第5話 基礎を固めて
(……さて、こりゃあどうしたものか)
ミーティング中、ほのかは頭を悩ませていた。
というのも、この吹奏楽部がバラバラすぎるのだ。音程、意見、パートの仲まで、何もかもまとまっていなさすぎる。
中学の時と比べてはいけないのだろうが、これはあまりにも酷すぎる。吹奏楽部は団体で活動する部活だ。更に言うと体育会系文化部なので、肺活量がどうしても必要になる。
(私がいた所は本格的な所だったから、運動とか腕立て伏せとかもしてたけれど……高校生にもなってそれをやるのはどうなのかな)
そうこうしているうちにミーティングが終わり、それでもなおうんうん悩んでいるほのかに「もっと気楽に考えましょうよ、そんな時間が無い訳じゃないんデスし」と菫が呑気にクラリネットを磨いている。
『危機的状況、これだと普通の演奏すら危うい』
「そんなに!?」
『基礎から固めないと成り立たないくらい酷い。やばい』
「あまりのやばさにほのかが語彙力消失してる!」
ふと、菫の持っているクラリネットに目がいき、『クランポン?』とクロスを手に被せてキーを触ってみる。
「ハイ! お母さんが持っていた「ビュッフェ・クランポン」のおさがりデス! 長らく吹いていなかったそうなので、音が出るか心配だったんデスけど……今のとこ大丈夫そうデスね」
『高いものだと30万はするよね、ビュッフェ・クランポンって』
よく手入れされているクラリネットだ。キーの動きも悪くないし、何よりも状態がいい。定期的に整備や修理、磨きをしていたのだろう。サビも少なく、おさがりで長らく吹いていなかったとは思えないくらい綺麗なクラリネットだった。
「……」
自分の手に握られているオーボエを見る。修理に出してからあまり触ってはいないが、キーのサビや目立ったタンポの傷みはない。
(そういえば、はる姉がよく部屋に侵入した跡があった覚えがあるなぁ)
その時にオーボエを取り出しては手入れをしていたのだろう。ほのかは見てはいないが、この手入れの仕方は姉のはるかがやっていたものとよく似ている。はるかは大雑把だが、細々とした作業が好きでなにかと分解しては手入れをすることがある。その上組み立てまでやってしまうのだから、またすごいことだ。
本の虫ならぬ、機械の虫だ。ほのかには出来ないことなのだから、姉妹で唯一違うところと言えるだろう。
『よくそんな高いの持ってるよね。お母さん何者?』
「いや、一四〇万円するオーボエを片手で持ってる人には言われたくないセリフデスよ、それ……」
『なんかごめん……』
とは言えど、ほのかのオーボエは、はるかが入部祝いにと自分のお小遣いの貯金を崩してローンを組んでまで買ってくれた物なのだ。「私のお小遣いで買うからお母さんはマジで手出さないでほんと頼む、お頼み申します」とはるかの壮絶な念押しにより母親は一切出していないし、そんな姉を、ほのかは尊敬していた。
「……で、箕輪。これどう思う?」
『ミーティング前にみんなが吹いてた音、ヤバいです』
「そんなに!? どういう風に!?」
(なんかこう、もうなんか! 聞きたくないのよ! 表現出来ない!)
