文字の海におぼれて消えろ

こんかぜ

贖罪のエンドロール【1】


 机の明かりが夜闇に溶ける。椅子に深く腰を落ち着けて、僕は一心不乱に文字を書き留めていく。脈絡なんてお構いなしに、ただ頭の中で浮かんだ言葉を捕まえて、眼下の紙切れに押し付けていく。

 カリカリと子気味のいい音が走る。心は完全に萎みきっているはずなのに、僕の手が止まることはない。一か月以上も書いているのにまだ書き足りないのだろうか。自問自答してみるけど、自分が分からないんだから聞いたところでわかるはずもない。


「……ん」


 ふと、ポケットの携帯が震えた。区切りのいいところまで書き終えてから、取り出して画面を眺めてみる。

 友人からのメッセージだ。どうやら明日の放課後に寄りたい店があるから付き合ってほしいという。


「まあ、最近はあんまり寄り道してなかったから、いいか」


 霞んだ目をこすりながらなんとか文字を打ち終えると、細いため息とともに送信。毎日手紙を書いているせいか、前よりも目が悪くなっているように感じる。そろそろメガネの度を調整した方がいい頃合いだろうか。

 

「…………」


 なんとなく、メガネの縁に手を触れた。つるつるしていてとても触り心地のいい素材で出来ている。これをプレゼントされたのは僕の誕生日だったから、そろそろコイツとも3年の付き合いになるみたいだ。

 これを掛けてから僕の世界はクリアになった。もちろん視界もそうなんだけど、何より物事を多角的な視点から捉えることができるようになった気がする。

 

「だから、かな」


 僕は今でも、彼女の死が本当に必要だったのかを考えてしまう日がある。クリアになった視界のせいで、彼女の死を客観的に捉えようとしてしまう自分がいる。

 でも、それはまるで僕と彼女を無理やり他人に分け隔てているような気がして、なんだか胸がもやもやする。本当は客観的に見てはダメなんだ。もっと主観的に、何も考えず馬鹿みたいに毎日泣き崩れていた方がよっぽどそれらしい。


「……ごめん」


 謝罪の言葉が脳裏に浮かんだから、それもとりあえず手紙に書きとめる。書き終えたらとりあえず束にしてまとめて、来週あたりに墓前まで持って行ってやろう。

 これで許されるか分からないけど、でも僕にできることはこれくらいしかないから。別にゲームみたいに呪文を唱えたら復活するわけでもないし、火葬されちゃったから緊急手術で奇跡的に生き返ったりすることもない。

 本当にこの世界は残酷だなと思う。まだ夢見る高校生でありたかった僕だけど、あんなことがあった手前、いまだに夢を見続けることなんて、もうできない。


「……よし」


 最後の一文を書き終えると、脇にペンを置いて机の明かりを消す。一瞬だけ視界が暗闇に包まれたが、やがてぼんやりと輪郭が浮き出てくる。夜目ってやつだ。


「おやすみ、加乃」


 夜目に切り替わって最初に目にしたのは机の上に置かれた手紙。その文末には僕の汚い字でこう綴られていた。

 

 文字の海におぼれて消えたい。


 これが僕の望みだ。あわよくば彼女への思いをありったけ吐き出したうえで、何の未練もなくこの世を去りたい。彼女のために綴った文でおぼれてそのまま消えてしまいたい。

 でも、僕には自分で自分の命を絶つ勇気なんてないから、いまとなってはただ自分に言い聞かせるだけの常套句になっている。最近ではこの一文を書き添えないと落ち着かなくなるところまでやってきてしまった。


 文字の海におぼれて消えたい。


 最後に心の中でそう唱えてから、僕はベッドに寝転がり布団を頭からかぶった。また明日から始まる学校に思いを馳せながら、そっと目を閉じる。

 5分後には意識が遠のいていく感覚。やがて手足が動かなくなって、自分という存在が地球から切り離されたような気分になる。

 これで今日の僕の役目は終わりだ。明日になったら新しい僕が『僕』を演じる。記憶や意志を受け継いで、きれいさっぱり新しい『僕』に生まれ変わるんだ。


『加乃、もう一回だけでいいから喋ってくれないか……?』


 ……思い出すのも憚られる、血みどろの記憶も一緒に引き連れて、僕は新しい僕になる。むしろこの記憶は僕の存在が消えるまで永遠に残しておかなければならないものだ。引き継ぐのは当然と言える。

 今日は、またあの日の夢を見そうだ。一度この思考に陥ってしまったが最後、その日の夜は一か月前の記憶にうなされる一夜になる。今日もそうだ。明日の僕は起きたらベッドが汗まみれになっていてさぞ驚くだろう。


「……おやすみ」


 がんばれ、明日の僕。

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