side 杏里 秘密
買い物が終わり、一目惚れしたらしい兎の雑貨を買いに行った美来を待っているときのことだ。
「島田さん」
厳しい表情の蓮水くんが、あたしに声を掛けたのは。
さっきから、この人はあたしのことすら知っているような口ぶりで話してばっかりだ。こっちだって警戒してないとでも思ってるのかな。
あたしは忘れてない。鏡の向こうでこの人が、あたしに何者かと訊いてきたことを。
「何ですか」
目を合わせずに答える。
「鏡の世界の話」
あたしの前を人が歩き去って行く。蓮水くんはそんな人々の動きすら見定めるような視線で、前を向いたまま口を開いていた。あたしは答える。
「……追い詰めようとしても無駄だからね」
「そんなことまでは考えてない」
童謡をさとられないように身体を縮こませる。言葉だけは威勢がよくて空回りしてるみたいで、自分でも呆れてしまう。
「幾つか質問する」
蓮水くんはあたしに構わず続ける。
「神木さんとはどうして仲良くなった?」
「なんでそんなの、答えなきゃいけないの?」
思わずあたしは彼を睨んでしまった。温度のない蓮水くんの瞳には、あたしはどう映るのかな。
「彼女を傷つけようとか思ってないよね。復讐しよう、とか」
「馬鹿じゃないの?あたしがそんなこと思ったってどうにもならないよ。証拠もないくせに」
きつい口調になってしまった。……だけど、そうでもしないとあたしがあたしを保てないんだ。
あたしじゃないみたいなあたしが口を開く。これは――やっと気付く、これは、怒りだ。
頼むから、あたしの日常を壊さないで。あたしの正体を知ってるからって、騒ぎ立てないで。あたしは何もしてないんだから。
「そんなに美来が心配なら、一日中ついて回ったらどうですか?あたしに目を向けないで済むよ」
「そんなこと言ってるんじゃないよ」
「だったら、そんな八つ当たりみたいな質問やめてくれない?こっちの気持ちも考えてくださいよ。なにか知ってるなら、馬鹿みたいにそうやって何にも知らないあたしを巻き込まないで」
自分でもびっくりするような低い声が出る。
そのまま目を合わさずにいると、蓮水くんのほうがふっと息を吐いた。ご来店の・皆様に・おしらせです――アナウンスがぼんやりと流れる。
「……そうだね。今のは僕が悪かった」
あたしは足元をひたすらに見詰める。蓮水くんがこちらを向く気配がしたけど、向いてやらなかった。
「質問を変える。いいね」
気を引き締める。頷いた。
「島田さんは、幽霊だね」
目をきつく閉じる。頷いた。
「貴方はどこまで知ってるの」
「……はは、神木さんにも同じことを訊かれたよ」
驚いて目を開ける。あたしに対して、初めて蓮水くんが笑ったからだ。
「というか、何で知ってるの?結構怖いよ」
「怖い?」と、蓮水くんが笑ったような声を出す。
「一応、あたしの知ってる一番の秘密だから」
あたしが蓮水くんの方を向くと、彼はあたしを思ったより真っ直ぐに見ていた。
「鏡の向こうでも、多分僕は知っていたでしょ?」
「……はい。――まさか、蓮水くんも――」
「ご明察。それだけでよく分かったね」
心臓らしき音が不規則に早くなる。――状況が呑み込めない。え?っと、蓮水くんも、ゆう――
「僕は未来がわかる」
――え?
思わずまた彼を見上げると、蓮水くんは前を向いていた。
……ああ。美来と同じ、ってことか。
「え、じゃあ、蓮水くんも神様――……てこと?」
「え?ああ――いや、僕は今は違うよ」
「……神様じゃないけど、未来はわかる」
「そういうこと」
満足気に頷く。すると、今度はひどく真剣な顔でこちらを向いてきた。
「あのさ、島田さん――このことは、全部、神木さんには秘密にしておいてもらえないかな」
蓮水くんの目を見返す。
――よし、なら、交換条件だ。
「じゃあ、あたしの正体も秘密にしておいて」
確か、この状態をあらわす言葉がある。――ああそうだ、睨み合いだ。
「絶対に。お願い」
だけど、先に目を逸らしたのはあたしの方だった。――蓮水くんが、笑い出したからだ。
「わかった」
あたしは釈然としないまま、また足元を見る。
「取引成立、ってことで」
そのとき、美来が走ってくるのが見えていた。蓮水くんは未来に手を振り返し、それとは比べ物にならないほどの声の低さであたしに言葉を返す。こいつ、とあたしは蓮水くんの足を踏んづけたくなった。こいつ、美来が戻ってくるのを見て、話を切り上げようとしてるな。
「約束だからね。絶対に、お願いだよ」
釘を差す言葉も馬鹿馬鹿しく思えたけど、なるべく表情を動かさないように念を押した。――表情から、未来になにか喋っていたのがバレたら困る。あたしが蓮水くんの足を踏まないのは、自分もここでの話がバレてほしくないからだ。そしてきっと、蓮水くんもその事をわかってるだろうから腹が立つ。
いやでももしかしたら、未来がわかるんだし知られてるのかもしれない。そうしたら、あたしのこんな迷いは全部無駄になってしまうけれど。
とにかく、お願い――。
あたしの正体が誰にもバレないままいられたら、どんなに良かったか。
「遅くなりました、ごめんなさいっ」
美来の放つ言葉は、なんだか水の中みたいにぼんやりと聞こえていた。
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