「……! …………!!」
「うわっ真っ白!」
「驚きの白サ!」
プルプルとした手で文字を打とうとしたが何も言葉が出てこず、果てには何も書いていないタブレットの画面をバッと見せてあたふたし始める始末だ。菫も相当やばいことだと感じたのか「ほのかが語彙力無くすほどってことは、それほどってことデスよ、ヅカ先輩」とコソッとほのかに聞こえないような声でコッソリと言った。
「マジ?」
「マジデス」
「んじゃ、私も箕輪の教育受けないとだね!」
「え?」
あたふたしていたほのかが、その言葉で「正気かこの人」とでも言いたげな顔に変貌する。
「いや、何その顔! よく考えてみなさいよ、副部長が新入部員に教育受けるなんて部活として本末転倒だからね!?」
『それは分かってますけど、本当にいいんですか?』
「え?」
「ヅカ先輩、言ってしまいましたネ」
「え、安城まで、なに」
「あー、その様子だとご存知ないみたいデスねぇ」
やよいはこの時、まだ事の重大さを軽視していた。
「え、なにどゆこと?」
「ほのか、中学生の時は後輩に恐れられていたくらいに厳しい先輩だったんデスよ? もちろんいい意味で」
菫の言うことは間違ってはいない。半分正解、半分不正解という意味では。中学生当時、ほのかはこの頃から自分からはあまり発言しない性格であったため、新入部員が入部してきた時期は「なんか優しい先輩」という印象を付けられていた。だが、彼女はコンマス……通称コンサートマスターと呼ばれる指揮者代わりのような事を担当していたため、その指導はかなり厳しいものだったとか。
「あれま、そんな事が」
「そのおかげで、その年の夏コンは全国まで行ったみたいデスよ」
「あれま、すごい」
「その元コンマスの教育を受けたいって言い出したんデスから、正気かこの人って思われてもおかしくはないデスよ」
(心読まれてる……)
「オーボエ」「ファゴット」のプレートを「美術室A」と書かれた黒板の隣に移動させると、譜面台を持ってほのかはそう苦笑いをこぼした。
とは言えど、それは当時のこと。そこまで厳しくするようなことはしたくない。しかも先輩相手に。今やってしまえば、先輩としての色々な威厳が不味くなる気がする。それはほのかも自覚していた。
(まぁ、まともにピッチさえ合えば才能のある人達ばかりだし……ちょっと手助け出来ればいいかな)
『あれ、クラリネットも美術室A?』
「そうデス! そこで先輩方が待っているみたいなので!」
「じゃあ、私らと同じか」
ほのかの高校では、クラリネット、オーボエ、ファゴットは基本的に合同で練習することが多いため、練習場所も被りやすいという。ほのか自身も大人数でわちゃわちゃ演奏するのは嫌いではないため、まぁいいかと特に気にしないでいた。
高校の美術室は、A、B、Cの三つがある。美術室Aは「
ダブルリードを口にしながら移動するほのかに「あはっ! やるやる、リードくわえながら移動すんの!」とやよいが同じくダブルリードを口に咥えながら笑っている。
「やるんデスか?」
「リード楽器扱ってる人だったらよくやるよ。いちいちキャップ付けて移動するのめんどいでしょ? ぶつけてリードが欠けたりでもしたら嫌だし」
「確かに……」
美Aのドアを横に開けると、既にクラリネットパートが自主練をしていた。机が二列ほど前に出されており、中央の机には二等辺三角形のような形をしたメトロノームが、カチ、カチ、と規則的に音を鳴らしていた。
「お、来たね安城、箕輪!」
「うす、新人社員連れてきた」
「新人社員て……社畜じゃないんだから、鬼塚」
半円形型に並べられた六つの椅子。そのうち中央に座っていた一人の部員が、クラリネットを持ちながら三人に駆け寄ってくる。
「私は
三人よりも遥かに身長が小さく、まさに「楽器に持たれている」状態になりかねない体型のその部員、神埜はニコリと笑った。
「よ、よろしくお願いします!」
『よろしくお願いします』
「おやおや、変わった子が入ってきたもんだ。タブレットで話すってことは、キミが失語症の生徒かい。噂は私の学年の方にも伝わってきているよ。なんでも、あの箕輪はるかの妹なんだってねぇ。姉の噂もよく知っているよ」
『姉がとてもよく、大変大変お世話になりました……』
「まった、あんたのねーちゃん何やったの?」
『写真部兼登山部で、色々と……』
「写真部兼登山部……あー、あの人か。分かったわ。色々大変だったんだね!」
『慰めになってません!』
はるかは、ほのかが今通っている高校のOBだ。写真部兼登山部なる部活で山登りを幾度となく経験し、そのおかげで山頂の写真が沢山あると言っても過言ではない。
