妖狐そ、“月の側”のラーメン屋へ! 〜屋台のラーメンに吸い込まれた先で、きつね男に求婚されています〜

梅屋さくら

1. 屋台のラーメンはすべての始まりなり。

 虚ろな目をしたサラリーマンたちが、とぼとぼ歩いている。革靴から鳴る軽快な音、そして無機質に白い光を放つ街灯の、彼らの姿との対比が悲しさを演出する。地面に落ちる影が黒々して見える。


 とまあ、こんなふうに景色を淡々と描写しているわたしも、とぼとぼ歩く“彼ら”のうちのひとりだ。

 猫背で歩くせいで、顔の横を、ウェーブが掛かった茶髪が行ったり来たりする。


 美容師を目指して美容専門学校に通っているが、人付き合いがうまくいかない。高校生までは友人作りに苦労しなかったのに、やはり二十歳はいろいろと難しい。


 価値観をぐるりと変えるような出来事が起こったら良いのに。


 叶わぬ願いを抱いたとき、家へ向かう夜道に、赤い光を見つけてほっとした。

 不定期に営業しているラーメンの移動屋台。雨を弾く素材の薄っぺらい屋根に、ぼんやりと光を放つ提灯ちょうちんが吊り下げられている。


「すみませーん! 醤油ラーメンをひとつ」

「おお、きよのちゃん。おかえりなさい。あいよー!」


 カウンター前に置かれた椅子に腰を下ろすと同時に、醤油ラーメンのどんぶりが目の前に置かれる。注文前に作っておいたのだろうかと不思議に思う早さなのだが、ラーメンは勢い良く湯気を立てている。

 ねじったタオルを頭に巻いた“おっちゃん”とは、専門学校に入ってからの付き合いで、疲れたわたしを労ってくれる存在だ。彼の元気な声は私を後押ししてくれる。


「いただきます」


 割り箸を割って、柔らかい出汁と甘辛い醤油の匂いが漂うラーメンに箸を付けようとした、そのとき。

 ラーメンが物凄い速さでぐるぐると渦巻き始めた。呆気に取られる間に、ラーメンは竜巻のように中心がくぼんでいく。


 中心、どんぶりの底になにかが見える。……きつね?


 視認した途端、ふわりと浮く感覚を覚えた。わけがわからないまま逆さまにされ、頭に血が逆流していくようだ。不安定にぐらつきながら、ラーメンどんぶりの真上に移動する。


「きゃっ!」


 落下。そう思うほど速く、怖かった。

 一瞬だけ、熱さと油らしきなめらかな感触が身体を包んだが、あっという間に感じなくなった。

 無重力を漂う気分がしばし続いた後、尻を地面に強く打った。硬い床に打ちつけた部分から痛みが全身に広がる。


「いてて……」


 立ち上がろうとして、三人に見下ろされていることに気が付いた。視線を追って“それら”と目が合った瞬間、悲鳴を上げて後ずさる。


 “それら”はかえるそのものだった。人間と同じくらいのサイズで、顔が横に広い。真っ黒で大きな目がぎょろりとわたしを見下ろしている。


「おっと、厨房で暴れると危ないよ」


 後ずさった拍子に背後にいた誰かにぶつかる。


 慌てて振り向くと、そこには抹茶色の和服を身に纏った男性がいた。きゅっと吊り上がった目は、輝くような山吹色をしている。

 彼はこちらを心配そうに見下ろしながら、腰を下ろし、視線を合わせた。そのとき頭頂部に二つのなにかが見え、わたしはまた叫んだ。


「ぎゃー!」


 一見すると人間となんら変わらない。わたしより身長が三十センチくらい高くすらりとしていて、お団子に結われた白髪が照明に透けて見える。

 けれども彼の白髪から、黄金こがね色の耳が覗いていた。ふわふわして、三角形で。……そう、まるで狐のような。


「はは、別に取って食いやしないんだけどな。すごい音がしたけれど、大丈夫? ちょっと手の甲を擦り剥いているね」

「ひぃっ!」


 手をそっと取られるが、あまりの恐怖で身体に力が入らず、抵抗することも出来ない。

 彼は怯えるわたしに苦笑を向ける。


「突然のことで理解出来ないと思うけど、ごめんね。一応言わせて欲しいんだ。ええと、僕と結婚してくれないだろうか?」

「け、結婚……?」

「うん、結婚。僕は君を大切にするし、君を約束事で縛ったりはしないよ。お嫁に来て欲しいんだ」


 何を言っているんだ、と思った。

 奇妙な耳がついた男に求婚されて、よろしくお願いします、と答える女がどこにいるだろう。


 思ったことをそのまま言ってやろうと思ったとき、扉がばたんと開く大きな音がした。狐男が立ち上がって音のほうを見る。

 扉の前にいたのは、小さなうさぎだった。とは言っても、『ミッフィー』のような可愛らしい兎ではない。『不思議の国のアリス』のように、人間的で、男性的な顔立ちをしている。


兎部とべさん⁉︎ どうしたんだい、そのひどい怪我……」

「買い物の帰りだったんだけど、食べ物の匂いにつられた獅子ししに襲われたんだ。もう、あいつ、理性を失ってる」

「オィオィ、その獅子は今ドコにいるん」


 蛙男の、エフェクトが掛かったような「だ」の声が、外から聞こえる轟音に掻き消される。


 どすんどすんと地鳴りがした。淡い光を放つ、提灯風の照明が天井で揺れている。

 『ウルトラマン』の怪獣が暴れる足音と似た音。その音は次第にこちらへ近付いてきている。


 蛙男のひとりが扉を開け、「そいやっ」と何かを投げた。水風船が割れるような音に続いて、彼の「よしっ」という声が聞こえる。


「皆さん。兎部さんの治療と、僕の後始末をよろしくお願いします!」


 狐男はそう言い残すと、扉を開けて外へ出て行った。蛙男のひとりもすぐに後を追った。

 彼らが出てから少し経って、大きな足音が二つになり、しだいに離れていく。

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