第7話 桃色に煌めく未来
長い昔語りを終えたリンダさんは続いて村の暮らしについて語ろうとしたが、俺は少し休憩させてほしいとお願いして席を外した。
そして、対談の場から遠ざかるように碧色の波打ち際を歩きながら、擬態を解いたエニシ様とともに竜人の歴史について振り返る。
「……儂の推測ではあるが、この世界の神は『悪魔』に対処できんかったのではなくて、面倒臭くなって世界ごと投げ出したのじゃろうな。いやはや、世界の終焉を見届けるのも、神が創世に携わる醍醐味の一つじゃろうに」
神ならざる身としては最後の部分には同意しかねるが、創ったのならば最期まで面倒を見るべきだという点については完全同意だ。
とはいえ……創世神の使徒を務めることを気軽に引き受けた俺にも、世界の危機に最期まで立ち向かうような覚悟など無かったが。
「……それで、問題の『悪魔』とやらの正体じゃが、言うまでもなく生物兵器の類じゃろうな。ただ、時空が歪むほどの高エネルギーを有しておる事からして、世界のコアの一部を食って半ば精霊化しておる可能性が高い」
精霊化という状態が意味するところは正確には分からないが、世界のコアについては過去の会話の中で教えてもらっている。
……何処かにオーブ的な物が存在するわけではなく、各種リソースの運用を始めとした『世界の管理権限』を統合した概念らしい。
ちなみに、この世界に来てから俺たちが発生させたリソースは、エニシ様がネコババして俺の器の中にストックしているとのこと。
「……ただし、世界を管理するだけの知能を持っておらんゆえ、結果として世界は緩やかに崩壊へ向かっておるわけじゃな。竜人たちに子供が生まれにくくなったのも、その影響で『輪廻の螺旋』が停止したせいじゃろう」
エニシ様が言う『輪廻の螺旋』とは言うなれば魂のリサイクルシステムで、これが無ければ生命が誕生しようとするたびに魂を一から新規生産しなければならないという。
……その場合、莫大な量の『命』のリソースが必要になるため、知的生命体に適合する魂を生み出すのは極めて困難なのだそうだ。
俺の予想では『悪魔』とは別の細菌兵器あたりが原因と踏んでいたので、諸問題の解決方法が分かりやすく一本化された形だが……
「……ほほっ、お主が安易な手出しを控えたのは大正解じゃったな。コアを押さえられたまま時空の狭間に放逐しては即ゲームオーバーじゃったし、さりとて時空ごと圧壊させておれば確実にコアも粉砕しておったぞよ?」
創世神に至ったエニシ様は半精霊など足元にも及ばぬ御力を持っているだろうが、強大過ぎるがゆえに手加減が苦手と聞いている。
……サクランボ1個分サイズの依代に宿っておられるのは、リソース節約のためだけではなく一種のリミッターでもあるわけだ。
そして、その小さな依代はブランコ型の耳飾りから離れて、碧色のオアシスを背景にしてフワリと浮かび上がり……
「……さて、今回の冒険パートは良い経験になったな。たっぷりリソースも貯まったことじゃし、あとはリンダから樹の苗でも分けてもらって儂等は儂等の世界に帰るとするか」
ずっと黙したままの俺に向かって、相変わらず印象の薄い顔でニンマリと笑いかけた。
◇
いつしかオアシスの対岸には大勢の幼い子供たちが姿を見せており、裸んぼで仲良くパシャパシャと水遊びをしている。
彼等彼女等の中では一番の年長者らしいニックとクレアも、歳下の子供たちの面倒を見ずレスリングに没頭しているが……まぁ、穏やかで遠浅な水辺だし、別に問題はないか。
「エニシ様、あの……」
「どうした、ヤヒロよ。全ては彼奴らを放って逃げ出した神の責任なのじゃから、お主が然様な顔をする必要など一つも無かろうに。まぁ、わざわざ儂等が手出しせずとも彼奴らが天寿を全うするくらいは保つじゃろうて」
俺の顔が酷く歪んでいるのは碧色の水面に映すまでもなく明白で、ついでに今のエニシ様が何を企図しているのかも明白だろう。
この状況で人間が……あるいは、俺個人が如何なる決断を下すのかのモニタリングだ。
「いや、ですが……」
「そもそもの話、神や精霊が世界に直接介入するのはな、本来あまり好ましい事ではないのじゃよ。黎明期に限っては致し方ないが、何か問題が起こるたびに上位存在が解決してくれる世界など不健全じゃとは思わぬか?」
