東武警察2022

鷹山トシキ

第1話

 4月1日

 改正民法施行。


 成年年齢が18歳に引き下げ。これにより、2002年4月2日-2004年4月1日生まれの者は新成人となった。親権に服することがなくなり、自己の意思でさまざまな契約が可能になるが、「未成年者取消権」の行使ができなくなる。喫煙、飲酒、公営競技に関する年齢制限や、国民年金への加入(保険料の支払い開始)は引き続き20歳のまま。


 女性の婚姻可能年齢が16歳から18歳に引き上げられ、男女とも18歳に統一。ただし、この日の時点で既に16歳以上の女性は、引き続き18歳未満でも結婚することが可能。


 改正少年法施行。18歳及び19歳(年長少年)は「特定少年」と位置づけられ、逆送致する事件の対象を拡大、起訴後の実名報道を解禁。

教育職員等による児童生徒性暴力等の防止等に関する法律(教育職員性暴力等防止法)施行。

プラスチックに係る資源循環の促進等に関する法律(プラスチック資源循環法)施行。

改正労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律施行。中小企業で職場におけるパワーハラスメント対策が義務化。


 改正育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律(育児介護休業法)施行。育児休業を取得しやすい雇用環境整備及び妊娠・出産の申出をした労働者に対する個別の周知・意向確認の措置を義務付け。


 年金制度改正法等を施行。老齢年金の繰り下げ年齢の上限が75歳に引き上げ。65歳に達した日後に受給権を取得した場合についても、繰り下げの上限を5年から10年に引き上げ。


 改正警察法施行。警察庁内に各局のサイバー部門を統合した「サイバー警察局」を新設。また、関東管区警察局内に「サイバー特別捜査隊」を新設。


 改正個人情報保護法施行。個人データの漏洩等が発生し、個人の権利利益を害するおそれがある時は、個人情報保護委員会への報告及び本人への通知を義務化など。


 高等学校新学習指導要領施行。


 大阪府立大学と大阪市立大学が統合して誕生した「大阪公立大学」が開学。

山口県の私立大学「徳山大学」が公立大学となり、名称が「周南公立大学」と変更され開学。


 私立大学「令和健康科学大学」開学。


 スナック菓子「うまい棒」(販売:やおきん)が同日出荷分から10円(税別)から12円(税別)に値上げ。

  

 東武宇都宮駅近くにある東武警察署刑事課に新人刑事、赤城一郎あさぎいちろうが着任した。昔の刑事ドラマ、『太陽にほえろ!』のマカロニやジーパンみたいに覇気のある刑事ではない。最近、熱血タイプの刑事って少なくなったな?と、宇喜多英治うきたえいじ係長は思った。


 宇喜多は、参議院議員の尾崎克也おざきかつやから裁判の重要証言者の保護を命じられる。その証言者とは、吉川邦夫というマフィア組員。吉川は組の金を横領し、組のヒットマンから狙われていた。


 宇喜多は、部下の剣持光一部長刑事や赤城刑事と交代でホテルの一室にて吉川を保護する。ところが、吉川は赤城刑事が目を離した隙に部屋のドアを開け、それと同時に部屋に入ってきたヒットマンに射殺されてしまい、赤城刑事も重傷を負う。


 赤城刑事の証言により、吉川がヒットマンと示し合わせたかのようにドアを開けたことを知った宇喜多は、事件の裏になにかがあることを感じ取り、吉川が死んだことを報告せず、剣持部長刑事と捜査を開始する。


 学習塾のセールスマンの仕事を切られた佐野四郎さのしろうは宇都宮内を散策することにした。

 宇都宮は栃木県のほぼ中部、関東平野の中北部に位置し、首都東京から約105km北、標高は市中心部で約100m。北西部に低山地がある以外、土地は概ね平坦である。地層は主に海底土砂の堆積による砂礫層上に軽石層と関東ローム層が形成されている。市域東部には鬼怒川、中央部には田川および釜川、西部には姿川が流れ、それぞれ流域に沖積平野を形成している。市西部は一段高い宝木台地の台上であり、その中央には用水路として掘削された新川が流れる。また市北東部には鬼怒川の治水と流域の田畑開墾、舟運のために整備された西鬼怒川や御用川が流れる。


