第57話 お父さんが、ぜんぶ捨てちゃった

 「お寺だから、昔の史料、あったりするのね。それを見せてくださいって。すごいきれいな人で、しかも、物腰がなめらかなんだよね。なめらか、っていうのも変かも知れないけど、体の動かしかたがぜんぜんぎくしゃくしてなくてさ。よくこんなに体動くなあ、って、へんなことかも知れないけど、なんか感心して」

 しばらく、結生子ゆきこは口をつぐむ。

 続ける。

 「そう。それで、おんなじ女だけど、ほんとのぼせるぐらいに感心しちゃってさ。それで、その住職さんの奥さんが忙しくしてるのを見て、わたしがお茶持って行って、何見てらっしゃるんですかって声かけたらさ」

 ふふっと笑う。いたずらっぽい笑いだ。

 「先生、せきを切ったように話し始めたわけ。岡平おかだいらっていうところがあって、昔、岡平に相良さがら易矩やすのりって家老がいて、それがこのあたりから漁民を移住させたって話があって、ここの家もその移住者を送り出したって言われてるんだけど、それを裏づける史料がないか調べてるって」

 「ああ」

 それ、いま、結生子自身が話してくれた知識だったな。

 「結生子がここの出身だって知ってたから?」

 「いいや。そんなのはぜんぜん知らずに。あ、だから、そこでさ、わたしがその移住した家の子孫です、みたいな話になって。そしたら、先生は、その古そうな史料とかはほうっておいて、話をきかせてほしいって言うんだよね。それでその先生と部屋で三時間とか四時間とか。先生はさ、細かいところを質問してきて、それでなんか知ってることがあればなんでも話してって。すごく熱心だったんだ。あのころはここの村のことなんか一つも思い出したくなかったのね、瑠姫るきには悪いけど、幸織さちおとはあんなになったし、家もそんなのだし。でも、この先生と話していて、自分がこの村のこと、すごく平気で話せる、いや、話せば話すほど気分が乗ってくる、っていうのを感じたんだ」

 いまの結生子もちょうどそのときと同じ状態かも知れない。結生子は、熱を帯びた口ぶりで早口でしゃべっていた。

 「日が暮れるまで、まあ、さ、わたしが、その、バイトに出ないといけない時間までずっと話して。ね? 先生は、そのわたしの家のこと、いわし御殿っていう呼びかたまで知ってたんだよ」

 「ああ」

 あんな呼び名、この村でしか通用しないと思っていた。

 「それで、くやしかったのはさ、それだったら、ぜひわたしの家にあるはずの史料見せて、って言われたときなんだよね」

 結生子は目を閉じる。

 「先生はおじいちゃんには連絡したらしいんだけど、拒否されたって。でも、いろんなものがあったんだ。帳簿みたいなのもあったし、巻物もあったし、掛け軸なんかさ、葛籠つづらっていうのかな、なんか箱みたいなのにいっぱい入って、何箱分もあったんだよ。しかも、子どものころにとことかにかかってたの、いま思い出したら、うちの掛け軸って、あれ、たぶんなんかの古文書なんだよね。それに古い木の道具もあったし、あの蔵の中にさ」

 そういえば、結生子の家には、大きい古そうな土蔵があったのだ。

 結生子はうつむく。

 「お父さんが、ぜんぶ捨てちゃった。あの家売ったときに、荷物になるからって」

 もういちど、唇を噛んで、目を閉じる。

 「わたしを閉じこめる部屋なんか借りるんだったら、そこを、あの史料、置いとくために使ってくれればよかったんだ」

 うつむいたまま、結生子は言う。

 「もしかしたら、その玉藻姫たまもひめ事件の真相とか、そのいずみ主馬しゅめ殺害事件の真相とか、背後関係とか、そういうのを書いた史料があったかも知れないんだ。それがあればさ、あの帰郷家きごうけ還郷家かんごうけの対立も、なんとかできたかも知れないのに」

 結生子は顔を上げた。

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