戻った光。

さんまぐ

第1話 昴の罪と罰。

手術明け。

麻酔で眠るというのは同僚が言っていたように夢を見るものではなかった。

うっすらと目を開けると白い天井が見えた。

だがこれももしかしたら夢かも知れない。


夢というと先日見た不思議な夢。

本来ならあり得ない夢。



きっとこれが俺の本当の初恋だったのだろう。



亀川 貴子。

21歳の時に出会った彼女との9ヶ月が人生でいちばんの輝きを放っていた。


妻が居るのにそんな事を思うなんて最低な夫だと自覚をする。


そして妻と過ごした不思議な時間。

妻は俺の名を呼ばず、俺に干渉をしてこない。


妻を恨んだこともある。

だがそうさせたのは自分の甲斐性に問題があるからだと思うようにした。


そして肺の病。

発見時に初期で外科的処置での治療が可能だと言われていたので不安にはならなかったが心のどこかでは後悔はあった。


肺の病というのがまたタチが悪い。

俺はその肺や気管支の問題で亀川 貴子とは結ばれなかったと自覚している。



タバコの煙や臭いで体調を崩す俺は喫煙者だった亀川 貴子とは何も無かった。


あの亀川 貴子がもたらしてくれる距離感に俺はほだされた。

だが何もする事は無かった。

出来なかった。

亀川 貴子にタバコをやめて俺と付き合ってくれとはとても言えなかった。

俺と付き合うために我慢なんてして欲しくなかった。

だが俺はタバコに近寄ると体調を崩してしまい近づけなかった。


何も無かったからこそ肺の病を発見し、死について考えた時から亀川 貴子の夢を見るようになった。



あの21歳の時の夢を。


手術を受ける前なんかは俺だけしか思っていないだろうが、地元デートは何回もしたが遠出のデートで行った商業施設で喫煙所に消えていく貴子に「待って!」と言って付き合おうと言ってしまった。

貴子はニヤニヤと嬉しそうに笑うと喫煙所に消えていきながら「こっちに来れたらね」と言った。


俺は一瞬体調の事で躊躇をしたがすぐにその考えを振り払い、貴子を追いかけて扉を開けた時、中から貴子が飛び出してきて「嬉しい。本当に嬉しい。大好きだよ昴ちゃん」と言って抱きしめてくれた。


夢の中の俺は「俺もだ」と言おうとした時に妻から「うなされすぎですよ?」と珍しく起こされた。


珍しいが最近では珍しくない。

昔は不干渉だった妻は一人息子の薫が家を出たあたりから少しずつ会話が増えてきた。

主に手術に関する話が多いがそれでも話があるというのは嬉しい。

案外不安だった2人の日々も問題がなかった。



話を戻すともう20年も過ぎているのに未だに初恋を思い出すのは妻との付き合い方もあるだろう。


妻は俺の名を呼ばない。

それが苦しく感じる…感じていた…未だに感じている。


始めは打ちのめされて彼女に隠れて泣いた。

徐々に心を押さえつけて「そういう人もいる」「それは全て俺が悪い」と思うようにした。


俺だけではない。病で余命宣告を受けて狂った俺の父も悪い。

息子が地元に帰ってきて地元で結婚をして地元で仕事をして孫と仲睦まじく暮らす事が夢だった父は死ぬまでにそれを叶える為に、俺のいない所で俺に無断で勤め先を探して俺の妻になってくれる女性を探した。


たまたまお見合いでもいいという現妻の天宮 美空が居たが、何であれ顔を合わせた日には結婚が決まっていた。

そして彼女はよくわからない男を受け入れて子を成す。

それは並大抵のことではない。


それがあるから妻は心を開かない。

全ては鶴田家が悪いと思い、その罪の罰を今も俺が受けている、許されるには耐えるしかないと思った。


だからこそたまに届く亀川 貴子のメールは嬉しかった。

貴子とは付き合えなかったどころか告白も無かった。だからこそ離れ離れになった後もメールが出来た。最後は大分前だがメールアドレスが変わるとかならず連絡をくれていたから今のメールアドレスでメールが届くだろう。

今回は俺から「手術したよ。タバコを吸わない俺でも病気になるんだ。健康診断と健康管理は気をつけてね」と送ろうかと思っている。



「昴さん!!」


ん?

