階段の談
賽藤点野
階段の談
僕の名前は
ウソのようだけど、本当の名前だ。
「お~い、ジビエモン」
だからこんなあだ名が付けれられるのも、無理からぬことだろう。
ウソ。僕はずっと無理があると思ってる。
「ジービーエーモン!」
「なんだい、ノミコちゃん」
僕がそう言うと、正面に座るツインテールの女の子はニコリと笑った。
僕の机を我が領地とばかりに私物を並べる彼女の本名は、
僕も彼女も帰宅部で、授業の終わった放課後なんかは恐ろしく暇なタイミングがある。その時を見計らい、彼女はよく僕に絡んでくる。
ノミコちゃんはふん、と鼻を鳴らした。
「まあ聴きなさいよ」
「聴いてるよ」
「わたし、すごい発見したんだから。す、ご、い、ね!」
そう言ってノミコちゃんは侵略地に建設したA4のノートをトントントントンと指で突いた。
ノートの表紙には、「怪異調査記録」と可愛らしい字で書かれている。
ノミコちゃんはこういう「怪しい噂」や「奇妙な出来事」を調べるのが好きで、少しでも話を耳に入れると学校中を、場合によっては住宅街、裏山、果ては隣県にまで足を延ばす。彼女は帰宅部だが、自身の活動を「怪異調査研究会」と称している。汗水垂らしてレギュラーの座を狙う運動部員と、心根は一緒なのかもしれない。
ともかく、ノミコちゃんは語る。
「ジビエモンは、『13階段』は知ってるでしょ?」
「……まあ、人並みには」
13階段。学校の七不思議にも入る、有名な怪談の一つ。
学校にある12段、あるいは14段の階段が、真夜中になると一段増えるか減るかして、13段に変化する。そしてその階段を上ると、異世界へと連れて行かれてしまうという。
場所や時代によって色んなバリエーションがあるが、概要はこんな感じだ。
ちなみに「13階段」とは、そもそも絞首台まで上る階段の段数が13ということから来た単語で、この単語自体が絞首台の異称を兼ねていることもある。また、13という数字は西洋では不吉な数字とされている。洋の東西問わず13は嫌われ者だ。
ノミコちゃんは上記の内容に誇張や脱線を含めて語ると、「怪異調査記録」をペラリと捲った。
ノートには罫線に沿ってつぶさに文字が書き込まれ、所々にノミコちゃんが描いたであろうイラスト(割と上手い)や図、または写真や新聞記事の切り抜き等が貼ってある。彼女の調査が単純な趣味ではなく、本気の情熱であることが伺える。
ノートは「怪異」毎に新しいページが分けられ、調査が終わると次の怪異のページに入る。ノミコちゃんがパラパラパラと素早くページを捲っていくため、内容を全部確認することは出来ないが、どの怪異も彼女の納得のいく結果で終わっていないように感じられた。
ノートも後半に差し掛かったところで、ノミコちゃんは指をピタリと止めた。そのページはタイトルに「13階段」と書かれ、他ページ同様に文字がびっしりと書かれている。
ノミコちゃんの指が調査記録の上を雪面のように滑っていく。やがて静止したカーリングのストーンは、ある項目を指した。
「……実地記録?」
僕が項目を読み上げると、ノミコちゃんはふふんと笑った。
「そ。これはわたしが『旧校舎』に入ってね」
「え、旧校舎って立入禁止」
「実際に比較してみたのよ。昼間の階段と夜の階段をね」
夜に至っては学校が立入禁止だと言おうとしたが、ノミコちゃんは既に次のことを言っていた。
「──変化していたのよ。昼間の段と、夜の段が……!」
ノミコちゃんは声を震わせながら、そう言った。
「……はい?」
呆然とする僕の肩をノミコちゃんはバンバンと叩き「まあ見て! これを見て!」とノートをドスドスと指で突く。痛いから落ち着いて。ノートも痛がってるから落ち着いて。
