第2話 舞台に立つのは

「中学校を卒業し、この高校に入学できたことを、大変誇りに思います。先生方、並びにご来賓の皆様……」

 新入生代表の挨拶を聞きながら、ほのかは少しだけ別のことを考えていた。

 今朝方の吹奏楽部の事だ。部員が少ない、C編成を組むのがやっと、と言っていたあの先輩達の言葉が忘れられず、少しだけもどかしい気持ちになっていたのだ。

「……」

 吹奏楽部には、少しだけ抵抗がある。というのも、ほのかが声を出さない原因はその吹奏楽部にあるから。

 新入生代表のスピーチが頭に入ってこないほど、ほのかは考え込んでいた。隣に座っていた菫がトントン、と膝を指でつつき「どうしたんデスか?」と小声で話しかけてくる。

 ふるふると首を左右に振り、なんでもないことを示す。今はタブレットが無い。こうしてジェスチャーや筆談で表さないと人に伝わらない、ということが、ほのかにとってはとてもめんどくさかった。

 声を出せるなら出したい。しかし、声を出そうとすると喉が詰まるような感覚がして、上手く声が出せない。出せても、掠れた自分の情けない声だけなのだ。

 どうして出せないのだろう。それがどうしようもなくもどかしかった。


 ***


「みんな入学おめでとうなぁ! 一年四組の皆さんの担任を務める北風輝きたふうきって言いますー。皆さんの先輩達からは、北風先生なんて呼ばれてんねやで。出身は兵庫県! よろしゅうなぁ!」

 そう元気よく言った一年四組の担任、北風輝は勢いよく教壇に頭をぶつけ、クラスのあちこちから吹き出さまいと笑いを堪える声が小さく聞こえる。

(なんか凄い関西弁で元気な人が先生になっちゃった……。)

 ほのかは笑いを通り越してもはや真顔になっていた。菫は他のクラスメイトと同様、笑いを堪えている様子であった。

「ほんじゃまぁ、みんな自己紹介でもしましょか! 初対面な子も多いやろし、ちょっと特殊な子もおるし、人見知りな子も多いやろ? せやから、前には出ずにその場で立って自己紹介しよか!」

 自己紹介。声が出せないほのかにとって、クラス替えや新しいクラスで必ず苦戦する一つの難関だ。中学の時は菫がカバーしてくれたものの、今回は一人で成し遂げなければいけない可能性が高い。絶望的だ、とほのかは頭を抱え始めた。

「あの……」

 前の席の生徒が声をかけてくる。青みがかった髪の毛をした、緑の瞳の男子生徒だ。顔を上げたほのかに小声で「声、出せないんですよね? 僕が代わりに読みましょうか?」と笑った。

『お願いしてもいいですか?』

「もちろん。あ、僕ですか? はい」

 男子生徒は椅子から立ち上がり「小日向夏矢こひゅうがなつやです。小さい日向ひなたに、夏の矢と書きます。好きな物はいちご、嫌いなものは……えっと、タピオカ、かな。よろしくお願いします」

 パチパチパチ、と拍手が上がる。次はほのかの番だ。カタンと立ち上がり、予め打っておいた文章を表示して男子生徒、小日向夏矢に渡す。

「えっと、『箕輪みのわほのかです。箕面の輪に平仮名でほのかと書きます。中学生の頃に、事故で失語症になっています。好きな物はお茶漬け、嫌いなものは特にありません。普段は筆談で話します、よろしくお願いします。』

 ……だ、そうですよ、皆さん」

 おぉっ、とどこからか声が聞こえる。「声が出ないなら仕方ないな」「いっぱい話そーね、ほのかちゃん!」と、クラスメイトは比較的好意を持ってくれている人の方が多そうだ。ほっとして椅子に座り、『ありがとう、小日向さん』と打って夏矢に見せる。彼は気にしてないような素振りで「いやいや、僕ができるのはこれくらいですから。また何か困ったことがあったら言ってくださいね」と、また前を向いた。

