傭兵譚

刃流

第1話「五十合目の約束」

 遠くに敵の影が見える。ズラリと荒野に壁のように並んでいる。その後ろには大勢が控えているだろう。こちらと同じように。

 戦場の経験なら豊富だと自負している。剣の腕前だって「師」に教わった。馬上のフレデリカは眼前に展開する歩兵の中に混じる傭兵団を見た。流れの傭兵で作られた混成部隊だ。その部隊長は黒い鎧兜を身に着けている。腰には双剣が収まり、手には槍が握られていた。

 サーディス。

 敵の方から一騎が出てくる。

「西の国の将どもに告ぐ! この雷獣が前座を設けてやる! 首が欲しい者はかかって来い!」

 大音声がビリビリと木霊した。

 雷獣。敵国、東の国の中でも三本の指に入る猛将にして猛者だ。陣営が俄かに慌ただしくなる。

 兵達が馬上の将を振り返る。これに応える将はこの国にいるのか。

 一方の将達も誰が出たものかと、役目を押し付けあっている。

  何と情けない様か。

「槍を」

 フレデリカが言うと側に控える従者が得物を差し出してくる。

 剣を収め、槍を取る。刃の重さで沈みそうな穂先を頭上に掲げ、進路を示した。

「フェンリル侯爵が代理、騎士フレデリカ・バッフェルが相手になろう! 道を開けよ!」

 雷獣に勝てるのか? いや、勝つ! 私が討たれればこの国にもう勇者はいない。そうだな、サーディス。

 フレデリカは馬を走らせた。

「いやぁっ!」

「女か! だが、並々ならぬ気迫、男以上! その首ありがたく貰うぞ!」

 敵がその仇名の如く声をほとばしらせて応じ、馬腹を蹴る。

 肉薄する。

 敵が戟を横に構える。

 フレデリカは進行方向に切っ先を向けたままだ。

 槍が斜めに薙ぎ払われる。フレデリカは己を信じ切っ先を向けたまま駆けていた。

 二つの衝撃がフレデリカを襲った。

 一つ目は肩鎧が拉げるもの。もう一つは、槍の先が敵将の鎧を貫き、柄の半ばまで入ったものだった。

「我が威勢を恐れぬとは見事なり」

 雷獣は馬上から転落し、自らの血の池の中で事切れていた。

 フレデリカは震えていた。

 やった、やったぞ、サーディス!

「雷獣はこの通り私が退治した!」

 西の国の将兵が歓喜と鬨の声を上げた。

 戦の幕開けとなった。



 二



 夜の練兵場には誰もいない。

 騎士という身分のため多少の家の政務や要人の護衛には追われるため、武器を握れる時間は限られていた。

 フレデリカは戟を振り回す。規則正しく、一度一度に気合を入れて。

 息はすでに上がっている。だが、彼女は続けた。意地だった。この闇夜の練兵場に溶け込む様な黒い鎧兜を身に着けた男が見かねるまで、続けるつもりだ。

「お嬢さん、肩が下がって来た。もうおしまいか?」

 こちらの荒い息遣いに返って来た声は半ば楽しむ様な男の声だった。

「戟の刃が斜めに傾いている。しっかり持て」

「分かった!」

 フレデリカは更に根性を絞り出し戟を振るう。

「初めての割にはキレが良い。槍に剣に日頃から親しんでいる賜物だろうな」

 そうしてタオルを投げてくる。

 その影を受け取り、フレデリカは半身を屈ませてようやく荒い呼吸を腹の奥底から吐き出し、肩を上下させていた。

「体を冷やすなよ。この国の勇者はお前だけだ」

 サーディスはそう言うと近付いてきた。

「ちょっと拝借」

 そうして雷獣の物だった鋼鉄の戟を持ち上げ、縦横無尽に振るって見せた。

「なるほど、軽いな」

 台詞同様軽快な口調でサーディスは言った。

「サーディス、冗談は止せ」

「冗談? お嬢さん、甘いな。戦場で武器を失ったとしよう。で、だ、偶然手に入ったのがこれだけだったらどうする?」

「それは、言うまでも無いそれを使う」

「だろ? だったらたかが三百の素振り程度でへばるな。明日は五百だ」

 サーディスが言った。

 これが私に剣を槍を、戦いというものを教えてくれた男、サーディスだった。

 流れの傭兵で戦場を転戦しているらしいが、ここが気に入ったのか、この国に滞在している。

 サーディスを知ったのは窮地を助けられた時だった。

 思い出す。軽率な行いが多くの大切な命を散らせてしまった罪深い戦だった。まだ名ばかりの騎士であった自分が戦場の高揚に踊らされ、迂闊に前進し、兵も従者も次々討たれ、今度は戦場の恐怖に腰を抜かしそうになっていたときだった。