 土地は鬼怒川が流れる市南東部が最も低く、北西部に向けて徐々に高くなっており、その先には南西方向より北東方向に向け多気山、古賀志山、雲雀鳥屋、鞍掛山、羽黒山、半蔵山、本山、高館山(篠井富屋連峰)など、標高300-600メートル級の小高い山が連なっている。


 宇都宮市街地は、この北西部山系から連なる戸祭山、八幡山、二荒山(明神山)のちょうど終端に位置する。背に北部山系を配し、平地開口部には田川等の水系を配す、典型的な「天然の要害」であり、この「地の利」を巧みに取り込んだ宇都宮城の城下町から発展を続けている。


 宇都宮市と市外を結ぶ路線網として東北新幹線、東北本線(宇都宮線)、日光線、東武宇都宮線がある。うち後者3線は市域内に複数の駅を有し、市内交通網の一翼を担う。また、市西部と市東部を広域幹線道路の東北自動車道、国道4号が南北に縦貫し、その間の市央部には国道119号、国道121号、国道123号を中心とする道路網が整備されている。


 他の関東地方各主要都市と同様、近隣地に空港は無く、広域輸送はこれら鉄道網と道路網に依存しており、市内にあるJR宇都宮駅の利用者数は、北関東3県で最多で、JR東日本の管轄下では120位。


 市内公共交通機関は路線バスを中心に成り立っているが、近年では市が推進する「自転車のまち」構想に基づき、末端部バスターミナルへの自転車駐輪場設置や、市中心部の道路路側帯への自転車通行専用レーン設置など、公共交通機関と自転車の併用を促進する方策が実装されつつある。


 市中心部に「宇都宮」を冠する都心型ターミナル駅は2駅ある。ひとつは明治期に東北本線の開業とともに日本鉄道によって開設され、その後鉄道省、日本国有鉄道、そしてJR東日本へと運営者が遷移してきた宇都宮駅で、これは宇都宮中心市街地の東端に位置する。宇都宮駅の所在地は開設当初河内郡簗瀬村の村域だった。もうひとつは東武鉄道の東武宇都宮駅で、こちらは宇都宮駅開設から遅れること約45年後の昭和初期に、東武宇都宮線の開業とともに宇都宮中心市街地の西端に開設された。


 なお、JR宇都宮駅の利用者数は北関東最多、東京圏以北有数であり、南関東一都三県を除くJR東日本管内の駅としては仙台駅、新潟駅に次いで、またJR北海道域を含めても札幌駅を加え4番目に多い利用者を数える。一方東武宇都宮駅はJR宇都宮駅と比較すれば大差で劣るが、北関東3県の県庁級都市に所在する私鉄ターミナル駅としては最多の利用者を数える。


 市内を通るJR各線は全線が東京近郊区間に指定されているほか、東武宇都宮線も東京資本の大手私鉄路線であるため、市内の鉄道駅全駅においてSuica・PASMOといった非接触型IC乗車券が使用可能である。


 佐野は東武宇都宮駅のロータリーにいた。

 当駅は宇都宮の中心市街地・繁華街に位置し、栃木県庁、宇都宮市役所、宇都宮中央郵便局などは、市中心部を避けて設置されたJR宇都宮駅よりも当駅の方が近い。当駅と東武宇都宮百貨店が直結しており、ターミナルデパートになっている。県下最大の繁華街で全天候型アーケード商店街の「オリオン通り」が宇都宮二荒山神社前のバンバ通りから東武宇都宮百貨店(当駅東口)まで続いている。