思い返してみれば……現状、この世界が崩壊しかけているのは、神様が文明を発展させようと余計な手出しをしたのが切っ掛けだ。
きっと、いつまで経っても裸んぼのハダカの竜たちに痺れを切らしたのだろうが……彼等だって、いつか遠い未来には自分たちの手で高度な文明を築き上げていたはずなのに。
「…………」
「無論、お主が何か手助けをしたいというのならば、儂は出来る限りのサポートをしてやろう。ただ、それで万事が上手くいくと保証はしてやれぬし、もし失敗に終われば儂等も『悪魔』と呼ばれることになるじゃろうな」
竜人の子供たちは水遊びに飽きたようで、全身ずぶ濡れのまま葉っぱで出来た小屋へと帰っていく。
正直、彼等の口から罵倒や怨嗟の声をぶつけられる場面を想像すれば、胸のあたりが前世を彷彿とさせる鈍い痛みに襲われるが……
「……すみません、エニシ様。それでも、俺は彼等のために何かしてあげたいです。このまま何もせずに自分たちの世界へ帰ったら、この先ずっと安眠できる気がしないですから」
「ほほっ、中々良い脅し文句ではないか。上司の儂としては、この世界の行く末より部下のメンタルヘルスのほうが重要じゃからな。しかし、それで崩壊を早めてしまった場合、もっと悪い夢に悩まされるのではないか?」
エニシ様から手痛い指摘を受けて固く目を瞑った俺は、瞼の裏に竜人たちの歴史ではなく自分が過ごした灰色の前世を映していた。
痛みに苦しみ続けるのは本当に辛かった。
誰とも関われないのは本当に悲しかった。
少しずつ死が近づくのは本当に怖かった。
だけど、俺が本当に絶望したのは……分岐ルートが一本も存在しない自分の未来だ。
「……完全に解決できなくても構いません。もし竜人たちが断るなら潔く諦めましょう。ですけど、未来に繋がる道筋を一本も創造しない神様なんて、俺の好みじゃないです!」
「かっかっか、今度はそう来よったか。しからば、儂はお主との親密度を稼ぐためにも、未来を創造してやるより他ないではないか」
根本治療は早々に諦めて、緩和治療以外の処置を試そうともしなかった担当の医師。
……医師としては正しい判断であっても、せめて足掻く素振りは見せてほしかった。
そして、乗り越えようのない試練を俺に課し、ただ放ったらかしにしていた前世の神。
……当時は神の存在など信じていなかったが、いると分かった以上は断じて許すまじ。
それらに対し、今生の世界を管理する神にして現在の上司たるエニシ様はと言えば……
「……良かろう、ならば戦争じゃ。儂等が竜人たちを率いて『悪魔』を討ち、コアを掌握して世界を丸ごと接収してやろうぞ。そして、彼奴らを遍く地に満ちるまで繁栄させ、子々孫々からリソースを搾取してやるのじゃ!」
俺の鼻先で小っこい拳を振り上げ、相変わらず印象の薄い顔にヤル気を漲らせていた。
◇
◇
正装として用意されていた中学校の制服に着替えた俺は、擬態を解いたままのエニシ様とともにリンダさんがいる場所へと戻った。
すると、そこにはニックとクレアも戻って来ており、二人も彼女から何やら話を聞かされているところだった。
「アクマって、本当にいたんだ。だから、アソコには近づいちゃダメって……」
「……なぁ、カーチャン。やっぱり、アイツも本当はアクマなんじゃないのか?」
どうやら、この二人も竜人たちが歩んできた歴史を教わっていたようで、俯いて考え込んだり俺のほうをチラチラ見たりしている。
……おそらく、アクマというフレーズについては、昔から「悪さをしたらオバケが来るぞ!」的なノリで聞かされていたのだろう。
「おっと、戻って来たか……って、おい! 何なんだよ、そのヤバそうな化け物は?!」
一方、俺に向かってヒラヒラと手を振っていたリンダさんは、その隣に浮かぶエニシ様に気づいた途端ビシリと固まってしまった。
出逢って以来、ずっと一緒にいる俺はサッパリ気づかなかったが……熟練の戦士の眼から見れば、限界まで御力を抑えた依代からでもヤバげなオーラをビシビシ感じるらしい。