まずは僕が落ち着き、ノミコちゃんの突いた部分に目をやる。そこには二枚の写真の切り抜きが貼られており、それは旧校舎の階段を撮影したものだった。明るさの違いから、一枚が昼間、一枚が夜に撮られたものだと分かる。そして、
「────!」
ノミコちゃんの説明を待たず、僕は理解した。
昼間に撮られた階段の段数は12段。
夜に撮られた階段の段数は……13段。
13階段。
「……どう!? まさに百聞は一見に如かずってやつ!」
そう言ってノミコちゃんは僕の肩をバッシーンと叩いた。肩のライフゲージ減少に目もくれず、僕は昼の階段と夜の階段を交互に見続ける。
そんな僕の反応を見ると、ノミコちゃんは口を尖らせた。
「ジビエモーン……疑ってるでしょ。写真の合成か編集かってさ」
「あ、いや……」
肩に追撃を受けるかと思ったが、ノミコちゃんは再び顔に笑みを浮かべた。
「ま……無理もないか。わたしだって、家でこの写真を貼ってる時に気付いたんだから」
そう言って笑うノミコちゃんの顔を見て、僕は「おや」と思った。
彼女の目の下には、よく見れば薄っすら隈が出来ている。
もしかして、彼女は寝ていないのだろうか。髪の毛もどこか、ところどころ跳ねているように感じる。
「で、本題だけど!」
目をギラつかせながらノミコちゃんが言った。その顔は、アイドルを夢見る少女が初めてステージに上がったときのような、そんな印象を覚えた。
「こんな結果が出た以上、さらに詳しく調査をする必要が出たわけ! それで!」
「うん」
「ジビエモンにも協力してほしいの!」
「……なるほど」
驚きは少なかった。話の流れから、なんとなくそんなお願いをされる予感はあった。
僕は机に肘を乗せ、手を組む。肘を乗せたことで机の積載量は上限に達した。領地のほとんどは彼女の支配圏にある。
「……具体的に何するの?」
「あ、えっとね、いい加減用務員さんにマークされだしたから、上手く目を逸らしてもらおうかと……」
不法侵入の自覚はあるようだ。自覚した上で、囮を使ってまで強行突破を図ろうとしている。
僕はため息を吐いた。
「……一日だけだよ」
「っ!! ありがとうジビエモォーン!!」
そう言ってノミコちゃんは僕の顔をギュゥッと抱きしめた。
……お風呂にも入っていないのだろうか。微かに匂う。
ノミコちゃんにとっての怪異の調査とは、運動部にとっての試合と同じ。そして13階段は、全国大会の舞台と同等のものなのだ。
その大舞台に立つなと、僕の口からどうして言えよう。
ノミコちゃんは僕の顔をパッと放し、再び前の席に着席した。顔には彼女の体温がわずかに残っている。
ノミコちゃんは机から「怪異調査記録」と文房具などを鞄に撤退させると、勢いよく椅子から立ち上がり、
「そんじゃ実行は明日の夜ね! バイビー! ジッビー!」
と言って足早に立ち去った。あだ名からあだ名を生み出さないでもらいたい。
実行は明日なのに作戦会議も何も無いのだろうかと思ったが、ノミコちゃん個人でも色々と準備があるのだろう。甲子園を戦い抜くには万全のコンディションで挑むのが一番だ。そんなことを考えながら僕は戻って来た領地に腕と顔を預けた。
その後、ノミコちゃんが甲子園の土を踏むことはなかった。
次の日、彼女は学校に来なかったのだから。
ノミコちゃんが行方不明になり二日。
家族も、学校も、警察でさえ彼女の足跡を掴めていない。
ノミコちゃんが消えたのは二日前。その日は家にも帰らなかったという。僕と教室で会話をしたのが最後だ。
警察の質問を受けた僕は、ノミコちゃんの体調の不備と、夜の旧校舎に勝手に忍び込んでいたことを正直に伝えた。
