39. 紫水の強引さ。

 どこからともなく風が吹いてきた。“月の側”にいる黒曜とお福が、扇子で仰いでいるのだろう。二つの世界を繋ぐ道は見えないのに、風は通るなんて、不思議なことだ。

 紫水と手を取り合い、互いの呼吸を聞き取って声を合わせる。


「開け、小麦粉!」


 再び渦巻く長いスライダーを滑り落ちるような感覚がして、気が付くと小高い丘の頂上に尻餅をついていた。隣にいる紫水と繋いだ手はそのまま固く握られていた。


「きよのちゃんっ! おかえりー!」


 丘の下でわたしたちの帰りを待っていたお福が、わたしに容赦なく飛び付く。こういうとき、紫水ではなくわたしに飛び付くようになったのは、彼女と出会った頃のことを考えると物凄い進歩だ。


「楽しかった?」

「うん。わたしのおばあちゃん、とっても料理が上手なの。和食あんまり好きじゃないお福ちゃんでもきっと気に入ってくれると思うな」

「ええー、福も紫水くんと一緒に行けば良かった!」


 黒曜が、わたしと紫水が繋いだままの手をゴールテープのように通る。するりと解けた手を見て満足気に笑う。


「おい、福。俺と二人で過ごす十八時間だって楽しかっただろう?」

「あなたはほとんど寝てたし、福が話し掛けても『ふーん』しか言わなかったじゃん」

「俺は子供と話すのが苦手なんだよ」

「普通の会話すらしなかったじゃん! 子供が苦手なんじゃないよ、会話が苦手なんだよ!」


 言い合いを始めてしまった二人の間に入って、まあまあと宥める。二人のじとっとした視線がわたしに注がれ、


「こんな会話苦手男に好かれちゃって、きよのちゃんも大変だねえ」

「こんなわがまま女に懐かれちゃって、きよのも災難だな」


 と同情するような声を掛けられた。


 苦笑するわたしの肩に、手が優しく添えられる。振り向くと紫水が微笑んでいた。


「じゃあ、婚礼の儀の準備を始めようか」


 穏やかに告げられたその言葉に、わたしは耳を疑った。


 なにも理解していないわたしを引っ張り、紫水は外へ出た。呉服店で言われるがまま高級そうな和服を試着して購入し、穂狐すいこさまの祭られたあの神社で神主と会場の装飾の打ち合わせを済ます。

 僕たち結婚することになって。彼がそう話すと、皆は口を揃えて、


「おめでとうございます!」


 と祝福の言葉をくれた。

 世間一般で言う“結婚”よりも打算的で戦略的な結婚なので、なんだか申し訳ない気持ちになる。

 まあ街の人々だって、別にわたしたちが恋に落ちただけで結婚するとは思っていないのだが。


 次は花屋かな、と弾むような声で言って、紫水は神社を出た。ようやく彼の手を振り解く。


「ねえ、突然なに? ずいぶん急だし強引じゃない?」

「僕、半年くらいきよのちゃんと過ごして気付いたんだ。君には強引なくらいじゃないとだめだって。あすみちゃんもそうだったしね」


 会ったばかりの頃、なんでも譲りがちだった彼が、変わってきている。わたしをよく理解していて、何度か衝突し合ったからこその変化だと思う。

 この半年で、わたしたちはだいぶ仲が良くなった。


 この日は一日中彼に引き連れられ、十軒ほど店を回った。

 紫水はこれまでも二回ほど結婚したことがあるからか、穂狐教の教えで婚礼の儀のやり方が細かく決まっているからか、迷うこともなくあっという間に準備は進んだ。


 婚礼の儀はたった一週間後。毎晩、閉店後、紫水に儀式の流れや作法を教えてもらう日が続いた。

 一挙手一投足すら規定された動きを覚えられる気がしなかったが、


「大丈夫。僕が全部フォローするから、きよのちゃんは堂々としていればいいよ」


 と言う紫水の言葉が頼もしかった。


 どうせ婚姻をするなら、陽のことも月のことも考えた上で早いほうが良いと思っていたので、このスピード感はありがたい。

 それに慌ただしい日々は、自分の決断が正しかったのかと迷う時間すら与えてくれない。揺らぐことなく決意を貫き通せる。


 わたしは生まれながらの力を、皆のために使うんだ。


 そんな気持ちがして、自らの正義感が満たされていくのを感じた。

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