「ありがとうなぁ小日向、箕輪のこと話すんすっかり忘れとったわ! 彼女の紹介にもあったとおり、中学生の頃に失語症になったらしいわ。声のことはからかわんとみんな仲良くするんやで?」

「声のことからかってるところを見つけたら……ワタシ、安城菫が容赦しませんからネ……!」

 どっと笑いが教室内を包み込み、「安城怖ぇ!」「こりゃ先生でも逆らえへんわ!」と、北風先生までも笑っている。このクラスなら上手くやっていけそうだと、ほのかは心底安心した。

 席につき、ほのかは頬杖をついて窓の外を見る。北風先生が話している内容など耳に入れず、ただ木に留まる鶯の鳴き声を聞いているのであった。


「ちゅーわけやから今日はこれまでな。今はええけど、配った教科書にはちゃんと名前書いとくんやで? 小学生やないしチェックはせーへんけど、来週名前書いとらん教科書が机ん中入っとったら遠慮なく先生が貰うで〜! ほな、また明日な!」

 諸々の話や配り物が終わり、ほのかはカバンを持って立ち上がる。菫が駆け寄ってきて「ほのか、今日吹奏楽部の見学に行くんデスけど、ほのかも行きませんか?」と朝方に貰ったチラシをべしべしと叩いて強調する。

『私はいいかな。今日は教科書に名前とか書かないとだし』

「えぇ〜行きましょーよぉ〜こんなチャンス滅多にありませんよ〜!?」

 両肩を掴まれゆさゆさと揺さぶられるほのか。こうなってしまっては、菫はテコでも利かない。お菓子で釣っても、好物のラーメンで釣っても、何をしても岩たる意志を変えない女の子になってしまう。

『分かった、分かったいくぁwせdrftgyふじこlp』

「ほんとデスか!? やったぁ〜! じゃあ行きましょ!」

 揺さぶられたまま打ったからか盛大な誤字をしているタブレットにも目もくれず、菫はほのかの手を取って教室を出る。片手が塞がっており、文字を消すことが出来ないことをもどかしく思いながらも、ほのかはされるがまま音楽室へと向かうのであった。


 ***


 音楽室の前。来てしまった、と言わんばかりの顔をするほのかと、目をキラキラさせてうずうずしている菫。菫に背中を押され「わっ……」と小さな声が出る。

「……可愛い」

『こら! なんだその反応!』

 音楽室に入ると、既に部員が練習に励んでいた。中には基礎練をしている部員や、休憩をしている部員もいる。二人に気づいたやよいが「お、来てくれたんだねぇ! ささ、座って座って〜」と、並べられた椅子に案内される。

「中学の時もこんな感じでしタ?」

『うん、当時の先輩方が「座って座って〜!」って案内される所までは一緒だよ。』

「やっぱそうなんデスね……」

『部員全体が見える位置に椅子を置いてるってことは、なにか演奏してくれるんじゃないかな?』

「へぇ〜!」

 タブレットを触り、スリープ状態にする。周りを見て、指揮台の後ろに椅子がないことに気がつく。見えないからと敢えて置いていないのだろう。

 数分すると、やよいが指揮台までカンカンと指揮棒で譜面台を叩く。傍にあるキーボードを付けて、静まった音楽室で「シ♭」……音楽用語で言う「ベー♭」の音を鳴らす。それに合わせて、フルート、クラリネット、サックス、ホルンと次々と慣らしていく。

「!?」

 それを聴いた途端、この世の終わりのような顔をしたほのかに気づき「どうしたんデスか?」と菫がコソッと小声で話しかける。

『ピッチが全然合ってない……。』

「ぴっ……?」

『音程のこと。喉の開閉やマウスピースの出し入れで音程を調節出来るんだけど、なんか、なんかもう、』

(なんかもう聞きたくない!)

 驚く程の音程の悪さに、「まとめて修理リペアに出して正しい音程に合わせられるようにした方が早いんじゃ……」と、心の中でほのかは考えた。

「うん、OKかな。じゃ、パートごとにやろうか」

(いや全然OKじゃないって!)

