ホラー短編集
四季年千空
第1話 殺した男
「聞いて下さい。私が……この私めが、彼女を殺した……殺してしまったのです。間違いありません。信じて下さい!」
彼はそう必死に訴えかけてくる。
「私は彼女を愛していました。だから、彼女と一緒に買いに行った、高価な包丁をつかって、彼女のちょうど左胸の乳房……。何度も手にしてきたそのふくよかな胸の、そのわずか下にある肋骨と、その下にある肋骨との間を狙って、包丁を突き立てたのです。
実に簡単に、その包丁は自らの切っ先を彼女の心臓にまで到達させました」
彼は身振りを添えて、玄関先の立ち話であるにも関わらず、まるでそこを舞台と見定めたように、オペラでバリトンを響かせるがごとくに、声も高らかにそう謳い上げてみせた。
「あなたは、彼女を殺したのですか?」
戸惑ったように、警察官は改めてそう問い直す。
「そう言っているじゃないですか!」
自分の語ったことを信じようともせず、むしろ改めて尋ねてくるなんて……。ややいらだった様子で、彼はそう声を荒げる。ただ彼は、激したことを恥じるかのように横を向いて一度、軽く咳ばらいをすると、もう一度正面に向き直ったときには、笑顔すら見せていた。
「そうです。私が彼女を殺したのです」
訝しそうに、警察官はもう一度「それは罪を自白した……ということでよろしいのですか?」
「そう受け取ってもらって結構です」
男は誇らしげに、胸を張る。そこには罪を犯した悔恨や反省より、誇らしげでどこか自信に満ちていた。
「では、死体はどこに……?」
「それなのです! 彼女がいないのです!」
「隠した?」
「違います! 私は彼女を愛していました。その後で傷つけたり、動かしたりすることで尊厳を踏みにじるなど、できるはずがないではないですか⁈」
死体損壊、もしくは死体遺棄をしないことを「尊厳」と称してしまうことに違和感もある。殺人は彼の中で、そのカテゴリーに入っていないようだ。
警察官も戸惑ったように「誰かに奪われた?」
「そうかもしれません……。でも、ここに入ることができるのは私と、彼女だけ。鍵も閉めていたし、誰かが侵入した形跡もありません」
「それなのに死体が消えた、と……?」
警察官もやっと事態を飲みこんだように「では、家の中をみせてもらってもよいですか?」
「ダメです。ここは私と、彼女との愛の巣……。ともに愛を育んできた場所です。第三者を入れることなど、できるはずがありません」
ふたたび戸惑ったように、警察官も顔を顰める。先ほどから、こうして堂々巡りをくり返している。
「でも、調べないと……」
「調べるって、何をですか⁈」
彼はまた激しく興奮し、威嚇するように警察官を睨んだ。
「では、質問を変えましょう。どうして彼女を殺したのですか?」
「愛していたからです。なのに、彼女は私を殺しました。だから私も彼女を殺すしかなかったのです」
「え? あなたが殺された……殺されそうになった、ということですか?」
「殺されそう……ではありません。私は殺されたのです。彼女によって、大量生産された安い包丁をつかって、私の胸に突き立ててきました。その切っ先は、間違いなく心臓を切り裂いたのです」
「それで殺された?」
「その通りです。だから私も、彼女を殺しました」
何を言っているのか……? 警察官も付き合いきれない、とばかりに頭を強くふった。目の前にいる男は元気だし、むしろ元気が余り過ぎているように、つばを飛ばしながら興奮して喋りまくる。それが、殺された……?
「でも、あなたは死んでいないですよね? こうして元気だ」
「元気であることがご不満ですか?」
彼は不機嫌そうにそうつぶやく。ただそれは敵意というより、認識のちがいに改めて気づき、説明を必要としているのだと感じたものだ。
「あなたのいう〝死〟の定義とは? 心臓が止まることですか? 元気がなくなることですか? 意識を失うことですか?」
彼は挑むように「それに、私は『殺された』とは言いましたが、『死んだ』とは言っていませんよ」
「え? 『殺された』というのは、『死んだ』ということでしょう?」
「なぜ、そう決めつけるのですか?」
「殺されかけたけれど、生きている場合は『未遂』といって、殺人とは扱わないからです。それに、あなたは生きているじゃないですか。それは『殺された』とは言いませんよ」
「ふふふ……」彼は含み笑いを浮かべてみせた。それはまるで、モノを知らない相手に、優越を抱いたときのように……。
「私は『殺された』のですよ。でも、私は『死んで』いない。あなたはそれが矛盾だと考えるのでしょうが、そこに何も矛盾などありません。それに、私は彼女を『殺した』のですが、彼女が『死体』になった、とは言っていませんよ」
警察官は当惑したように、相手の顔をじっと見つめる。彼と、彼女だけが入れる家の中で、その矛盾を解消しようとした場合、答えは一つしか思いつかない。
その想像が正しいとするなら、それは殺人でもなければ、死体遺棄でも、死体損壊でもない。そして彼のいう『彼女』がいなくなった理由も、容易に想像がついた。
ただ……。その想像が正しいとするのなら、もっとも危険な状態にあるのは、自分だ……。
「仕方ありません。では、家に入ってもらいましょう。さ、どうぞ」
彼はにやにやと笑って、自分の身をひいて家の中に招じ入れる態度をみせた。仕事柄、中に入って事件を確認しないといけない。罪の自白をうけたのだ。この『彼女を殺した男』が、何をしたかを確認しないといけない。でも、その家に入ってよいのかどうか……。
警察官は死ぬ気になって、その『殺した男』の言葉を確認するしか、やりようがなくなっていた。
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