神隠しの村
連喜
少年隠し
場所は伏せるけど、△△県の奥地に地図から消されてしまった村があった。明治の中頃には80人くらいが住んでいたようだが、寺も村役場もなくなってしまったから、どんな人が住んでいたかはわからない。ただ、周辺の村の老人たちが、〇〇村というのが昔あったけど、今はもう誰も住んでいないという事実を知っているだけだった。
その廃村では、50年か30年か10年かに1度くらいの不定期の頻度で、男の子が突然いなくなるという、いわゆる神隠しが起きていた。一番古い記録はなんと鎌倉時代まで遡れるほどで、”神隠しの村”と呼ばれていた。この話は地域の人には割と知られていて、親たちは気味悪がって子どもを近付けないようにしていた。
明治の終わり頃、この村で小さな男の子が行方不明になった。家にいて急にいなくなったそうだ。母親や兄弟が家にいると思っていたのに、気が付いたら姿が見えなくなっていたとか。家や家の周辺を探したけど、やっぱりいない。季節も秋の終わりくらいで、一晩外にいたら凍死するかもしれない時期だった。
年齢はまだ4歳だった。明治時代は子どもがよく亡くなっていたから、親は日が暮れた段階で、死んだと思って諦めたそうだ。近所の人には言わなかった。その家族は村八分の状態だったからだ。村八分というのは、葬式と家事以外では、他の村民がその家庭と付き合いを断つということだ。村の入会地などにも立ち入ることができなくなると水源の利用ができなくなることから、ほぼ死に近い意味合いがあった。
「神様に連れていかれたんなら、その方がよかったろう」
父親は言った。
あの子は神隠しに遭ったんだ・・・。
もう、誰も探そうとはしなかった。
***
20年くらい経ったある日。
その家に見知らぬ男が尋ねて来た。瘦せていて、顔は青白かった。どことなく父親の若い頃に似ていた。
「あんたもしかして、あれ、志朗じゃないの?」母親はすぐに気が付いた。
「お母さんですか?」
「そうだよ。今までどこにいたの?」
「村の人に
「何のために?」
「この辺は水害が多いので、昔から童貞の男の子を連れて行って、神に奉仕させることになってるんです」
「いったいどこで?そんなとこあるのか?」
「ええ・・・言えませんけどね」
「よく、戻って来れたねぇ」
母親は泣いた。
「いいえ。どうしても伝えたいことがあって寄りました。私はすぐに戻らないといけませんので・・・」息子は他人行儀だった。
母親は息子にいろいろ尋ねたが、何も答えなかった。
「どうして?」
「神様が戻って来いというので」
「いや、返さない。殺されても返すもんか」
母親は息子の手を握って、大丈夫だからと囲炉裏のある部屋に上げた。
「じゃあ、飯でも食っていかんか?」
「いいえ。お構いなく。普通の食事は食べられませんから」
父親も「誰か迎えに来たら、もう帰りましたっていうからよ。隠れていればいいんだ」と言って引き留めた。
「警察に言うよ。だから、逃げることない」
「無理ですよ」
息子は寂しそうに笑った。
「私がどうしても伝えたかったのは・・・もうすぐこの村が土石流に飲まれるってことです。逃げてください」
「でも、逃げても行くとこなんかないよ」
「いいえ。命さえあれば何とかなりますから、必ず逃げてください」
夫婦は囲炉裏のある部屋の隅に布団を敷いて息子を寝かせた。まだ電気が通っていないから、明かりは囲炉裏の火だけだった。端の方は暗くて白い布団だけがぼんやりと浮かんで見えた。息子は行儀よく静かに眠っていた。時々、顔を見に行くと、農民の子どもとは思えないほどに、品よく目を瞑っていた。
夫婦は一晩中囲炉裏の近くで座っていた。やくざみたいなのが来たらどうしよう・・・2人は不安だったが、息子が心配して出ていくと言い出すと困るので黙っていた。沈黙が続いて、囲炉裏の火だけがパチパチと鳴っていた。2人は小声でひそひそと話していた。一体どこにそんな場所があるんだろうね?
