第2話 始動する八紘の器

 背中に感じるゴツゴツとした硬さで目を覚ますと、寝起きとは思えぬほど明瞭な視界には夜空を思わせる黒一色が広がっていた。


 ただ、そこに散らばる煌めきは前世で見ていた都会の星空より疎らで、その代わりに一つ一つの輝きは一等星よりも眩く目に映る。


 そんな光景を茫洋と眺めているうちに不意に稚気が湧いた俺は、まるで届くと信じているかのように重力に逆らって腕を伸ばし……


「……おぉ、全然痛くない。それに、腕が普通に動くぞ。てか、普通に瞼が上がったよな」


 そのあたりでポエミーになるほどの感慨から脱した俺は、前世では当たり前ではなかった当たり前の身体的機能を確認してみる。


 これが無事に転生できた結果なのか、あるいは最期の夢の続きなのかは知らないが……何にせよ、俺は意を決して久方ぶりに自分の両脚で立ち上がってみることにした。


「この身体は……たぶん、健康に成長してた場合の俺なんだろうな」


 生成り色で膝下まで丈のあるポンチョ風装束の内部には、二十歳前後で中肉中背の肉体が存在していることが感覚的に理解できた。


 ……ちなみに、パンツについては創造されていないようで、ブラブラする感覚から前世と同じく男性であるのも間違いないだろう。


「それで……ははっ、コレが天界なのか?」


 新たな肉体の動作確認に続き、俺は足元に広がる大地を見回し……精霊様に悪いとは思いつつも独り言に苦笑を混じらせてしまう。


 そこは……もとい、それは6畳ほどの面積しかないマーブル模様の一枚岩で、その外縁より先には頭上の星空と似た真っ黒な空間が広がっているだけだったのだ。


「で、その下にあるのは……うわっ?!」


 一枚岩の端から下界を覗いてみた俺は、天界の大地と同じくマーブル模様のナニカを視認した瞬間に強烈な眩暈に襲われてしまう。


 超高速でグネグネと複雑に蠢くレインボーカラーのグラデーションというか……何というか、アレを凝視するのは絶対にマズいという予感がするぞ。


 と、そのとき……


「……これこれ、あまり端に近づくでない。詳しい説明は後でしてやるが、彼処は俗に言う『混沌』というやつでな。もし落っこちでもすれば、儂が丹精込めて創ったお主の器がミックスジュースにされてしまうのじゃよ」


     ◇


 初めて聞くのに懐かしく感じる声に振り返ってみる……が、背後には誰の姿形もない。


 そこで、俺は岩石プレートの表面をスウィープするように視線を走らせ……ようやく、その中心付近に立つ御方の存在に気づいた。


「さて……ようやく逢えたな、ヤヒロよ。これからはマナーとして心は読まんようにするゆえ、お主の声で直接返事をしてたもれ?」


「は、はい……分かりました」


 その御方は俺とお揃いのポンチョを身に纏っているようで、灰色で長い前髪の向こう側で印象の薄い顔貌を微笑ませているようだ。


 ちなみに、それら容姿に関する表現が曖昧なのは、先ほど見た『混沌』のように何か不可思議な現象が起きているからではなく……


「ほほっ、お主の器を創るのに些か張り切り過ぎてしもうてな、儂の依代に使えるリソースはサクランボ一個分程度しか残らんかったのじゃ。仮に踏み潰されても再生できるが、絵面がグロくなるゆえ気をつけるようにな」


「いやいや、せめてリンゴ一個分くらいは使ってくださいよ……」


 あまりにも小さ過ぎる存在感に俺は思わず物申してしまうも、それよりも最優先して言葉にするべき事があったのを直ぐに思い出す。


 神様や精霊様に対する作法など記憶を底まで漁っても出てきやしないが、とにかく俺は一枚岩に額を擦り付けつつ感謝を口にした。


「……俺を転生させてくださって、本当にありがとうございました。こうして痛みを感じない時間を……その、もう一度経験できるなんて……本当に、何と言っていいのか……」


「うむ、良い。ただし、大仰に謝意を示すのは此度で終いとするのじゃぞ。儂がお主の魂を転生させたのは、この岩石プレートで焼き土下座ゴッコするためではないのじゃからな」


