第16話
そうして。その日の夜になった。
時刻は二十三時頃だ。夜更かしが得意な俺にとってはまだ、これからが夜だと言ってしまっても良い。普段なら、夕飯を食べて風呂も上がって、宿題なども消化しながら、そろそろネットサーフィンを始めようかと思うような時間である。
が、今日ばかりは俺らには役目が与えられているわけで。ミケと二人で家を出て、真宮家の玄関先を訪れていた。
今日の祓いに対して指定されている場所は、俺らと円らで同じだった。そういうわけで、『こんな夜中に女性だけで外を歩かせるんじゃない』というハナの主張を受けて、俺らが真宮家に迎えに行くという格好になったのである。
まあ、俺だってハナに言われずともそうすべきだと思っていたんだが。
――とにかく。そうして俺ら四人は合流して、祓いへと向かうのだった。
「その影が指定したのは、ここなんだな?」
しばらく歩いた俺たち四人は、近所の公園の前まで来ていた。
大通りから外れて住宅街の奥まったところにあるその公園は薄暗く、人の気配がなかった。昼間は親子連れで賑わう、少し大きい公園のはずなのだが。
「うん、そうだね」
円が、緊張を隠しきれない様子で頷いた。
これから起こる未知の出来事への不安が彼女をそうさせるのだろう。俺も、少し肩を強ばらせつつ足を進める。
一歩。公園の入り口を踏み越えたとき。空気が変わったのが分かった。風が完全に凪いでいる。そして、改めて感じられる春先の夜の涼しさが、足元から這い上がってくるかのようだった。
俺の隣を歩くミケが、落ち着かないように首を動かして、周囲を警戒していた。
「吹き溜まり……」
後ろを歩くハナがボソッと呟くのが聞こえて、俺は振り返る。
仕草から、俺の疑問を感じ取ったらしいハナが、自身の独り言に補足した。
「いえ、影が昨日仰っていたのですよ。街の中は気の流れで満ちていて、ケガレはその流れが悪い場所に自然と集まってくるのだ、と」
「それが、吹き溜まりってことか」
肌に張り付くような粘性の高い空気感が、その言葉を密かに肯定しているようだった。何か淀んでいるような雰囲気が、この公園にはあった。
俺たちはそのまま、公園の中を進んだ。数分歩いて、木々に囲まれた広場のような場所に出る。広場の中央には、滑り台や砂場などの遊具が設置されていた。
いつその時が訪れるのかと思って。ここまで周囲を見回しながらハラハラと歩いてきた俺たちだが。それに最初に気付いたのはミケだった。
「あっ――」
という声とともに指し示されたミケの指先を追うと。そこにあるのは砂場だった。
その砂場の中の砂が、風もないというのに、渦を巻きながら煙のように立ち上がり始める。
あっという間に俺の背丈ほども舞い上がった砂たちが、集団的な挙動でゆっくりと移動を開始した。砂でできた竜巻が、人が歩くよりも遅いようなペースで、少しずつこちらへと近づいてくるのだ。
「――っ、これが影のいうケガレか?」
誰もケガレがどのようなものであるかは教えられていないが、しかしこれがケガレであろうということは火を見るより明らかだった。
砂嵐が近づいてきた分だけ、こちらは後ろへ下がる。わずかながら、俺は円の前に出るように立ち位置を動かして、そしてミケとハナに目配せする。
ミケもハナも、動揺していたのは一瞬だけで、俺の目配せに対してすぐに頷いた。
二人とも変身のための道具を取り出して、胸に抱く。二人の姿を、眩い光が包んで、俺は思わず目を細める。
その光が僅かの間を開けて止むと――。
そこにあったのは、白と赤の巫女装束を纏う、ミケとハナの姿だった。
「巫女ってホントに巫女なんだな」
俺が独りごちる横で、急アクセルでテンション上がっている奴がいた。
「み、巫女さんの格好したハナちゃんも可愛い!!」
――円である。
そういえば、コイツはペットに色んな格好をさせるのが好きな人間だったな。
しかし、そのテンションの上昇に意味はあったようで。
言葉を受けて、ハナの身体が数秒だけ仄かに光った。
「これが……、その力のようです」
ハナは不思議そうに自身の身体を眺めた。
そして、ふと思いついたように、砂嵐のほうを指差す。
砂嵐は、変わらないペースでじわじわとこちらに近づいていた。
「えいっ!」
ハナが短くかけ声を上げた途端、ハナの指先から光の筋が迸った。
それが砂嵐に直撃して。その勢いで、砂嵐は身を捩りながら数十センチほど後退する。
「効いているみたいね」
しかし、少しの間怯んだだけで、砂嵐は再びこちらへと進み始めた。
「ダメージが足りてなさそうだ」
「もっと愛情表現をしなくちゃダメってことかな?」
「そうかもしれない……」
「ハナちゃん! こっち来て」
円は躊躇うことなくハナを呼んだ。その声に反応して、巫女装束をはためかせながら、ハナが円の元へと寄ってくる。
ミケのほうも、それに合せて俺の目の前へとやってきた。
これは「自分に対して愛情表現をしてくれ」というミケの意思表示なのだろうか。
たぶんそうなのだろうが、いつもと異なる装いのミケに上目遣いで見上げられると、心臓が脈打って、何をしたら良いのか分からなくなってしまう。
えーと、えーと、とりあえず、円の真似をして服装が似合っていることを伝えれば良いのか?
