ディアスポラ高校生

えいじぇい

第1話 退学

 夏休みも終わりを迎える8月末の千葉県稲毛海岸。早朝にもかかわらず強烈に照り付ける日差しに襲われる。今日は市民トライアスロン大会が開催されていた。

 俺はスタートの合図とともに海に飛び込み、バシャバシャと泳ぎながら、息継ぎのペースが慣れてきたところでだんだんと高校1年生の1学期末に起こった出来事を振り返り始めていた。


    ◇


 高校を退学になった。


 私立海王高校は、日本国内でもトップクラスの進学校だ。その進学実績は、言わずと知れた国内トップの東京大学、京都大学はもちろんのこと、ここ数年では海外大学にも力を入れ始め、スタンフォード大学、ハーバード大学、シンガポール国立大学などへの進学実績も積み上げ始めていた。

 物心つく頃から世間一般でいうところの"英才教育"を施されていた俺は、かといってそれを"英才教育"と認識することもなく、文武両道を地で行く子供として育っていった。子供の教育には何かとお金がかかる。いきなり世知辛い話だが、まあ高校に進学するころには、自分の家庭と教育環境がどのぐらい恵まれたものであったかは理解していた。

 そんな俺は、今年、晴れて私立海王高校の入学試験を突破し、誇り高き進学校の生徒として華やかな高校生活が始まったはずだった。だが、そんな高校生活はたった数か月後に、1学期終了直前の学年集会にて終止符を打たれることになった。


「山本勇作君には、学校を去ってもらうことになりました。」


 学年主任の塚田先生の冷たい声が学年集会で集まっている講堂響く。一部の生徒はすでに知っていた事実だが、学年全体で見れば事情を知らない側の人のほうが多い。トップクラスの進学実績を誇る海王高校を去るということが人生においてどれだけの意味を持つか、想像するだけで身震いがする。何も知らずに心の準備ができていなかった生徒がその恐ろしさに自分のことでもないのに空恐ろしい気分になり、どこからともなくざわめきが駈け抜ける。


「聡明な本校生徒の皆さんには、理由はもはや言うまでもありませんね。」


 事情を理解していなかった生徒達も、塚田先生の言葉で、そのさにより事情を理解した。

 山本勇作君、学校を去ることになるのか。てか、え、俺ですか!?というのは冗談で、俺は事前に担任兼学年主任である塚田先生、そして父親である山本勇気との3者面談が行われ、そこで放校を言い渡されていたので当然事情を知っている側の人であった。

 その学年集会には参加しなくてもいいと言われていたが、「ほかの生徒がどんな反応をするのか見てみたい」という理由のために俺は本校における最後の学年集会に参加することにしたのだった。


 「まじか……」

 「まあ、当然だよな」

 「さすがに退学はやりすぎじゃん?」


 様々な生徒たちの声が飛び交う。そして、想像に難くない結果であるが、俺は好奇の目にさらされ、徐々に腫れ物を扱うような雰囲気に包まれながら学年集会の終わりを待つことになった。

 それにしても、あまりにも想像に難くない反応だったな。こんなんだったら学年集会に出るまでもなく帰ればよかった……そんなマイペースなことを考えながら、オレは数か月間のを過ごした校舎との別れをちょびっと惜しみながら家路についたのだった。


    ◇


 物思いにふけっているうちに気づけばスイムは定められた距離を泳ぎ切っていた。

 俺は海から上がり砂浜を駈け抜けてトランジションに移動し、500ミリリットル入りペットポトル一本分の麦茶を一気飲みした後、を開始した。


 トライアスロンは大抵の人なら知っての通り、スイム・バイク・ランの3種目で競う競技だ。最も一般的な距離は通称「オリンピック・ディスタンス」と呼ばれスイム1.5キロメートル、バイク40キロメートル、ラン10キロメートルのトータル51.5キロメートルでタイムを競う。ただ、競うべきはスイム・バイク・ランのスピードだけではない。「トランジション」と呼ばれるスイムからバイクへの着替えや、バイクからランへの靴の履き替えにかかる時間も競技の一部である。そしてどのタイミングでどのように水分補給・栄養補給を行うかも選手の判断で行わなくてはならず、また、水分は水にするのか、スポーツドリンクにするのか、栄養補給はゼリー飲料にするのか、固形の食料にするのかなど、その日の体調も考慮して戦略的に行う奥の深い競技であった。


「ああ、うまい」


 俺がをしている間にも、次から次へと選手たちが海から上がってきて素早く着替えをすまし、各々の自転車に乗り込んでバイク競技へと移行していく。それらを眺めていると、ロードバイクを押しながら近づいてくる見知った顔と目が合った。


「勇作、なにたこ焼きなんか食ってるんだよ!マイペースにも程があるぞ」


 アスリートの大切な中に声をかけてきたのは、俺の幼馴染の村上彰浩だった。


「これからバイクだからな」

「なに当然みたいな顔してるんだよ」

「先行ってていいよ、多分追い抜くから」


 彰浩は一瞬ムッとしたような顔をする。数分早くスイムをスタートしたにもかかわらず、後から海を上がることになった彰浩を煽るような言い方になってしまったことをちょっとだけ反省しつつも、ニッコリと笑顔を作って誤魔化し、彰浩を見送る。


「スイムは苦手なんだよ。バイクは抜かせないぞ」


 そう言い残すと彰浩はトランジションを抜けてロードバイク乗り、あっという間に見えなくなった。

 オレは朝コンビニで朝つい衝動買いしてしまったたこ焼きを食べ終わったところで、ロードバイクとともにトランジションを抜けてバイク競技をスタートし、40キロメートルの内の最初の数キロメートルを通過した時点で再び1学期末の出来事を思い出していた。


    ◇


 俺の退学処分が発表された学年集会から帰宅した日、彰浩から電話がかかってきた。もちろん、退学に関する話以外にはありえないだろう、億劫だなとおもいつつも、幼馴染であり一番の親友ともいえる彰浩にだけは義理を通しておかねばなるまいと、応答する。


「こんばんは、どうしたんだ彰浩?」

「どうしたんだじゃねえよ、勇作こそどうしたんだよ!」


 うーん、これはちょっと怒ってる?どうしたんだといわれ答えに窮していると彰浩が語気を強めて続ける


「勇作が辞める理由なんてないだろ?だっては勇作がやったわけじゃないだろ!」


 ああ、どうやら彰浩の怒りは俺に向いているわけではなくて、どうも学校側に向いているようだ。ちょっと安心。


「俺も他にも思うところがあってね。退学に関してはもう整理がついたよ」

「何を思うところがあるんだよ」

「うーん、退学でもいいかなって思うところがあって」

「なんだそりゃ、そのまんまじゃねぇか」


  当然、彰浩は納得していない様子だった。だが、彰浩はそれ以上俺に追求するのをやめ、数秒ほどの沈黙の後、言葉を続ける


「まあいいや、実は電話を掛けたのはそんなことを聞きたかったわけじゃないんだ。」


 まじか、絶対その件だと思ったんだけどな。


「それは意外だな。では、本来の用件とは?」

「勇作、地元に戻って西高に通うんだろ?俺も海王やめて西高に転校する事にした」


 さすがに予想できない展開だった。




 

 

 




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