 黒い影が割り込み、二つの剣を持って凶刃を次々防ぎ、脅威を排除し、私を救ってくれた。サーディスとの出会いだ。

「退け! お前を守って死んでいった者達のためにも生き延びろ!」

 戦場深く斬り込んでいた私は、危うく安堵で失神しそうになったのをサーディスに頬を打たれて目が覚めた。

「退けと言ってるんだ! 道は俺が作る!」

 サーディスは口で手綱を咥え双剣を振るって敵の壁を切り崩し、私を安全圏へと脱出させた。

 黒い鎧は血みどろだった。

「待たれ、貴公!」

 役目を終えたと踏んだのかサーディスは無言で陣中から去ろうとしていた。その背を私は思わず呼び止めた。そして次の瞬間には自分でも信じられぬことを口走っていた。

「私に剣を! 戦いを教えてくれ! 頼む!」



 三



 一合打ち合った。

 何でこうなったのだ。

 二合、三合、鋼の音が木霊する。戦場のあらゆる音の中でこれだけ鮮明に聞こえるのは不思議なものだった。

 四合、五合。

 相手が笑う。

 十合。

 黒い鎧兜に身を包んだ相手は槍を惜しげも無く叩き込んで来る。

 受ける度に肩が痛む。足が滑り革の靴底が大地を浅く抉り続ける。

 目の前の男は本気で私を討つつもりだ。その呼吸、動作、哄笑が意味するところに確信を得る。

「何故だ、何故、私の前から去った!?」

 十五合目。戟と槍越しに私は詰問した。

「腕を上げたな、お嬢さん。だが」

 十七、十八、十九、嵐のような突きを、戟を振るい、全てさばききる。

「ここは戦場、俺はお前の敵だ」

 二十合目、轟雷のような斬撃を受け止める。

「サーディス、何故!?」

「忘れたようだな、所詮俺は流れの傭兵ってことだよ。戦いしか能の無い、それでしか食って行く術を見出せない、それが俺だ!」

 二十一、二十二、二十三。

 戟は槍と打ち合った。サーディスは全て急所を狙ってきている。得物を振るってはいるが、サーディスの腕の前では防戦一方であった。

 二十四。

「本当にそうか?」

 黒い兜の下で目をギラつかせながらサーディスが問う。

「何がだ!?」

 私は声を上げて応じる。

「お前は俺に勝てないと思っている。良いのか、それで、矢面の兵みたいに呆気なく死ぬぞ?」

「貴様は私の師だ! 勝てるわけがない!」

 すると重々しい風を孕んだ薙ぎ払いが打ち込まれた。

 二十五合目。

「俺に戻って来て欲しいか?」

「当たり前だ、サーディス!」

「俺を降参させてみろ。そしたら俺は戻ってやる。子飼いの兵でも庭師でも何でもやってやる」

「その言葉に偽りは無いな?」

「槍に誓って」

 サーディスが応じた。

 その途端、私は身体の底からまだまだ力が溢れてくるのを感じた。

 二十六、二十七、二十八、二十九、三十!

 咆哮を上げ、サーディスに斬りかかった。

「そうだ、その調子だ」

 渾身の突きをサーディスは弾き返しながら笑う。

「うわあああっ!」

 サーディスが欲しい! サーディスを取り戻す! 彼は師だ。そして私にとって大切な男だ。

 三十一、三十二、三十三!

