同級生

大和なでしこ

中学三年 卒業式

 記憶は劣化する。ぽいと机に投げ出しても構わない取るに足りない思い出も、掌中に大事に抱えていたい思い出も、何れも劣化して、細部が粉屑のように溶け出し、やがて芯の部分まで砂の城が砕けるように瓦解してしまう。砕け散った末には印象と共に濃く残った記憶の、部分部分だけが残る。もしかしたらこれも濃く残った記憶の欠片の、集積なのかもしれない。

 ずっと友達でいようね。

 私たちは笑顔でそう誓った。

 2000年。1999年にノストラダムスの予言で到来するとされた恐怖の大王は来ず、当たり前の日常の延長により人々はその手の話を忘れた。特に影響もされなかった私と美代と瑠夏の三人は昨日見た歌番組やキュートな動物番組やもっと卑近な生活の諸々を主な話題とし、膨大にあるかと錯覚してしまいそうな暇な時間をちまちまと潰していた。中学生の話す内容なぞ、概ねそのようなものだったと思う。

 冬晴れの三月の空は塗り込めたような均質な青で、太陽はまるで日本が南国であるかのように燦燦と輝き、透明に澄んだ光を私たちへと降り注いでいた。

 その日は卒業式だった。体育館での卒業証書授与を終え、教室で担任から最後の訓示を受け、そして私たちは中学校というシステムによる拘束から晴れて解放されたわけだが、未だ生徒の残る学び舎に残りだらだらと話し込んで式の余韻に浸っていた。

 その中で、ずっと友達でいようね、という言葉が、誰からともなく出た。

 美代の眉はやる気に吊り上がっていたし、瑠夏の目には確かな情熱があった。私たちは本気で友達を続けていく気でいた。少なくともこの時点では。

「全部今まで通り」と美代が言った。「休みの日は一緒に遊んで、普通の日にも、時には電話するの。長電話」

「うちは、親が厳しいからなぁ」瑠夏が目を伏せた。足元の枯葉を爪先で蹴った。「長電話は難しそう。でも、一緒に遊ぶし、電話もするよ」

「私も」私は言った。「私も、一緒に遊ぶし、電話もする」

 この時代にはまだ携帯電話は学生まで普及していなかった。なので、現代のようにメールやメッセージで簡単に繋がれるわけではなかった。遊ぶ約束も、お互いの家の固定電話に電話を掛けて、相手の親が出たら「美代さんをお願いします」と言って本人に繋いでもらい、それから取り付ける必要があった。そうしてようやく会うことができた。繋がりが、濃いようでまだ希薄な時代だった。

 私たちはこれから私たちが変わらないことを、様々な事例で確認し合った。一緒に遊ぶ。電話する。ゲームする。好きなテレビ番組は歌番組。流行りの曲は、あのアーティスト。その他。私も漠然ながら私たちの仲がずっと続くのだと信じていた。

 懸念がないではなかった。瑠夏が私立の偏差値の高い高校に進学するのに対し、私と美代は地元の公立高校へと進学するという、進路の不一致。通う学校が変わると、生活習慣も変わる。結果、私たちの間にずれが生じ、私たちは一緒にいられなくなるのではないか。

 その点に関して、私たちは十分話し合った。平日は会えないけれど、土日は絶対顔を突き合わせる。互いに交流を絶やさない。そうすれば、この問題点は乗り越えられる。それが私たちの出した結論だった。

 きっと大丈夫。

 私は心配していなかったし、美代も心配していなかった。唯一瑠夏だけが、今思えば歯切れが悪かった気もするが、真相は定かではない。記憶は劣化して、細部はあやふやになっている。

 突如として吹いた冷たい北風が梢を揺らした。外で立ち話をしていた私たちは肩を竦め、瑠夏の細身の体が、ぶるぶるっと震えた。

「寒い」

 言外に、そろそろ帰ろうと示唆していた。

 そんな瑠夏を美代は、切なそうに細めた目で見つめていた。

 美代は瑠夏が好きだった。それは友情を超えて、恋愛の意味での好意だった。或る日美代からそのことを打ち明けられた。驚いたが、何となく、漠然と、そうではないか、と思っていた面もあり、私は落ち着いて彼女の思いの披瀝を受け入れた。女の子同士が、という思いはあった。戸惑いはあったが、軽蔑や嫌悪はなかった。なぜなら、私も美代が好きだったからだ。そういう意味で私は美代を好いていて、そういう感情を私は理解できた。

 私が寄せる友情を超えた恋情を、美代は知らなかった。しかしその時の私は、それがそのまま片思いで終わっても構わないと思っていた。それがいいとさえ思っていた。思いを知ってもらうより、秘して隣にいたい、そう考えていた。

 とはいえ。

 瑠夏を切なげに見つめる美代を見て、この時の私は複雑な思いを抱いていた。その瞳が私に向けばいいのにと思っていた。美代を独占したい欲があった。もしかすると私は、瑠夏だけが別の高校に進学するという未来を喜んでいたかもしれない。美代の熱い視線が行く先を失うことを、密かに歓迎していたかもしれない。

 だが、瑠夏には勝てないと、これまた漠然と感じていた。私に彼女の代わりは演じられない。瑠夏は瑠夏だけれど、私は私でしかない。ならば、瑠夏に美代の傍にいてもらって、美代の恋心を満足させてもらったほうがよほど良いではないか。それが幸福というものではないか。そうも考えていた。

 真っ二つに引き裂かれた私の思いの、どちらが本物だったのか、今では思い出せない。記憶は劣化して細部は粉と消えている。ただ、もしかすると、あの日吹いた北風がもう一度私に吹き込んだ時、感覚器官から発せられた電気信号が脳を刺激して失われた前頭前野の記憶が蘇り、真実が分かるのかもしれない。そんな少女めいた夢想も、未だに持ち合わせている。

 北風に促され、慣れ親しんだ中学の校門を仲良く出た瞬間、私たちの運命は、紙が縦に裂けるようにいとも容易く千切れてしまったのだった。

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