第一章 はるがすみ

side 美来 神様の悩みごと

 立花たちばな高校に通い始めて二年が経つな、と堂々立つ建物を眺めて思った。

 微風に髪がするりと流される。このまま何処かの国に誘ってくれればいいのに、なんて思う私を自分で一蹴して、風にのって伝わる今日一日分の”託宣たくせん”に耳を澄ました。

 ――この後、私のクラスでは。矢崎やざきが先生に叱られ、東堂とうどうが筆箱の中身をぶちまける。相沢優子あいざわゆうこ河井岬かわいみさきとトイレで不登校の花野香奈はなのかなの噂話をする。特にはそのくらい。そして――島田杏里しまだあんりはこの後すぐに私に声をかける。何故かは分からない。二年一組、三十六人分の朝である。

 目を開いて息を吸い、校門に足を踏み入れる。

 また風が吹く。六月の風は湿っぽい。

神木美来かみきみらい、さん?」

 ほら来た。

 振り返ると、焦げ茶の髪を一つにまとめたあどけない印象の少女がいた。去年三学期に転校してきた女子である。

「島田さん」

「お早う」

「お早う」

 毎朝何故か、彼女は私に挨拶をしてくれる。その後はすぐに走って行ってしまうのだけれど、その儀式めいた習慣は、高二で同じクラスになり接点を持った日からずっと続いている。

 ……でも、誰も私の正体を知らないんだろうな。自嘲気味に小さく笑う。誰かに言ったとしても、信じてもらえないのは目に見えている。


 私は――、だ。

 詳しく言えば、神様からのイメージを受け取って、私が改めてイメージをすることでそれを実現させる、という仕事を実行するだけの神様の手下、みたいな所だろうか。


 ともかく私は、何故か人の運命を操れ、少し先の未来を知ることができるのだ。

 自分の記憶がある限りでは、これまで生きてきてずっとその役割を担っている。――もっとも、こんな私が人間と同じように”生きている”と言って正しいのかは謎だけれど。

 靴箱の前で立ち止まり、上靴と履き替えながら自分のことについて考える。神様という自覚はあるけれど、それでも私は何者なのかはよく分からない。それでも、今日も託宣通り――ちなみに私は、神様から下されるイメージを”託宣”と呼んでいる。神の意志、意味は同じだ。

 私の横を派手な女子二人組が通り過ぎる。これも託宣通り。ただ私は彼女らに触れないように身を小さくする。

 ――触れてはいけない。そのことは重々承知しているけれど――。

 私は階段を駆け上がる彼女らの背に向けて、いつも渦巻く疑問を心の中で吐き出した。

 ――触れた生き物を殺してしまうという私は、本当に人間だと思う?

 春だなんて、もう夏みたいに霞んでしまうのに。

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