第15話

 ずっと二階の廊下で会話をしていた俺たちは、話が一段落すると、一階に降りて、ダイニングで円たちの帰りを待った。ダイニングには四人掛けのテーブルがあった。俺がそのうちの一つの席につくと、ミケは黙って俺の斜向かいの席に座る。

 何とも言えない沈黙が流れた。ミケは何だかこっちを見ようとしないし。俺も今この瞬間にどんな話題を選ぶべきなのか分からなくて、口を開くことができない。

 ミケは、さっきまでの会話を思い出して恥ずかしがっているのかも知れないな。肉食な雰囲気はどこへやらだ。

 ――まあ、このミケの素っ気ない態度を好意的に解釈するなら、という話だけれども。

 でも、さっきの会話を受けてまで、ミケの態度を悪意的に取ろうというのは不誠実このうえないだろうとも思う。せっかく腹を割って、天邪鬼な気性を抑えてまで、彼女の思っていることを伝えてくれたのだ。俺だって、これを疑うほど人間性は悪くないはず。

 そういう目で見てみると、どこかの床を眺めているミケの頬は、まだほんのりと赤みを帯びているような気もした。

 それに気付けば、この沈黙も不思議と居心地は悪くない。くすぐったいような気分だ。

 俺も敢えて口を開こうとするのはやめた。

 愛情を持って接した相手から、愛情が返ってきたとき、それが嬉しくないわけがない。このくすぐったさは、そういう嬉しさに起因しているのだろう。

 ただ、俺にはその愛情が示すものが何なのかを分類する解像度がなかった。この気持ちは、家族に対するものなのか。――それとも。

 しばらくして。真宮家の玄関の鍵が開く音がした。そうして、二人の足音が、家の中へと入ってくる。

 円が、すぐにダイニングの扉を開いて、こちらに入ってきた。

 彼女の顔に安堵の笑みが浮かぶのが見える。

「ふふ、仲直りできたんだね~」

 まるで弟か、下手したら息子に対して言うような、「よくできました」というニュアンスの言葉に聞こえたが、まあ実際のところ円とハナの全面協力があってたどり着いた結果である。

 こちらとしては頭が上がらない。

「ああ、おかげさまでな」

 そう返して、ちらっとミケのほうを見遣る。ここでもまだミケの素っ気ない態度が続いていると、仲直りがあまりうまく行かなかったのかと誤解させてしまうのではないかと心配になったが。

「お騒がせしてしまって、悪かったわ」

 ミケは席を立って、テーブルを回り込むと。俺のところまで歩いてきて、腕を絡めてきた。俺と。

 ――……!

「今はもう、この通りだから」

 ミケの口元が、小さく笑っている。

「うんうん、一件落着だ。これで気兼ねなくハンバーグパーティーできるね!」

 俺らの様子を見た円は一人で頷いて。

「よし、じゃあ早速準備しちゃおうか」

 手に持った買い物バッグを掲げて、俺らとハナを見回した。

 俺らがうまく仲直りできたと伝わったようで何よりだ。ただ、全てが全て状況が正しく伝わってしまうのも、ちょっと問題があるような気がするのだけれども。俺がペットを女の子として意識してしまうかもしれないという状況は、傍から見たら健全には見えないだろう。

 今のミケの行動から、どれくらいの距離感を想像したのだろうか。

 未だに腕に絡んでいる熱を意識から閉め出して、俺は平静を装う。

(ハンバーグの話、覚えてくれていたのね)

 耳元で、ミケが囁いた。

 首筋にぞわりとしたものを感じながら、俺はミケのほうを向く。

 おいおい。あんまり距離が近いと不審に思われるんじゃないか?

 ――いや。ペットとの距離感という意味では、むしろ近いくらいが普通なのか?

 装うべき平静が分からなくなりつつあった。

 ただどちらにせよ、ミケが素直だと不自然には違いないんだよな。気付かれないといいが。

 ひとまず俺は、円たちにも聞こえる声で、ミケに返事をする。

「ああ、そりゃな」

 そうして自然にミケの腕を振りほどいて立ち上がった。

「俺たちも、ハンバーグ作り手伝うぞ」

「ええ、当然よ」

 ミケは両手で拳を作って、やる気を表明した。




 円が作ろうとしているものは、ハンバーグはハンバーグでも、トマト煮込みハンバーグだった。一度ハンバーグを焼いた後に、トマト缶などをフライパンに入れて煮込みにするものだ。

 手伝うと言ったって、並行して行うべき作業があるわけでもなさそうなので、そんなにやることもないのだが。まあせっかくなので、皆でちょっとずつ担当して作業を進めようというところだ。円の指示に任せて、俺らは調理を始める。

