呼ばれた者たち2
葉島航
第1話 桜庭
「君について、聞かせてほしいんだ」
僕は威圧的にならないよう努めながら、向かいに座る男を見つめた。
大柄な男だ。僕も平均的な身長はあるはずだが、座っていてもやや見上げがちになる。
男は黙ったままだ。拘束着と言うのだろうか、腕を巻き込む形で固められた上半身を時折左右によじる。
しばし待って返答がないことを確認し、僕は質問を重ねる。
「知っていたら教えてほしいんだけどね、君は洞窟のような場所に『呼ばれ』たことはある? そして、人間のような黒いものに会ったことは?」
言ってから、しまった、と思った。二つの質問を重ねてしまったからだ。これではどちらに答えてよいか分からず、相手がさらに口を閉ざしてしまうことにつながりかねない。
案の定、男は答えなかった。
僕はさらに問いを重ねる。鐘の音を聞いたことは。夜になるとどこか別の場所で目覚めることは。殺された経験は。
腕時計を見ると、約束の十五分が経過しようとしていた。これ以上尋ねても収穫はないだろう。
「長い時間ありがとう。失礼するよ」
立ち上がって扉の横にあるブザーを押す。院長らが待機する管理室でベルが鳴るはずだ。面接の終了時にはこのブザーで知らせるよう事前に言われていた。
「……ボエタ」
耳に小さな低い声が飛び込んできた。
振り向くと、男がこちらをじっと見つめていた。口は横に大きく開かれ、「にたにた」という擬態語がしっくりくるありさまだった。
「オボエタ。コトバ」
その声に抑揚は一切感じられない。だが、男はさも嬉しそうな表情をしているのだった。
「オボエタ。コトバ。マエ、オボエナイ」
「昔のことは覚えてないってこと?」
「ムカシ、オボエナイ」
男はうなずいて繰り返す。
僕が戸惑っているうちに、院長らが扉を開けて入って来た。
「先生、ありがとうございました。収穫はありましたか?」
まだ若そうな院長がそう言うが、何か聞き出せたのかと期待する響きはそこにない。面接の開始前に、ここへ転院してきてからコミュニケーションを図れたことは一度もないと彼は言っていた。意味不明な言葉を叫んだりうめいたりするだけなのだと。
僕は少しの間逡巡し、「いいえ、何も」と答えた。
「そうでしょうな」
「まあ、気長に向き合ってみますよ」
扉を閉めるとき、男はまた身をよじりながら、ぼんやりと空中を見つめていた。
小さくて閉鎖的な島の、不自然なほど大きな病院を出た。内科や外科の入った棟の横に、先ほどまで僕がいたカウンセリング棟――ここでは精神科病棟という名称が使われていないのだ――が併設されている。格子窓の向こうで先ほどの男がこちらを見ている気がして、つい視線を泳がせる。もちろん、そんな人影はどこにも見えない。
僕がこの島へやって来たのは二日前のことである。余暇としてではなく、れっきとした心理士の職務として。しかし、そこに多分な私情が挟まれていたことは否定できない。私情とはつまり、『ミズカラ』との戦いに関することだ。
僕は今、青少年犯罪の心神喪失を専門とする心理士として活動している。そのきっかけも、そもそもは『ミズカラ』に乗っ取られた人間のその後を調べ始めたことにある。
数十名を超える面接を終えたが、そのうち明確に『ミズカラ』が関係していると思われたのは二人――先ほどの男を入れると三人――だった。彼らは一様に口が重く、話したとしても語彙数が極めて少なかった。そのため、彼らの内的な状況を推し量ることは無理だ。
僕がそのような状態像の患者を探していると知り、昔からの知り合いがこの島の病院を紹介してくれたのだ。さらに、院長らへの口利きも担ってくれ、驚くほどスムーズに面接が実現した――戦果のほどは見ての通りだが。
ここへ来るには一日に二、三本しかない定期船を乗り継がなければならず、それだけで一日がつぶれてしまった。その労力は何だったのだろうと閉口する。
それにしても、と僕は思う。
患者たち――『ミズカラ』に入り込まれたと思われる患者たちの、このつかみどころの無さは何なのだろうか。
先ほどの男は「オボエタ。コトバ」と「ムカシ、オボエナイ」とだけ話した。その前に面接した女は結局口を開かなかった。さらにその前の女は、一番語彙力が残存していたのだが「ぜんぶ、知らない」の繰り返しだった。
結局、手掛かりは無いに等しいのだ。『呼ばれ』た先で命を落とした人間は凶行に走り、それ以前の言語能力を失ってしまう。
僕はため息をつく。
果てしなく広がる海上を、名前の分からない数羽の鳥が羽ばたいていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。