 口や舌も瑕疵なく創り直してもらったはずなのに言葉は次第に嗚咽へと変わっていき、米粒サイズの手の平が俺の頭をポンポンしてくれても正常な機能を一向に取り戻さない。


 ははっ……これはマズいな。前世のうちにメンタルは摩耗しきっていたつもりだったのに、自分でも訳が分からない感情が止め処なく溢れてきて全くコントロールできないぞ。


「……ほれ、いい加減に泣き止め。お主には一刻も早くオリエンテーションを受けてもらわねばならんゆえ、頭を上げんのなら本当にプレート温度を上げていってしまうぞよ?」


 なお、この岩石プレートには本当に温度調節機能が備わっていたらしく、ガチでデコを火傷しそうになった俺は慌てて跳ね起きた。


     ◇


     ◇


 岩石プレートの中央に正座して居住まいを正した俺の眼前に、大恩ある精霊様……じゃなくて、創世神様がフワリと浮かび上がる。


 ……今後もずっとサクランボ一個分のサイズのままでいらっしゃるとしたら、せっかくの健常な視力がガタ落ちしてしまいそうだ。


「では、これより転生後オリエンテーションを始める。内容としては『この世界のこと』『お主の器のこと』『直近の目標』の3つを説明する予定じゃ。他にも聞きたいことは山ほどあろうが……まぁ、それは追々じゃな」


 今イチ集中しきれていなかった俺の額にコツンとタックルを食らわせた創世神様は、テルテル坊主のような胴体をクルリと翻してから宙空に両手を翳した。


 すると、そこからプロジェクターのような光が照射されて、どういう理屈かスクリーンも何もない位置でピントの合った像を結ぶ。

 ……実にシンプルな、上下を二色に分けた国旗の中央に点を打ったようなスライドだ。


「まず、此処に示すのが儂等が今いる世界で、形態としては『平面単層世界』じゃな。遺棄された世界の欠片を寄せ集めたリサイクル品じゃが、内蔵のコアはお主の前世と同じ環境条件を再現できるほど高性能なんじゃぞ?」


「な、なるほど……」


 創世神様が自慢気に胸を反らせるのに合わせて、この世界を示すらしい横長の光点がスライド中央で明滅する。


 しかし、平面単層世界ってことは……この岩石プレートは天界的な中枢区画ではなく、この岩石プレートが世界の全てだったのか。


「むう……どうやら、今イチ凄さが分かっておらんようじゃな。時間にも空間にも歪みがない世界をコンパクトに纏めるなど、儂以外にはそうそう実現できん匠の技なのじゃぞ?」


「あぁ……なるほど、失礼いたしました」


 前世では時間も空間も均質な環境に慣れ親しんでいたが……もしも半端な神様が創った世界だったら、突然ワームホールに落っこちるような危険性があったのかもしれない。


 俺の表情に一定の理解が浮かんだのを見た創世神様は、満足気に一つ頷いてから説明を続ける。


「次に、この岩石プレートの外側の領域についてじゃが、お主の理解できる言葉で表現する……のは、ちと無理じゃな。ともかく、普通の人間のままでは概念的に知覚が不可能ゆえ、お主の器には特殊なフィルターをかけて四次元時空っぽく認識させておるんじゃよ」


「えっと……まぁ、なるほど」


 今度は、その謎なアレを示すと思しき国旗部分全体が明滅するが……知覚するのは勿論のこと、意味すら理解できそうにないな。


 とりあえず、もしフィルタリング処理が為されていなければ、さっきの光景はもっとグッニャグニャでグッチョグチョだったらしい。


「ちなみに、海っぽく見せておるのが無数の概念が混ざり合う『混沌』で、宇宙っぽく見せておるのが時間や空間という概念すら存在せん『虚無』じゃな。つまり、儂等が出逢いし場所は海と宙の境界線というわけじゃよ」