 挽肉を捏ねてタネを作るのは、ミケの仕事になった。ダイニングテーブルにボウルを持っていって、熱心に捏ねる。

 その間に、キッチンで円は手早くお米を洗って炊飯器に入れ、早炊きのセットをした。

 ミケが捏ね終わったら、俺とハナも加わってタネを成形する作業に入る。円はトマト煮込みに入れる具材を切って下ごしらえをしているようだった。

 フライパン係は完全に円に任せることになった。成形した生ハンバーグたちをフライパンに載せ、円は中火で火を通していく。

 その様子を、残り三人はダイニングのテーブルから眺めていた。

 俺の隣にはミケが座っていて、心なしか、普通に座っているにしては距離が近い気がする。

 それに気付いてか気付かずか。

「改めて、いかがですか? ご主人の料理の手際は」

 まるで自分の手柄かのように、ハナは俺に話を振ってくる。

「いやー、さすがとしか言えないな」

「ご主人のご両親はお店のほうでお忙しいですからね、私がこの家に来たときは既に、毎日の夕食はご主人が作っていたんですよ」

 なるほど。それは上手なわけだ。

 ハナがミケのほうへ流し目を送りつつ、変なことを言い出す。

「三神さんとしても。やはり、嫁にもらうならご主人みたいに料理が得意な方が良いですよね?」

 ……。

 急に何だ。俺はどんな返答を求められているんだ。

「ちょっと、どうして私のほうを見てそんなこと言うのよ」

「いえ、別に。他意はありませんよ?」

 ミケも過剰に反応していた。

「わ、私だって、料理くらいできるんだから!」

 ――朝飯を焦がしていたのは、言わない方が良いだろうな。

 ていうか、なんで今度はハナがミケに喧嘩を売っているんだよ。ハナもミケの料理の腕前は知らないはずだが……、まあこの円よりも上手いはずがないと確信しての攻撃だったのか。

「まあ何でもできるに越したことはないだろうけど」

 とりあえず、場を取りなすために適当に話をまとめておく。

「料理が特別に重要ってこともじゃないんじゃないかな。今時女子だけが料理するってわけでもあるまいに」

「ふーん、ソーデスカ」

「うんうん、そうよね!」

 俺の優等生的かつ詰まらない回答に、不満げなハナと満足げなミケであった。

 そんなしょうもない話をしながら過ごしているうちに、キッチンタイマーが鳴った。

 いつの間にか、ハンバーグを焼く工程は終わっていて、煮込む工程も終わりに差し掛かっている。

 その音を聞いて、ハナが何か思いついたように。勢いよく立ち上がった。

「……? どうしたんだ?」

「三神さん、ちょっと来て下さい」

 ハナに腕を引かれて、ミケを残して俺も立ち上がる。

 そうしてそのまま、ハナと二人でキッチンに回り込んだ。

 キッチンでは、円がフライパンの蓋を取って、トマト煮込みに塩を足そうとしているところだった。

 火に通ったトマトの香りが、食欲をそそる。

「ご主人、味見をしたほうがよろしいんじゃないですか?」

「確かに、せっかくミノくんとミケちゃんにも食べてもらうんだもんね」

 菜箸か何かを取ろうとして、円が塩の小瓶を置こうとしたが。

「少しお待ちください」

 それをハナが制止した。

「これから足すかもしれませんから」

 そして、キッチンの引き出しからスプーンを一つ取り出して、俺に持たせる。

「ご主人は両手が塞がっているので、三神さんが食べさせてください」

 円の左手にはフライパンの蓋が。右手には塩の小瓶が握られている。

「いや、お前がやれよ」

 ハナに押されて円に近づく俺。

(というか、お前は俺のことが嫌いなんじゃなかったのか?)

 なんでお前の大事なご主人に近づけようとするんだ?という俺の小声の問いに。

(私は、ご主人を不快にするものの敵で、ご主人を喜ばせるものの味方ですよ)

 ハナは意味深に答えて、それ以上は語らない。

 コンロの前に立つ円のその隣までやってきてしまった。

 円は展開が掴めず、目を白黒させていたが……

 ええい。やれば良いんだろう?

 俺はフライパンから雑に、ドロッとしたトマトのスープを掬って、円の顔の前に突き出す。

「ん」

 円は、俺とハナとを交互に見て、躊躇っている。

 こっちも恥ずかしいんだから早くしてくれ。

 意を決したのか。

「あーん」

 円がキツく目を閉じながら、小さく口を開けた。

 白い歯がチラリと見えて。その奥まで見えそうになって。 

 俺は急いでそこにスプーンを突っ込んで塞いだ。

 何をやらされているんだ、俺らは。

 恨みがましく後ろを振り向くが。ニコニコ笑うハナが視界に入るだけだった。

「うーん、大丈夫……かな?」

 スプーンから口を離して。なぜか自信のなさそうな円の声がする。

 もう一度円のほうを見遣った。

「うん、これで良いでしょう」

 円がフライパンをじっと見つめながら、言い聞かせるようにそう言って、火を切っていた。

 まあ、良いなら良いんだ。

 俺は役目を終えたと見て、そそくさとダイニングテーブルに戻る。

 椅子に腰掛けた瞬間。――隣から、椅子の脚を小突かれたのが分かった。

 

