Ⅳ‐2

 夢にまで見たモテ期は口の中で溶けるチョコレートかシャーベットみたいだったんだ。甘くてもっと欲しいって思う頃には無くなっちゃうんだね。まあ一度だけでも味わえただけよかったんじゃないか。そういうことにしておかないと、また俺の心の奥底に巣食うド腐れゲロたむしさんが大暴れしちゃいそうで怖い。


 まあとにかく、中谷に彼氏がいないのが分かったんだからいいのだ。ハーレム帝国とかバカなこと言ってないで、真面目に一途に頑張っちゃうぞって思ってて、そんな俺を神様はさすがに不憫ふびんに思ったのか何なのかビッグチャンス到来。


 バイトで厨房に人が足りなくて、いつもは洗い場の俺がフライヤーやって洗い場にホールしかやったことのない中谷が入った。店長的に、平日だし洗い場なら誰でもできるだろ的な采配だったんだけど、フライヤーの俺が中谷をバックアップしてやれみたいなことを言われてさ、バイト中はガチで忙しいからそこまで絡みもないだろうけど、いつもよりは段違いで距離が近い。


 バイトが始まる前に中谷に洗い場の心得みたいなのを教えて、ガラスのコップとラーメンの器と陶器みたいな皿は洗浄機にかけたばっかりの時に触ると火傷しやすいから気を付けてとか、どうしても無理そうならこまめに俺を呼んでとかバックアップ体制は万全にしておいた。


 今日だけの限定シフトなのにチャーハン用の米と普通の白米の炊き方まで教えることはないなって話になって、ご飯を炊く時は俺がやるって言って、とにかく中谷が皿洗いだけに集中できる環境を調えた。


 これだけ聞くといけるって思うでしょ? でもそうは問屋が卸さなくて、平日といえど初めての洗い場ってエグいのよ。夕方の5時から始まって、6時までに中谷に説明とか下準備したりして、6時半くらいまでは中谷も1人で何とかやってたんだけど7時頃には洗い物がたまりだしたし、8時には厨房の皿が足りなくなり始めてた。


 店長が「チャーハンの皿持ってこい」って怒鳴り始めて俺が代わりに洗い場から運んだり洗い物を手伝ったりしたんだけど、洗い場からだと揚げ物のオーダーがよく聞き取れなくてオーダーを確認しに行ったり二度手間が増えた。


 村田さんが一番最初に俺達だけじゃ回せてないのに気付いて、中谷の洗い場を手伝ってくれたりしてたんだけど、村田さんには村田さんの仕事があるからずっと洗い場を手伝ってるわけにもいかなくて、やっぱり俺が洗い場のフォローに入って、そうするとフライヤーの仕事が疎かになって、それを焼き場の高杉がフォローし始めてぐちゃぐちゃ。


「洗い場の皿なんかためられるだけためときゃいいんだよ!」


 持ち場がぐちゃぐちゃになって回らなくなっていた現状に気付いた店長がキレたけど、それじゃあ皿が足りなくなるってさっきキレたの誰だよってムカついた。


 店長は鍋場を安田さんに任せて休憩所に行って携帯で沢ちゃんに連絡して、沢ちゃんは8時半から10時の1時間半しか働けないのに呼び出されて、沢ちゃんが到着して、沢ちゃんと中谷の2人が洗い場に入ってようやっと厨房が回るようになったし、お客さんの入りも落ち着いてきて、10時になってまだ残ってた洗い物を俺と高杉と沢ちゃんで片づけようとして、休んでていいよって中谷には言ったんだけど、中谷は最後までやるって言って聞かなかった。


 汗だくで化粧も崩れ始めてて、水仕事したから手もボロボロになっちゃってんだろうな、1人で頑張ったつもりになって空回りして俺って役立たずじゃんって思ったらちょっとブルーだ。村田さんが俺達にお冷を持ってきてくれて、全員のタイムカード押しておくよとか、洗い物してて俺達ができない別のことを代わりにやってくれてて、気が利く子は違うよなぁって。


 後片付けが全部終わって仕事をあがって、みんなで今日は賄い何にするって話してたら店長が「今日は怒鳴ったりして悪かったな。もとはと言えば俺のシフトが間違ってたのにお前らに無理させちゃったよ」っつって、俺達5人に普段は食べちゃいけないって賄いで禁止されてる牛丼とエビチリとゴマ団子を出してくれた。


 めったに食べられないごちそうを食べて腹いっぱいになって、俺と高杉がタバコを吸いに外に出る。そして何故かタバコを吸わないのに村田さんも一緒。店の駐車場に灰皿持ってって、輪留めに腰を下ろすと村田さんが、もうちょっと詰めてって感じで手でぐいぐいやりながら俺の隣に座ってきた。


「いや、すぐ隣にもう一個あるでしょ」

「いいから」


 村田さんの肘が俺の腕に触れる。村田さんが近い。


「タバコおいしい?」

「ん? おいしいっていうか、もうこれは生活習慣だから」


 副流煙とかいいのかな? っていうか俺の吐いたタバコの煙を村田さんが吸い込むって間接キスみたい。俺は無駄にドキドキしながらしょうもないことを考えた。


 高杉は吸って短くなったタバコを口の中で縦に回転させるタバコ芸を見せて村田さんに自慢してた。俺も前、見せてもらったことがあるし、ドラゴンフライというらしいけどネットで検索しても出てこないから、高杉が自分で勝手に名前を付けたっぽい。確かに火の付いたままのタバコを舌で器用に回転させてて、見たら毎回すごいって思うんだけどネーミングセンス無いよね。どこにもドラゴン関係無いし。


 タバコを吸い終わって休憩室に戻ったら何か沢ちゃんと中谷の間に妙な空気ができてて「2人で何喋ってたの?」って聞いても教えてくんなくて、色んなところで色んなやつがそれぞれ勝手に物語を始めちゃってる感じが甘酸っぱい青春ドラマみたいでいい感じです。

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