「……はぁ、なるほど」


 微妙にロマンチックなフレーズを口にしたところで長めの間をとる創世神様は、どうやらキメ顔を作っていらっしゃるようだが……残念ながら、あまりにも小っこ過ぎてハッキリとは見えなかった。


     ◇


 創世神様は俺のリアクションの薄さに少しだけ気を悪くしたようだが、一つ咳払いをしてからオリエンテーションを再開する。


「それから、お主の器についてじゃが……まぁ、生物学的な意味では極々普通の『人間』という生物じゃな。ゴーレムだのホムンクルスだのではないゆえ、人類の範疇に含まれる相手とならば子作りも不可能ではないぞよ」


「あの、まずは子供よりも世界を創造しませんと……」


 創世神という御立場が人類の繁栄を希求させてしまうのか、この御方はソッチ方面の話題が本当に大好きらしい。


 てか、わざわざ『人間』と『人類』とを使い分けているということは……後者は獣人やエルフなんかも含んだ大カテゴリっぽいな。


「とはいえ、儂の使徒たるヤヒロのために創った器じゃから、当然ながら色々と手を加えておる。その一つが、先ほど触れた<知覚情報補正>のフィルタリング機能でな。これが組み込まれておらんと、儂が最も得手とする【時空】の権能を貸与してやれんのじゃよ」


「いやいや、時空を司る権能って……しっかりブッ壊れチートじゃないですか?!」


 俺は思わず唾を撒き散らすほどのリアクションをしてしまうも、創世神様は飛沫を超スローな挙動に変えたうえで悠々と回避する。


 ……他にどんな権能を持つ神様や精霊様がいるのか知らないが、能力バトル的には最強ランクの当たりスキルなのは間違いないぞ。


「で、お主に初期スキルとして貸与してやった権能は、名付けて<絶対時空認識>じゃ。現状では『正確無比な体内時計と方向感覚』に過ぎぬが、基本的にはノーコストゆえ時空関連スキルの熟練度稼ぎには最適じゃろう」


「えっ、言われてみれば……何だコレ?」


 説明を受けたことでスキルがアクティベートされたのか、俺は感覚的に時間の流れと空間の拡がりを把握できるようになる。


 かと言って、文字盤や目盛りが視界の端に表示されたわけでもなく……あぁ、たしかにコレは<知覚情報補正>とやらが備わっていなければ真面に扱えないスキルだろうな。


「ついでに言っておくと、お主の器は『経年劣化』の概念を封印してあるゆえ、老いや老いに伴う疾病とは一切無縁じゃ。ただし、感染症や外傷に対しては『自然治癒』の概念を加速させておるだけじゃから、あまり無茶はせず常に健康的な生活を心掛けるようにな」


「それは……はい、分かりました」


 すっかり緩い雰囲気になっていたところで不意に健康の話を持ち出され、再びメンタルが揺らいでしまった俺は思わず一筋の涙を零してしまう。


 今の説明から察するに……きっと、健康な肉体を創ることなど創世神様の専門分野じゃないのに、それでも何とか自分の権能で実現してやろうと創意工夫してくださったのだ。


「そして、一番の目玉は……名付けて<神速適応進化>じゃ! お主の器は『外的刺激に対して可及的速やかに適応』するように出来ておってな、強い刺激を受け続ければ短期間で劇的に成長できるのじゃよ。なお、己の意思でリミッターを外せば、種族的限界を超越したマジカルな武器を手にすることも……」


「……創世神様、ソレは有り難迷惑です」


 俺は登場人物がマジカル過ぎると感情移入できなくなるタイプなので、ソレについては実使用に差し支えないレベルで十分なのだ。

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