 駅東口は旧宇都宮城の大手門から宇都宮二荒山神社および八幡山南麓(旧粉河寺跡)の間に形成された宇都宮の中心市街地の西縁に位置し、県下最大の繁華街となっている。周辺には雑居ビルや飲食店が密集するほか、銀行支店、ホテル、映画館なども立地する。


 当駅や当駅界隈を地元では「東武」と呼ぶことが多いが、この言葉には同じ場所にある「東武宇都宮百貨店」の意味合いが強く含まれるものである。都市の規模に比べれば小振りの駅ではあるが、地元では東武宇都宮百貨店と一体でランドマーク的に認識されており、付近にある店の支店名は「東武店」、バス停名は「東武駅前」「東武西口」、交差点名は「東武西口」などとされている。


 東武宇都宮百貨店にやって来た。

 東武宇都宮駅直結のターミナルデパートである。宇都宮市民より「東武宇都宮駅を民衆駅とし、百貨店を含む総合駅ビルとして欲しい」という声を受けて、1958年6月、東武鉄道が当時建設中だった「宇都宮東武ビル」(東武宇都宮駅の駅ビル)に出店する百貨店の運営会社として設立され、翌年11月に「東武宇都宮百貨店」(現在の「本店(宇都宮店)」)を開店した。グループ会社の東武百貨店が運営する池袋本店(1962年5月開店)よりも長い歴史を有する。


 1980年代には栃木県内の地元小売業者等と提携した「ギフトショップ」(贈答品や商品券・婦人小物などを取り扱う代理店形式の小規模店舗)を各市町村に広く展開、百貨店空白地域を補完する役割を担わせたが、2020年の今市店閉店により全て閉店した。


 長らく百貨店1店舗での運営を続けてきたが、倒産した地元百貨店の既存店舗を借り受ける形で初の支店となる「大田原店」を2002年に開店した。また、2014年には福田屋百貨店栃木店跡地に移転した栃木市役所新庁舎1階フロアにテナント入居し、食料品とギフトショップ機能に特化した業態の小型店舗「栃木店」を出店している(2015年に「栃木市役所店」に名称変更している)。


 グループ会社の東武百貨店と同じロゴを使用しており、商品を入れる紙袋のデザインは相同しているものの、地の色が反転しているのが特徴である。


 本店はオーバーストア状態だった宇都宮中心部の同業者との激しい競争の中にあって増床を繰り返しながら売り上げを伸ばし、1977年度より店舗売上高県内一を維持してきた(外商売上分を含む)。2021年現在、栃木県内で日本百貨店協会に加盟している栃木県内の百貨店は同店のみであり、宇都宮パルコ撤退後は全国百貨店共通商品券を取り扱うのも同店のみとなっている。


 佐野は杉谷誠一すぎたにせいいちって裏の住人から様々な武器を買った。杉谷の先祖は杉谷善住坊すぎたにぜんじゅぼうって織田信長の命を狙ったヒットマンだ。


 鉄砲の名手であったという以外の確かな人物像は不明であり、出身については甲賀五十三家の一つである杉谷家出身の忍者とも、伊勢国菰野の杉谷城の城主とも、あるいは雑賀衆、根来衆、賞金稼ぎ、猟師ともいわれている。信長を狙った理由も、近江国を追われた六角氏からの依頼、信長への個人的な怨恨、鉄砲名人としての腕試しなど諸説ある。


 元亀元年(1570年)4月、越前朝倉氏攻めの途中で浅井長政に挟撃され一時京都に逃れていた織田信長は、翌5月に岐阜城への帰途についていた。5月19日、善住坊は伊勢方面へ抜けるため近江国の千草越え(千種街道)を通過していた信長を狙撃するが失敗に終わった。12-13間(20数m)の距離から2発銃撃したとされるが、信長はかすり傷のみで済んだ。