聞き間違いを疑った。

ベッドで横たわる俺を覗き込んだのは妻の美空で周りには執刀医と看護師たちがいる。


俺を呼んだのは誰だ?


よくわからなかった。

麻酔でまだ頭が朦朧としている。


そんな中でもわかるのは妻が泣いていることだった。


「美空さん?泣いてる?どうしました?」

朦朧としながら聞くと「麻酔、とっくに切れてるのに目覚めない…。ずっと心配…」と言いながら妻の美空は泣いていた。


驚いたのは妻の声には感情が篭っていた事だった。

いつもの「平気です」「結構です」「ありがとうございます」「お構いなく」「どうぞ」の声には感情が無くて聞いていて罪を見せられているようで心苦しかったが今の声には感情が篭っていた。


そういえば病を知った時、いつものように声をかけたら「はいぃ!?」とものすごい声を出した時があった。

あの時は恥ずかしさからか顔を真っ赤にして照れる妻を見て嬉しい気持ちになって、本当は1人で出かけるつもりだったのに妻を誘っていた。


その事を思い出してつい嬉しさで微笑んで「どこか…変ですか?自覚…ありません」と言うと妻はすぐに医師に「どうですか!?診てください!」と言う。


あんな剣幕は息子の薫が学校で跳び箱を失敗して怪我をしたと言われて救急病院に搬送された時も見たことはなかった。


聴診器や問診で問題ないと判断した執刀医は「奥さん、ご安心ください」と言うと機器類のチェックをして帰っていった。


「良かった…」

そう言った妻を見て何かわかった気がした。


妻は病気で大切な人を亡くしたのかも知れない。

だから人との距離がはかりにくくて、こういう時には慌ててしまうのかも知れない。


俺は微笑みかけて「美空さん、ありがとう」と言ってダルさに飲まれながら妻の言うこの先の予定を聞いていた。


ひと月後、検診を迎えた俺は仕事を休んで病院に行こうとすると妻も付いてくると言う。


拒む理由は無いが想定外で驚いた。


そして「帰りに付き合って欲しいところがあります」と言われた。

今でも体調は万全なので問題ない事を伝えて検診日を迎える。


随分と長引いてしまって妻はソワソワとしているので「大丈夫ですよ。混んでいただけです」と言う。

妻は照れ隠しのように「そうじゃありません」と言う。きっと病院の嫌な思い出は詮索されたくないのだろう。


病院を出ると14時だったが妻は「頑張ってください」と言って俺を横浜に連れて行った。

そういえば横浜には来た覚えがない。


連れて行かれるがまま進むと中華街で肉まんを食べようと言われた。

「美空さん?これが付き合って欲しいことですか?」

「はい。とりあえず肉まん以外は食べたいものを食べ歩いてください。……あと、食べる時は私にもくださいね」


顔を赤くする妻は可愛かった。

俺は言われるまま食べ歩きをして「横濱媽祖廟」について行ってお参りをする。

「天后宮」の文字を見て…「あ…天宮」と言うと妻は嬉しそうに笑った。


俺は初めて見た気がする妻の笑顔に心奪われてしまい立ち尽くした。


そして泣いた。

なんだかよくわからないくらい泣いた。


「え!?」

慌てる妻に「笑顔……初めて見せてくれましたね」と言うと真っ赤な顔の妻は泣きそうな顔で俺の手を引いて早足に歩き出した。


これも初めての事で驚いた。


そして連れて行かれるがままに山下公園に着いた。


ベンチに座らされて横に妻が座る。

妻の顔はまだ赤くて息遣いも荒い。


「美空さん?」

「…ちょっと待ってください」

俺が心配して話しかけると妻の返事は普段通りなのに声には感情が篭っていた。

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