 ツッコミたい気持ちがありふれているほのか。フルートがチューニングを始めたタイミングで、菫も菫で感覚が分かってきたのか「あ、波打ってる……ああ、これが「不協和音」ってやつなんデスね……」と全く違うことを言い始める。

『それ違う』

「え?」

『それは、違う』

「お、なんか言いたげだねぇ箕輪! 何かあるのかい!?」

 ずいっと顔を近づてきたやよい。ふるふると首を左右に振るも、顔は「何とかしたい」「ツッコミたい」「私にやらせろ」と言わんばかりの顔である。

「箕輪は元吹部なのかな? だとしたらお願いだよ何とかしておくれよ」

「見学者に他力本願して大丈夫なんデスか……」

『オーボエありますか?』

「あるよ。リードも新品あるよ。貸すからマジで何とかしてくれない? 代弁は私がするからさ」

「やるの!?」

『なんかもうこの世の終わりに近いくらいほっとけない』

「あ、そうデスか……」

 オーボエを組み立ててダブルリードと一緒に持ってきたやよいは「ほい、好きなだけ吹いておくれ。リードも好きなのを選んでいい」と、ほのかにオーボエ本体とダブルリードを幾つか渡す。

「…………」

 一つ一つ見て、やがて手に取ったダブルリードを口に咥えて吹き始める。難なく出たその音に思わず拍手する菫、「さすが」とやよい、「新入生に何吹かせてんの……」と部員。ある程度指を鳴らし、キーの不具合が無いかを確認した後、やよいに目配せしてきた。

「さて箕輪、この危機的状況を挽回するためにまず何をしてくれるのかね?」

 オーボエを片手に持ち、キーボードを見る。

『これ、何ヘルツですか』

「これ何ヘルツですか……え? 339」

『339!?だいたいは442ヘルツのはずです!なぜそんなに低いんですか!!!???そりゃ合わんわ』

「安城、なんか私怒られてる?」

 ヘルツを「442」に調節し、「ベー♭」の音を鳴らす。

『この音をよく聞いていてください』

 鍵盤に触れ続けなくても鳴るように設定し、自身もオーボエで「ベー♭」の音を吹く。先程とは打って変わり、まるで一直線を描くかのようにキーボードとオーボエの音が重なる。

「すごい……! 波打ってない! これが合ってる状態なんデスか!?」

 吹きながらこくりと頷き、今度はキーボードの音を消して『フルートお願いします。』と指揮棒で部員を指す。

「あ、ああ……」

 フルートパートの一人が「ベー♭」を吹き始めたタイミングで、ほのかは目を閉じる。少し聞いたあと、『ピッチが高いかな……』とキーボードの音を再び鳴らし始める。

『もう一度吹いて下さい』

「わ、分かった」

 キーボードの音を鳴らしながら、フルートが音を重ねようとするも、やはり先程と同じく音が波打っている。

『これが「ピッチが高い」という感覚です。喉を開いたり、閉じたりして調節すると、低く、高くなります。このキーボードの音の上に、自分の音を重ねるようなイメージで吹いてみてください』

「なるほど……」

 再びフルートの音が鳴る。今度は喉の開閉で調節しようとしているのか、波打つ感覚が長く、緩やかになったように感じる。やがてピタリと音が重なると、『そう! です!』とほのかは嬉しそうにしていた。

「教え方が上手すぎて、やよい先輩、もはや何も代弁することがないわ」

「先輩としてどうなんデスか、それ」

「てなわけだからみんな、もっかいチューニングしよっか。箕輪、ありがとね。そのリードはあんたにあげるよ」

 席に座り、ほのかは一息つく。先程よりも格段に音程があっているのを耳で聞き、うんうんと膝に置いたオーボエを見る。

(でも、やっぱり入ろうとは思わないかな)

 やがて始まった演奏を聴きながら、ほのかは目を細める。

(あの舞台に立つのは、この人達と、後に入ってくる新入部員だけでいい気がする……私はもう、追いかける気はない)

 そんなほのかを、菫は時々横目で見つめては視線を戻しを繰り返していたのであった。

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