 その後、善住坊は逃亡生活を送るが、暗殺されかけた事に激怒した信長の厳命で、徹底した犯人探しが行われた。その結果、近江国高島郡堀川村の阿弥陀寺に隠れていたところを、領主・磯野員昌に捕縛される。織田家へ引き渡された後は、菅屋長頼・祝重正によって尋問された後に、生きたまま首から下を土中に埋められ、竹製のノコギリで時間をかけて首を切断する鋸挽きの刑に処された。なお『フロイス日本史』にも、名前不明ながら「ある仏僧が立ったまま生き埋めにされ小さなノコギリで首を切断された」事件のことが記されている。それによれば、この仏僧は書状でもってある1つの城を信長に敵対させようとしていたという。


 佐野はオリオン通りを歩いた。

 栃木県最大の繁華街とされる。1948年(昭和23年)12月に設立され、当時は一条町、江野町、曲師町の3つの町にまたがっていたことから、3つの星が並ぶオリオン座にちなんで命名された。

 

 東武宇都宮駅から東側(JR宇都宮駅方面)、宇都宮二荒山神社前のバンバ通りに向かって約500mのうち、西側の280mは宇都宮オリオン通り商店街振興組合に属しアーケードは(1967年〔昭和42年〕設置、1990年(平成2年)に現在の半透明のドーム形状で開閉可能な構造に建て替え)、釜川より東側の220mはオリオン通り曲師町商業組合に属しており、アーケードは1973年(昭和48年)に初代の三角屋根を設置し、1995年(平成7年)に現行の開閉可能な三角屋根に建て替えた。3階までテナント入居に対応し三角屋根の最も高いところは高さ16mである。アーケードは、新型コロナウイルス感染症 (2019年)感染拡大防止のためイベント開催時に換気のために開放されたこともある。


 その業種はカフェ、飲食店、食料品店、衣料品店、レコード店、宝飾品店、薬局、映画館など多岐にわたる。さらにアーケードの東の端にはMEGAドン・キホーテ、西の端には東武宇都宮駅直結の東武宇都宮百貨店が位置しており、地域の集客力を支えている。また並行する大通り沿いには「池上町商店街」と「馬場町通り商店街」が形成され、大通りとオリオン通り間の界隈には「東武馬車道通り商店街」「二荒通り商店街」「鉄砲町商店会」「馬場南通り商店会」「宇都宮中央通り商店会」が、また周辺には「バンバ通り商店街」「日野町商店街」「みはし通り商店会」など多くの商店街群があり、栃木県内で最大の繁華街を形成している。宮っ子はこの界隈を「マチ(街)」と呼ぶ。また、この東武宇都宮駅周辺の商店街群を合わせた繁華街全体をオリオン通りと呼ぶ場合もある。


 土日祝日・連休には県内外から訪れる多くの購買客により賑わうほか、平日午後は栃木街道周辺や大通り沿いに立地する大学や専門学校・高等学校の学生が立ち寄る姿が目立つ。さらに、宇都宮Festa内のオタク系ショップの効果から、最近ではオタクやコスプレイヤーなどの新規の客層が現れているなど、シャッター通り化する地方商店街が多い中、宇都宮市の中心市街地は比較的健闘しているといえる。


 それでも2000年代には、衰退傾向が目立ってきた。要因としては従前から続く車社会化のほか、足利銀行の経営危機による栃木県の経済活動の停滞、JR宇都宮駅前にララスクエア(現・トナリエ宇都宮)、商店街周辺にパルコ(閉店)などの大型商業施設が続々出現したことによる客層の分散や上記施設内への店舗の移転、湘南新宿ライン開業による東京副都心(池袋・新宿・渋谷)への購買客流出などがある。そこで、地元大学との産学連携、地域住民の商店街運営への参画促進に取り組んだほか、アーケード内の一角に市民広場「オリオンスクエア」を整備してイベントを実施するなどの各種活性化事業を実施し、来街者を増加させる努力を重ねている。2012年6月には、下野新聞社がニュースをテーマにしたカフェ「NEWS CAFE」(現・下野新聞 NEWS CAFE 茶果 tea room)を出店した。2014年、中小企業庁のがんばる商店街30選に選定された。

  

 佐野は無性に女とやりたくなった。

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