きっと竜神様だ。夫は言った。妻はよその村から嫁に来たから知らなかったのだ。
結局、朝まで誰も訪ねて来なかった。夫婦はほっとしていた。
「よかった。そろそろ起こそうか」
妻は夫に言った。夫婦は息子が安心してぐっすり寝ているかと思っていたが、寝ていたはずの息子は、布団から忽然と消えていた。
「あの子は、危険を知らせに来たのかな?」
「でも、俺たちに行くとこなんてあるわけないし」
妻は嫌な予感がしたが、夫に従うしかなかった。
村が土石流に飲まれて消滅したのは、それから半年後だった。
***
それから、100年以上の年月が経った。土石流で丸裸になった森は植林がされたりして、また元のような緑豊かな山地に蘇っていた。地元の人たちは地域の活性化と観光客の誘致ために、ハイキングコースを整備した。その中に、あの失われた村が含まれていた。神隠しの村のことは民俗学者が収集したマニアックな書籍には書かれていたが、誰もそんな非科学的な話をしなくなっていた。
そんな田舎に敢えて遊びに来る人は少ないのだが、もの好きな夫婦がいた。旦那は50歳くらいで奥さんは40代後半。男の子が1人いて5歳くらいだった。夫婦の趣味は登山だったから、子どもを引き連れて週末はよく山へ出かけていた。キャンプや釣りなどもやっていたから、週末は大体アウトドアに出かけるというのがこの家族の過ごし方だった。
夫婦は観光案内所でハイキングの地図をもらって出発した。マイナーなコースなので誰も歩いていなかった。整備の状態はいまいちで道に枯れ枝が散乱していた。少し不気味な感じはしたが、それでもゴールに滝があるということだったので、3人はルート通り歩いて行った。
「誰もいないと気持ち悪いね」
「こんなとこハイキングコースなんて名前つけるなよ!」旦那は文句を言った。
「ただの林道じゃねえか」
「熊とかでそうじゃない?」
「あ、そういえば・・・観光案内所にも熊に注意って書いてあったな」
「どうする?」
「知らねぇよ。今更」
旦那はすぐ不機嫌になるタイプで、いつも文句ばかり言っていた。奥さんも似たタイプだったから、夫婦になったんだろうと思う。
「熊ってどうすればいいんだっけ?」
「ラジオとかを付けてうるさくしてればいいんだろう?クマにこっちの居場所を知らせるのがいいんだ」
「そうなんだ。じゃあ、歌でも歌う?ヒロキなんか歌おうか」
「何の歌?」子どもは尋ねた。
「じゃあ、森のくまさんの歌」
奥さんと子どもは大きな声で歌い出した。
ある~日。森の中。熊さんに出会った~
子どもは自分の知っている曲なので大声で歌っていた。
父親もこれだけ騒いでれば大丈夫だろうと安心して歩いていた。
森なのか林なのか知らないが、景色はずっと変わらない。あと、どれくらい歩くんだろう。
「結構遠いね」奥さんは愚痴を言った。
気が付くと1時間も歩いていた。しかも途中で登り坂があったり、下ったりで体力を消耗していた。
「この地図の縮尺おかしいって!」
旦那は切れていた。地元の人達が描いたイラストみたいな地図はやっぱりわかりづらくて、正確性に欠けていた。全長何キロメートルとか何分とか目安になることが何も書かれていなかった。
「どうする?3時間とかだったら」
「滝の所でお弁当を食べて、ちょっと休まないと、ヒロキが帰りしんどいんじゃない?」
「そうだなぁ・・・こんなもん作りやがって」
旦那は地図を振り回して怒っていた。
次第に子どもが喋らなくなっていた。
両親は「もう少しだよ!頑張って」と励ましたが、子どもはゆっくりとしか歩けなくなっていた。
「滝の音とか聞こえないかな」
奥さんは言ったが何も聞こえない。
少し坂道を下った。夫も妻も一気に駆け下りる。
下の方には川が見えていた。
「あ、川だ。もう少しで滝かな?」
「うん」
夫婦はほっとした。それまで歩いた時間を無駄にしたくなかったからだ。何の変哲もない林道を歩いただけなんて、山の頂上に到達するわけでも、滝を見られる訳でもなかったら、貴重な時間を費やす意味がないからだ。
「ヒロキ、もうちょっとだよ!」
お母さんが振り向いた。後ろには誰もいなかった。
「あれ、ヒロキがいない!」
奥さんが騒ぎ出した。
「馬鹿野郎!後ろ見とけよ!」
夫婦は慌てて来た道を戻ったが、確実に一緒に歩いて来たのがわかっているのに、息子はいなかった。
「谷底に落ちてるんじゃない?」
「ええええええ!」
旦那はわざと大声を出した。
「110番しよう」
「うん」
「警察犬とかに来てもらえば見つかるよ」
奥さんは110番で、子どもが行方不明だから警察犬も連れて来てもらえないかと懇願した。2人は元来た道を歩きながら大声で息子を探した。
しかし、しばらくして、ぽつぽつと雨が降って来た。
「どうしよう。臭いが消えちゃう!」
奥さんは泣き叫んだ。
「雨の予報じゃなかったのに・・・」
結局息子は見つからなかった。
年配の消防団の人が警察官に話していた。
「ここは昔から男の子がいなくなるって言い伝えのある所でね。地元の人は子どもを連れてこないんですよ。明治の頃と、昭和の30年代にも小さい男の子がいなくなって・・・明治からこれで3人目」
「竜神様が連れて行くんでしたっけ?それなら、もう戻って来れないでしょうね」
「でも、生きてるみたいですよ。代替わりで次の子を探しに来てるだけだから」
「どっかにはいるんですかね?」
「多分・・・宗教の人たちがやってるんだったら見つからんでしょうね」
この話が、夫婦に伝えられることはなかった。
そのハイキングコースは廃止になって、観光案内所からパンフレットも撤去されてしまった。そして、誰も行かない場所になった。夫婦は毎週足を運んで、滝までたどり着いたが、結局息子の遺体は見つからなかった。
神隠しの村 連喜 @toushikibu
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