話を聞いた警察は旧校舎の捜査を開始したが、所詮は田舎の学校。二階建ての小さな建物で部屋も少なく、身を潜ませる場所は限られている。そこも先生達が目を凝らせば簡単に見つけられる程度のものだ。捜査は1時間で終了した。
学校での捜査を一通り終えた警察は、校内に潜んでいる可能性を早々に放棄し、家出か誘拐の線で捜査を進めるべく、学校を去っていった。僕はホッと胸を撫で下ろした。
これで、旧校舎に潜入することが出来る。
二階建ての小さな木造校舎は、夜陰を纏うことにより無限の空間に感じた。
僕は家から持参した懐中電灯をかざしながら、一歩の度に軋む音を出す廊下を進んで行く。
……ノミコちゃんは、こんなところを一人で調べていたのか。
僕は警察の捨てた線を拾い上げ、独自捜査に踏み切った。
ノミコちゃんは旧校舎の、「13階段」の秘密を探っている途中で姿を消した。
彼女の足跡を追うには、同じようにその秘密を探るしかない。そしてそれが出来るのは、彼女から相談を受けた僕だけだ。警察に話したところで、相手にされないのは目に見えている。
「……ここだ」
そう声に出して立ち止まった。懐中電灯を前に掲げ、正面を照らす。
僕の目の前には、二階の闇の中まで続く古びた木製の階段がある。
足を掛けると、そのままバキリと折れてしまいそうだ。階段だけじゃなく、僕の足も。
しかし心までバキリと行くわけにはいかない。今は何でもいいから手がかりを集めるのが先決だ。僕は意を決して足を掛け
ぞわり。
突然背中を走ったおぞましい感触に、僕は素早く振り向いた。
「──っ!」
そいつは僕の真後ろに立っていた。
懐中電灯で照らしているにも関わらず、そいつの身体は墨で塗ったように真っ黒だった。
身体の輪郭は人間そっくりだが、背は高く、四肢は不自然なくらい痩せ細っている。「痩せ尖っている」と表現した方がいいかもしれない。
そして何より、そいつの顔は……階段状に抉れていた。顔が段差になっていた。
抉れた部分は朱肉のように真っ赤で、その段差の一段一段に、魚の目のような丸い物体が貼りついている。物体の黒目の部分が、ギョロリと動いた。
【見えるんだ】
口も開けずに(そもそも口のような器官は見当たらない)そいつは言葉を発した。
僕は体中から流れる汗の感触を自覚しながら、声も出せずにそいつを見ている。
【用があるんだろ? 言いなよ】
心を見透かしているように、そいつは続けた。僕の頭は混乱の絶頂にある。
コンマ一秒の落ち着きも得られぬまま、僕は一つの言葉を絞り出した。
「……ノミコちゃんを、隠したのは、お前か」
【ふふ】
言葉だけでそいつは笑った。その反応の意味を、僕は瞬時に理解する。
「彼女はどこだ」
僕が言うとそいつは【ふふ】と笑って、尖った右腕をゆっくりと上げ、ゆっくりと下ろした。
次の瞬間には、僕の目の前に縁の無い一枚のガラス板が浮いていた。そしてその板には、
「……っ!」
二日前に姿を消した、ノミコちゃんが写っていた。
目の下の隈はさらに深くなり、ツインテールにまとめていた髪はグシャグシャに乱れている。恐怖に顔を歪め、泣き叫びながら必死にガラス板の表面を殴っている。
しかし、彼女の声はおろか、板を殴る音すら聴こえてこない。
再び背後で【ふふ】という笑い声がした。僕は振り向く。
「お前は、何だ」
【名か? 既にこう呼んでいるじゃないか。『13階段』と】
「……何が目的だ」
【釣りだよ】
【物の複製を作り、それを本物の近くに置いておく。そして触れた者を釣り上げる。大抵は詰まらない釣果だけど、今回は中々だ】
13階段はガラス板に目を向け【ふふ】と笑った。
13段に変化した階段を上ると、異世界に連れて行かれてしまう。
「……どうすれば彼女を返してくれる」