しかしまぁ、武勇伝はこの時から既に始まっており、自由人な彼女は山でメンバーとはぐれて遭難し、挙句の果てには別のルートを辿ってメンバーよりも先に山頂に着いてホットココアを嗜んでいるなどというとんでもないことをしている。そのためか、写真部兼登山部のメンバーも「あれ、はるか、またいなくない?」「どうせ先に山頂着いてるって」「それもそっか!」の精神が出来上がり、結果としてその予想が外れたことが無いということが付随して、色々な噂が立っているのだそうだ。
「それにしても君のお姉さん、なかなかの豪運の持ち主なんだねぇ。双子の妹が写真部兼登山部なもんで、私もびっくりしてしまったよ」
『妹さんが?』
「そうそう。
「ハハ……」
「さて、話はここまでだ。早速基礎練に移ろうか。まずは安城。楽器を吹く前に、これを練習してもらうよ」
ペラ、と菫に紙が渡される。手に取って見てみると、それは「ふるさと」の楽譜だった。そう、うさぎおいしかのやまの、ふるさとである。
「箕輪は基礎練は必要ないかな? そもそも声が出ないし、キミは楽器で吹いてもらおう。ふるさとは吹けるかい?」
『基礎練で吹いていたので、頭に入ってます!』
「歌……うぅ、歌は苦手デス……」
オーボエを構えると同時に、菫も紙を片手に持つ。ガラガラ、と窓を開け「じゃ、いくよ。箕輪は音は少し控えめに。そうだな、
「1、2、3、1、2、3」
息を吸う。やよい、神埜、菫の三人分の歌声と、ほのかのオーボエの音が響く。やよい、神埜は安定した音程だが、菫はガタガタな音程だ。音痴と言っても過言ではないくらい。
「……うお、キミ歌下手くそだね」
「ガーン!」
「神埜、ハッキリ言いすぎ。オブラート、オブラート」
「おっと。ごめんよ、安城。昔からハッキリ言う癖が治らなくてね、悪気はないんだ」
「いえ……ド正論デスから……」
正論をかまされて涙目になっている菫に『緊張しすぎなんじゃない? 肩の力入ってない?』と菫の肩に手を置く。
「うぅ、そう言われても分からないデス……」
「こりゃあ重症だ。鬼塚、今日は合奏予定無かったよね?」
神埜にそう問いかけられ、「え? うん、無いけど……え、無かったよね」とやよいがスケジュール帳を確認し、無いことを確認すると「じゃあ今日はひたすら歌の練習だね。いいかい、安城?」とニッコリ笑った。
「ハイ……」
「箕輪はどうしたい? 練習に付き合うかい?」
『どちらでも大丈夫です』
「じゃあ、安城が慣れるまではオーボエでカバー役に入ってくれないかい? 音を覚えるところから始めないと、おそらく身につかないだろう」
ピシッと敬礼のポーズをした箕輪を見て「うん、張り切り具合が新入生っぽくないけど、それくらいがちょうどいい」と苦笑いをこぼす。
「さて、一息ついたら練習だ。次は音を覚えるところから始めよう」
***
「ふえぇ、疲れました……もう無理デス……」
十七時過ぎ、菫はとぼとぼと歩きながらため息をついた。というのも、今日は本当に歌の練習しかしていないのだ。楽器も移動する時しか触っていない。これでは楽器を出した意味が無いと、菫は心底ガッカリとしていた。
『大丈夫、音程はだいぶ良くなってきたから』
「フォローになってませんヨ……」
『あとはあがり症が何とかなればなぁ』
「フォローになってませんヨ!」
『お風呂とか、リラックスできる環境で練習するの、いいかもよ? 私もよくやってた』
お風呂。よくある「いい湯だな、アハハン♪」的なやつか、と菫は考える。
「へぇーっ! 確かにほのかの声、綺麗ですもんネ!」
『いやいやそんなことは……』
「お母さんが言っていたんデス。「歌声が綺麗な人は、楽器を吹く音も綺麗なのよ」って。それって逆でも言えることで、ほのかのオーボエの音はとても綺麗デスから、もしかしたらそうなのかなぁって!」
とても、いい考え方だ。
しかし、自分の声は本当にそうなのだろうか? 菫の母親の考え方は確かに素敵だ。でも、本当にそうとは限らないのではないだろうか?
「だから、今は音痴でも、今のうちに基礎を固めるんデス! 本当に歌声が綺麗になったら、歌手も目指せるかも知れませんし!」
(歌手、か)
ほのかも一時期、目指していたことはあった。しかし失語症なこともあってか、その夢は諦めてしまった。
『もし歌手になったら、ライブ呼んでね』
「侮るな、絶対なってやる! デス!」
クスクスと二人で笑い合い、二人はそれぞれの家に着いてまた明日と別れたのであった。
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