 サーディスも応戦する。鋭い突きと突きが交錯し、滑った刃がサーディスの黒い鎧を掠める。

 私の心臓はドキリとした。

 気付いてしまったのだ。サーディスに勝つ、つまり彼を取り戻すということ、それは彼を討たねばならないということだ。

「生半可な一撃は通じぬぞ!」

 サーディスが槍を振るう。穂先が月牙とぶつかり火花を散らした。

 私は武器を落としたい気分だった。一時的に湧いてきた溢れんばかりの力が抜けてゆく。

「どうした、踏ん張れ! 俺が欲しいんだろう?」

「サーディス、もう止めよう? なぁ、止めてくれ」

 涙が溢れ出ていた。

「泣いても喚いても戦場で助けは来ない! しっかりしろ、それでも騎士か、フレデリカ! 俺の教えを継ぐのはお前だぞ!」

 三十四合目、サーディスの気迫ある一撃の前に戟は落ちた。

「拾え!」

「嫌だ! 戻って来て、サーディス!」

 私は両手を広げた。

「武器を拾え、戦え、フレデリカ! 戦うんだ! 敵を討て!」

 その時、サーディスが咳き込んだ。口元に当てた手の指の間からそれは滴り落ちてきた。大量の血だった。

「サーディス?」

「もう駄目なのさ。身体にガタが来てる。まだ若いはずなんだがな」

「どういうことだ、サーディス?」

「俺でも病魔には勝てないってことだ。もう長くない。だからお前に色々教え込んだ。俺が学んだ全て、ちっぽけかもしれないが、それさえ残せれば、俺は満足なんだ。だから戦え、フレデリカ、お前は殺せる。俺が俺を殺せる騎士に育て上げたんだ。俺に見せてくれ、俺の教えが無駄になっていないかを!」

 私は戟を拾った。

 サーディスは死ぬ。彼の意志を継ぐのは私しかいない。そして意志を継げる資格があるかどうかをサーディスは命を投げ出して確かめようとしている。

「サーディス! 覚悟!」

 三十五合目が木霊する。

「良い一撃だ、フレデリカ! これならどうだ?」

 三十六、三十七、サーディスの突きと薙ぎ払いを私は受け止め弾き返す。

 三十八。私は咆哮を上げて突きの一撃を入れる。

 サーディスの左肩に直撃した。

 自分でも呆気なく思った。

 サーディスの左手が曲がり、彼は苦痛で呻いた。

「サーディス!」

「油断だなアッ!」

 サーディスは槍を捨て右手で剣を抜いていた。

「死なない限り戦いは終わらない。それが俺がお前に教えた戦場のはずだった! 違うか!?」

「その通りだ!」

 三十九合目。今までで一番、鋼が鳴り響いた。

 サーディス、片腕でもここまでやるか。

 彼は口元をニヤつかせた。私は知っている。これは彼が喜んでいることを。

 剣鬼となったサーディスは凄まじい勢いで剣を振るい続けてきた。

 四十、四十一、四十二、そして四十三!

 再び鋼が鳴り響いた。

 私も口元を歪めていた。

 サーディスも気付いてくれたろうか、私はこの瞬間、彼と心が通ったような気がして嬉しかったのだ。

 だが猛襲は続ける。

 四十四、四十五、四十六、四十七!

 私と彼は共に攻勢に徹していた。攻撃こそ最大の防御という奴だろう。私には彼の剣の軌道が見えていた。次に何が来るのか読めていた。だから!

 四十八合目、気合の一刀両断はサーディスの剣を圧し折った。

「忘れるな、戦場では!」

「死なない限り、戦いは終わらない!」

 私は薙ぎ払った。サーディスの手の中にある中途半端に残った刀身が圧し折れた。

 私は戟を振り下ろしていた。全力で。

 五十合目、月牙はサーディスの首元から鎧を割り斜めに体に食い込んで止まった。

「よくやった」

 サーディスはそう言うと倒れた。

「サーディス!」

 私は駆け寄った。後悔はしていない。涙も流れなかった。

「私はどうだった?」

「合格だ。俺の築いた、ちっぽけなものを、よろしく頼んだぜ。フレ、デリカ」

 サーディスの目から光が消え失せた。

 私は彼の両目に手を当て閉じた。穏やかな死に顔だった。

「お前の意志、確かに引き継いだぞ、サーディス」

 途端に騒がしい戦場の音が木霊した。

 私は立ち上がった。

 師であり敬愛し、愛していた男の亡骸を一度振り返ると、私は戦場へと駆け込んで行ったのだった。

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