのように人が倒れていく様が見えた。そしてガネの姿もまたその身を地面に崩した。


「ガネ隊長!」


 スロフがその姿をみて叫ぶと同時に港湾施設の建物が轟音を上げて爆発し、発砲していた親衛隊を巻き込んで跡形かもなく崩れていく。業火のような炎が建物の崩れた後から立ち上り、そして炎が岸壁を舐めるように走っていく様を見て、スロフは爆発の際に油が流れ出して岸壁を覆い尽くすように計画されていたことに気がついた。


「逃がしてくれたんだな。良い指揮官だったんだね。彼女は」


 一雫の涙を流したスロフの背中を軽く叩いた神崎は一足先へと館内へと戻っていった。誰もいなくなったそこでスロフは燃え盛る岸壁に敬礼をしばらく向け続け、それをおろした時に気がついた。神崎がいた監視台の落下防止のパイプが2箇所ほどが手の形に潰れていた。艦長として時間内に収容し離岸できていればこんな事にはならなかったという悔しさがそうさせたのか、帝国親衛隊の暴挙に怒り狂ったのかはわからないが、その潰れたあとには激しい思いが宿っていることは確かだった。


 艦内はもはやどこもかしこも人だらけで、収容してみれば格納庫だけでは足らず、必要最低限の通路以外にも避難民や陸戦隊員が座って眠っている。格納庫の一部は臨時の救護所なって軍医や看護師、そして、避難民で看護資格を持つ者を雇って治療対応していた。艦内の治安も陸戦隊が引き継ぎ、数名の破壊工作を行おうとした親衛隊スパイを摘発している。無論、物的証拠を優先するように指示した神崎のおかげでかなり苦労をする捜査であったことや帰還途中に3名の子供が艦内で出産されたことも取材で判明した。


 この航海の後に真心は国内へと留め置かれ続けることとなる。


 神崎は査問会後に艦長を解任されて山奥の地にあり3人しか職員のいない村の地方事務局の所長になり、そして戦後すぐにその事務局の閉鎖とともに予備役へ編入し1日で退役となった。


今回の取材で改めて判明したのだが、軍から聞いた内容も虚偽であった。村に取材に行くと、その後も住み続けていた神崎大佐は1年も経たないうちに肺病を発症し地元にも親しくしてくれていた彼を慕った村民が軍病院への入院を嘆願し続けたが、軍は動かず血を吐き苦しみながら神崎大佐は1ヶ月後に死亡した。

 遺体は防衛軍がすぐに引き取り英雄の眠る公宮国軍墓地ではなく民間寺院の無縁墓地へと葬られていた。

 査問会では、一言も喋らず、全ての悪事を引き受けて去った神崎大佐は何を思ったのだろう。

 その後、真心の乗員はほとんどのものが転籍となり最前線で戦闘を命ぜられている。スロフ中佐は防衛戦の戦場で散り、カラトウ飛行隊長も戦場で散った。乗組員の半数以上、正確には3分の2が死亡している。


 美鈴大将が査問会中に面会に訪れて、神崎に全てを公表するように迫ったが、神崎は首を縦に振ることはなかったという。


「軍務において、命令を逸脱し、そして実行した。これは褒められた話ではありません。美鈴さんも何もお話になりませんようにお願いします」


 その一言を残し彼は面会室の椅子を立って去っていった。それ以降、美鈴の面会にも会うことはなかった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る