ミケは、相変わらず何かを期待するように上目遣いでこちらを見るだけだ。
――頬が熱い。
「ミ、ミケ……その……」
俺が言葉を発しようとしたときだった。隣から、つまりは円とハナのいる方から、再び眩しい光が差し込んでくる。
出鼻を挫かれそちらを見遣ると――。
「はああ、ハナちゃん可愛いねぇ。クレオパトラも真っ青の世界一だよ~」
「有り難いお言葉です!! ご主人」
円がハナの顎に左手を添えながら、すごい勢いで右手で頭を撫でていた。ハナも俺には見せたことのないようなトロンと緩みきった瞳でそれを受け入れている。
二人の間で交わされる確固とした愛情表現が、ハナに力を与えているところだった。
……コイツら、恥じらいはないのか?
まあ、状況が状況なだけに、躊躇っている暇はないわけだが。
それに、別に飼い主とペットの関係だったらこれくらい普通なのかも知れないが。
「ご主人、では行って参ります!」
俺が気圧されている間に、十分に力を蓄えたハナが砂嵐の方に向き直って、再び指を向けた。
「これで終わりです」
今度は一抱えはありそうな光の球が指先から打ち出されて、それが砂嵐を襲う。
光球は着弾とともに弾けて、砂嵐を跡形もなく吹き飛ばした。
ケガレらしきものは霧散した。
「ご主人! 成し遂げましたよ!!」
ハナが回れ右して、円に飛びつく。
「うんうん、ハナちゃん流石だね、偉いね」
それを撫でる円だった。
全く俺とミケの活躍する場面がなかったが、どうやらこれで祓いは終わりらしい。
まあ、初めてだし仕方ない。活躍できないこともあるだろうさ。
そう思ってミケのほうに向き直ってみると、彼女は大層不満そうに頬を膨らませていた。
「ふーん。あんたは、大事なペットが珍しい衣装を着たのに、何のコメントもないんだ?」
「え、いや、それは……」
しかし、そこで何を思いついたのか。彼女は膨らませていた頬を戻すと、ニコっと口角を上げた。
「もしかして、私のこと女の子として意識しちゃったから何も言えなかったのかしら?」
「ぐ……」
事実なので何も言い返せない。
「ふーん、じゃあ、私の目的は叶いつつあるのかしらね。そういうことなら、今回は許してあげるわ」
調子に乗らせてしまっているな、これ。手玉に取られているようで癪だ。
そうして会話が切れたところで。ふとミケが視線を俺から外して円たちのほうを見た。ミケの身体が強ばった。
「二人とも避けて!」
鋭いミケの叫びに釣られて、俺も円たちを視界に入れて、驚いた。
密度の高い砂の塊が大蛇のように連なって。円たちを狙うように鎌首をもたげていたのである。
円とハナもミケの声を聞いて周囲を見回して、状況に気付いたようだった。
そこから一拍遅れて、砂の大蛇が円たちに飛びかかった。
大蛇の顔が地面を打つ音が響く。巻き上がる土煙の中から、円をお姫様抱っこのようにして抱えたハナがこちらに飛び出してきた。二人とも無事のようだ。
「まだケガレは祓い切れていなかったってことか?」
「私たちはこうして二組呼ばれたわけだし、元々ケガレも二つあったのかもしれないわ」
ケガレが可算名詞なのかはよく分からんが。とにかく二つ目の塊が現れたことは確かなようである。
砂の大蛇は、執拗にハナたちを追い回していた。頭突きをしてきたり、尻尾で絡めとろうとしてきたりするのを、円を抱えたハナが軽い身のこなしでいなしている。
ハナは犬の運動神経を引き継いでいるのかもしれない。
図らずとも、彼女らが囮となって、俺らには大蛇の攻撃が向いていない状態であった。
円を抱えた状態でのハナがどれだけ体力が持つのかは見当がつかないが。
今の攻撃を躱し続けている状況をそのままにしておくのはまずい。
そうなると、今の俺とミケのやるべきことは明白だった。
大蛇の攻撃がハナと円に向いている間に、力をチャージして、俺らであの蛇を祓うのである。
どうやら、役立たずで終わらずに済みそうだった。