僕の言葉に13階段は目を丸くした。馬鹿。最初から丸い。
13階段はしばらく黙ってから、変わらない声の調子で言った。
【ゲームをしよう】
「……ゲーム?」
13階段は続ける。
【『釣り針』はあと一つ垂れている。それを時間内に見つけ、壊せればこれを放す】
「…………」
【その代わり】13階段は言った。【壊せなければ釣果は二匹になる】
「……制限は」
【13分】
ふざけるな。そんなことを言う選択肢は僕にはない。
「……僕がお前に背を向けてから13分だ」
【ふふ】
了承の意と解釈した。僕はガラス板のノミコちゃんを見る。
彼女は口を動かし、必死に僕に何かを伝えようとしている。しかしそれは音にならない。
僕はただ彼女に頷き、階段に背を向けた。カウントダウンが始まった。
僕は全力で走る。今にもぶち抜きそうな廊下の上を。
時間は無い。ヒントも無い。とにかく駆け回り、怪しいものを片っ端からぶっ壊していくしか方法はない。
物の複製だって? そんなの見分けられるわけないじゃないか。僕が周囲の物品の数を常に把握していると思ってるのか。
だから僕は窓ガラスを割る。チョークを砕く。教科書を破く。椅子を懐中電灯で殴る。机を蹴飛ばしたところではたと気付く。僕が『釣り針』を壊したとて、ノミコちゃんが解放されたとどうやって気付くんだ? 一番確実なのは『釣り針』を13階段の前まで持っていき、その場で破壊して彼女の無事を確認することだ。そんな時間も余裕も無いというのに!
だめだ。闇雲にものを壊すだけではだめだ。考えるんだ、確実な正解を。考えとは何だ? あんな奴の考えなんか読めるわけない!
今何分経った? あと何分残っている? 僕は何分を無駄にした? 僕は今いる教室を後にする。針はどこだ。針はどこだ。針はどこだ!
廊下を走る僕の足が何かを蹴飛ばす。
僕が元の場所に戻ると、13階段もガラス板も変わらずそこに存在した。
ノミコちゃんが僕に気付き、板を思い切り殴る。音は聴こえない。
【針はまだ壊れてない】
13階段が僕に言った。
【どうした、諦めたか? 降参したいか?】
僕は13階段には何も返さず、ノミコちゃんの方を見た。
ノミコちゃんは泣いている。何度も板を殴ったのだろう。手は赤く腫れあがり、血も滲んでいる。
僕はノミコちゃんを見つめ、言葉を吐く。
「……ごめん」
僕は左手に持ったものを掲げる。
A4のノートで、表紙には「怪異調査記録」と可愛らしい字で書かれている。
僕はノートを開く。「13階段」が記録されたページ。一人の少女が、必死に調べ上げた記録の載ったページ。
そのページを破り取った。
【────】
13階段が何かを言おうとした。
僕は破り取ったページにマッチで火を点けた。
火は一瞬で燃え広がり、ページに張り付けられた写真ごと全てを灰にした。
気が付けば、旧校舎の上り階段には僕と、ボロボロになったノミコちゃんだけが居た。
ノミコちゃんは呆然としている。多分僕もそうだ。やがてノミコちゃんの目から涙がボロボロと零れ落ちる。
ノミコちゃんが何かを叫びながら僕に抱きついた。彼女の体温が僕を温めた。先日よりも強い匂いが鼻を突いた。
ノミコちゃんが「13階段」の秘密に気付いたのは、撮った写真をノートに張り付けた時。だから真相を確かめるべく、二日前に僕を誘った。
『釣り針』はあと一つあるとあいつは言ったが、針は初めから一つだけ。よくも13階段などと偉そうに名乗ったものだ。
旧校舎の階段は12段のままだった。増えていたのは、ノミコちゃんが撮った写真の段数だった。
階段の談 賽藤点野 @Dice-Daisuki
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