「……遅ればせながら、皆さんにご紹介させていただきますね。こちらはエニシ様、俺が暮らしている世界を創造なさった神様です。また、今までお伝えしておりませんでしたが、俺はエニシ様の下で使徒を務めております」
とはいえ、俺がペコリと頭を下げたところで彼女は硬直を解き、浮かせかけていた腰を下ろして大きく溜息をついた。
……実行しておいてから言うのも何だが、お辞儀というボディランゲージが意味するところは世界が違っても共通だったらしい。
「ったく……ま、ガキどもを無事に帰してくれたんだし、アタイたちをブッ殺しに来たわけじゃないのは分かってるさ。それで、わざわざ秘密をバラしたってことは、昔話なんぞよりも大事な話があるってことなんだろ?」
「はい、そのとおりです。しかし……」
俺はニックとクレアの前で話していいものかと言い淀んでいると、リンダさんは少しだけ逡巡してから小さく頷く。
……子供に背負わせるには重過ぎるテーマかと考えていたが、むしろ次代を担う彼等にこそ判断を委ねるべきかもしれないな。
「分かりました……では、お話ししますね。まずは、現在この世界が置かれている状況について、エニシ様に伺ってみたところ……」
かくして、俺は神の使徒らしく彼等を待ち受けている滅びの運命を語り……そして、未来に繋がる一筋の可能性を示したのだった。
◇
とは言っても、何も彼等に世界の命運を賭けたギャンブルを勧めるつもりはなく、この場に戻るより前にエニシ様とは『悪魔』のブッ殺し方について色々と打ち合わせている。
何でも、生物兵器を運用する場合には予め何かしらの弱点が組み込んである可能性が高いそうで、それを解明してから世界への影響が最も少ない方法で仕留めるという算段だ。
……素体になった生物の特徴を引き継いでいるだけならともかく、機械的なパーツへの自壊コード等だと解析に苦労するそうだが。
「そういうわけですので、まずは俺とエニシ様が威力偵察に向かい、地下にいる『悪魔』の中でも小さい個体を釣り出してみて……」
「……いや、そんな事をする必要はねぇよ」
と、ここまで賛否を明らかにせぬまま神妙な顔をしていたリンダさんは、急に立ち上がって小屋があるエリアのほうに歩いて行く。
そして、ヤるヤると連呼したそうな子供二人を目で制しつつ待っていると、彼女は鞣した革の巻物と小さな袋を持って戻って来た。
「実はな、アタイが大攻勢に参加できなかったのは、その威力偵察ってやつで両脚の骨をバキバキに圧し折られたからなんだよ。ま、他のヤツは全員『悪魔』に食われちまったんで、アタイはまだマシなほうなんだが……」
そう言って彼女が広げた巻物に描かれていたのは、黒い毛虫のようなイラストだった。
それぞれの毛の先端はドリル状になっていたりブレード状になっていたりと様々で、機械的なパーツが多用されていると窺える。
……エニシ様が弱点を看破するまで俺が前線で踏ん張る必要があったので、相手の戦術が予想できる情報があるのは実に有り難い。
「で、その『悪魔』の弱点ってやつも、実のところアタイには見当がついてるんだ。アタイだけが生き残れたのは、この『聖石』をブン投げたら急に怯みやがったおかげで……」
そう言って彼女が広げた革袋の中には、桃色に煌めく結晶が半分ほどまで入っていた。
いずれも小指の先ほどの大きさで角張っており、少し削れて粉を吹いているあたり大した硬度は無いらしい。
いやいや、コレが悪魔に有効だというのは、ある意味ソレっぽい設定ではあるのだが……
「この『聖石』には肉が腐るのを防ぐ不思議な力が込められててな、戦いに出るときには験担ぎで褌の隙間に挟んでたんだ。ただ、コレが掘れる場所はもう砂嵐に飲み込まれちまったらしく、今ここに残ってる分しか……」
『あの、エニシ様……もしかしてですけど、コレって単なる岩塩じゃないでしょうか?』
『うむ、ヤヒロよ……もしかしてじゃが、素体となったのはナメクジの類じゃろうか?』
さて、どうしよう……ここまで大袈裟に前振りしておきながら、未来を創造するのは案外ヌルゲーっぽい雰囲気がしてきたぞ?
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