俺は、一回深く息を吸って吐いて、心の準備をする。ミケのほうにその準備はあるか知らないが、まあ先刻からかわれた分をやり返すのだと思えば、むしろ準備がないほうが良いくらいか。
「ミケ」
俺は真面目な顔で、ミケの腕を取ってこちらへと引き寄せた。
「ひゃっ」
ミケの華奢な身体が抵抗なく俺の胸の中に収まる。
それを優しく抱き留めて、ミケの顔を覗き込んだ。
「さっき言ってたことは図星だよ、ミケ」
「きゅ、急に何……?」
困惑の色が浮かぶ瑠璃色の瞳。
俺は彼女の髪の毛を撫でた。
「ミケのこと、女の子と意識しちゃって、うまく褒められなかった」
「―――っ」
ミケの顔が、瞬間的に朱に染まった。
これは効いているな。
「巫女装束、似合っていて可愛いよ」
「あ、あり、がとう」
ミケの体に、淡い光が灯る。力が、蓄えられた証だ。でも、もう一息。
今回の大蛇はさっきのと比べてサイズも大きいし、砂も詰まっていて堅そうだ。
なるべくたくさんの力をチャージしたい。
そこで、ミケの頭に自分の顔を寄せて、つかぬ事を聞いてみる。
「ミケ。俺にとって最上級の親愛の証として、猫吸いというものがあるんだが――」
ミケの身体がピクッと震えた。
「吸ってもいいか?」
「……なんで聞くのよ?」
「今朝は『ビックリした』って言ってたから。もしかしたらちゃんと許可取ったら許されるのかと思って」
「……。い、いいわよ」
「オッケーってことだね」
改めて確認を取って否定が返ってこないことを確認してから、俺はミケの髪に顔を埋めた。
控え目ながら息を吸い込んでみると、嗅ぎなれないシャンプーの匂いが鼻腔を満たした。これは、昨日の真宮家でシャワーを借りたからだろう。
顔を上げて、ゆっくり息を吐きだしていると、ミケがボソリと呟いた。
「あんたって……、ヘンタイよね」
夜の公園には薄暗い月明かりしか届いていない。しかし、ミケの身体が強く光を放つようになって、彼女自身の様子がよく分かった。
ミケの頬がまるで提灯のように、真っ赤になっている。
「これでたっぷりと力が貯まったんじゃないか? ミケもドキドキしただろ?」
俺がいたずらっぽく笑いながら、ミケの身体を胸から離す。
「な! やっぱりわざと私のことドキドキさせようとしてたわね!」
「さっきの仕返しだよ」
「力を貯めるのに私のときめきなんて関係ないのに、―――いじわる」
「まあまあ、そんなことより、祓いのほうに移ろう」
俺は、ハナと円のほうへと視線を送った。
すぐにミケにもシリアスな雰囲気が戻る。
「ええ、そうね」
ミケは二本の脚でしっかりと地面を踏み締めると、指先を大蛇のほうへと向けた。
俺とミケが身体を張った甲斐があって、ミケの身体は先ほどのハナよりも強く発光していた。心なしか、巫女装束も風なしに揺らめいているように見える。
「ハナ、こっちに来て!」
ミケが叫んだ。
円を抱えて飛び回っていたハナが、こちらに気づく。光るミケを見てすぐに意図を汲んだのか、こちらへと一気に走りこんできた。
それを追うように、砂の大蛇も身体を伸ばしてこちらに向かってくる。
ミケとハナと大蛇の身体が、一直線に並ぶ格好になった。
「三秒後に行くわよ」
「了解です」
ミケの指先はまっすぐハナのほうを向いていて。そのままハナを突き抜けて、大蛇の顔面をピッタリと狙っていた。
「さん、に、いち」
ミケの合図とともに、ハナがサイドステップで飛び退いた。
その空いた場所を、ミケの指から放たれた極太のレーザービームが穿つ。
レーザー光は大蛇の頭から尻尾までを一直線に串刺しにした。
次の瞬間に、大蛇は勢いそのまま弾け飛んで。意思を失った砂が、雪崩のように足元まで転がってきた。
ミケが緊張から解き放たれるかのように、地面に膝をつく。
「ミケ!」
心配した俺が正面に回り込むと、彼女はサムズアップして笑った。
「やったわ」
「ああ、さすが俺の愛猫だ」
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