 


 ハンバーグが完成して。俺ら四人はテーブルに座って早速昼飯を食べ始めた。

「さっすがご主人、ほっぺたが落ちてしまいそうです! 塩加減もバッチリですし」

「お肉とトマトってこんなに合うのね……」

 ハナもミケも、初めて食べるハンバーグを絶賛していた。

 途中、ハナのせいで変な空気になったりもしたが。美味しい料理のおかげで和やかに食後を迎えられた。

 ホッと一息、暖かいお茶を飲みながら、日曜日の昼下がりを堪能する。

 ――が。そういえば、日曜と言うことは。

 すぐに思い出したことがあって、俺は姿勢を正しながら、円に話を振る。

「円は、『祓い』について新しく何か聞いていないか? 結局よく分からないまま当日を迎えてしまったんだが、どうすれば良いんだろうな」

「そうそう、その話をしなくちゃいけなかったんだよ」

 円も思い出したように、俺の問いに乗っかってきた。

「実は、昨晩またハナちゃんと夢を見てね。影から今日のことを聞いたんだ。余計なことを気にしなくて良いように、ミノくんたちには仲直りが済んだ後に言おうと思っていたんだけど」

「影は何て言ってたんだ?」

「『三神の組については両者とも眠りが浅く、妾の世界へ引き込むことができんかった。お主らが起きた後に代わりに伝えておいてくれ』って言っていてね」

 影の、頭に響いてくるようなしゃがれた声を、それとなく真似する円だった。

 昨晩の俺は、考えることが色々あって。

「確かに、なかなか寝付けなかったからな、なるほど」

「で、『祓い』の内容についてなんだけど」

 それから、影から伝えられた内容を、円は俺たちに教えてくれた。

 まとめると。

 その影が指定する場所に夜中に出向いて、そこに立ち現れるというケガレ――形は時によるらしい――を祓うというもの。そのためには、ミケやハナが巫女に変身して、聖なる力をケガレに浴びせればいい。らしい。

 変身?聖なる力?と俺が疑問に思ったところで、円はズボンのポケットからおふだを一枚出してきた。

「これを、ペットの大切なものに貼り付けると、それが変身グッズになるんだってサ。変身した後に、そのグッズに聖なる力を貯めると、それを消費してビームを撃てるみたい。今朝起きたら枕元に、ハナちゃんの分とミケちゃんの分で、二枚置いてあったんだよ」

 ――なるほど。随分と単純明快な設定である。

 円の手に握られているお札は一枚で、すでにハナは使ったらしい。

「ハナは何に貼ったんだ?」

 俺が聞くと、ハナは自身の頭を指した。そこには、メイド服によくある頭飾りが付いている。

「あー、それにしたのか」

 納得感の高い選択である。

「一度お札を貼ると、お札は見えなくなるみたいだね」

 円が情報を補足してくれた。

「ミケは、何に貼るか?」

「それはもう、決まっているわ」

 ミケは胸を張って言う。彼女は、ダイニングから一続きになっているリビングに移動すると、バッグを拾い上げた。昨日、水族館に行くときにミケが持っていたものだ。そして、その中から、一つの包みを出す。

 あー、それは。

「このストラップよ」

 昨日の帰り際に、お土産屋さんで購入した物。

「アンタが、私に買ってくれた物」

「そう言われちゃ、買った甲斐があるってものだな」

 やはり、正直なミケだった。

 何と反応するべきか分からず、俺は少し茶化した。

「うん、持ち運びやすくて良いんじゃないかな」

 円からも支持を受けて、ミケは満足そうにダイニングテーブルに戻ってきた。

 ミケが席につくのを見計らって、俺はもう一つ質問を投げる。

「で、『聖なる力』?を貯めるって言ったけど、具体的には何をするんだ?」

 それを受けて、円は、ハナと照れたように顔を見合わせた。

 なんだその間は。

 そういえば、以前に影が「愛で街を救え」的なことを言っていた記憶があるが……

 嫌な予感をさせつつ、俺は円からの答えを待った。

「飼い主とペットとの絆を言動で示す、んだって」

「……それはつまり、『可愛いよ~』って言ったり、撫でたりすればいいってことか?」

「たぶんね」

 ふーん、なるほど。

 ミケというペットに、そういう愛情表現をするなんて造作もないな

 ――――――――――――んてことはなくて。

 ……俺は、女の子の姿をしたミケ相手に、どこまで平静を保てるのであろうか。

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