第117話

 ごく小さく声を抑えて鳴き、呪境の香炉の周囲から魔力を退けて神力を呼び込む。反応を起こすべき属性に触れて、呪境の香炉は正しく発動した。

 そして一気に、場の属性が神力へと塗り替わる。


「っラァッ!」


 光の神力を爪に宿し、半人半竜がモスナ像へと殴り掛かった。彼の爪の輝きは増し、一方のモスナ像は表面の輝きさえ曇りが生じた感がある。

 事実、モスナ像の強度は落ちたのだろう。先ほど耳障りな音を立てて表面を削るにとどまった男の爪は、然程の抵抗も受けずにモスナ像の肩に突き刺さる。


「おおおおおお!」


 その体に爪を埋めたまま、半人半竜は腕を袈裟懸けに振り抜いた。


「――」


 左肩から右の腰のあたりまでを両断され、半身と別れ別れになりつつもモスナ像は無表情だ。物質からできているだけに、感情があるのかどうかすら分からん。

 再生はしない。破損が大きいと自己修復しきれないのか。


「モスナ……!?」


 最大にして唯一の手駒の戦線離脱に、原初の魔物は動揺の声を上げた。


「馬鹿な。これは――何だ?」


 原初の魔物の目は、正しく呪境の香炉の発動範囲と、そうではない部分の境目を見ていた。


「そこに何かいるな。だがなぜわしを飲み込まなんだ……?」


 俺は呪境の香炉を原初の魔物の手前までにしか影響させていない。正しく見抜いたからこそ、原初の魔物は戸惑った。

 明らかに意図がないとやらないことだからな。警戒するのは無理もない。


 だが相手が答えを出すのを待っていてやる理由はない。半人半竜は唇に笑みを刻みながら魔方陣を構築していく。

 外側の円は三重線。三倍強化型だ。


「おらよ吹っ飛べ! 聖火光ホーリーレイ!」


 原初の魔物の頭上に生じた、煌めく無数の星々。それらが思い思いに輝くと、膨大な熱をはらんだ光の線を打ち落とし始める。

 聖火光そのものも強力な魔法だが、当たってもまだ致命傷には届かないだろう。ただ、確実に怪我は負う。避けざるを得ない。

 そして高コストを証明するパフォーマンスを充分に発揮した半人半竜へと、原初の魔物の意識の割合が傾いた瞬間。


「え~い、ですわ~」


 初めて、女の方がしゃべった。実に聞き覚えのある声で。

 フリルの化け物みたいな黒のスカートを翻して、畳んだパラソルを棍棒代わりに原初の魔物の首を強打する。


 ……鳴ったら危険な音がした。生命的に。


「ぅ、ぐっ」


 床に強かに叩きつけられて呻きつつ、それでも起き上がろうとした原初の魔物の近くにかがみこんだリーズロットは、告げる。


「動かない方がよろしいですわ~。マナの経路を骨ごとずらしましたので、少しでも動くと死にますわよ~?」


 事実だった。本当に、薄皮一枚にも満たない接合である。少しでも動けば切れて循環が断たれ、死ぬ。

 原初の魔物も己の状態が分かったのか、動くのを止めた。


 その隣にぽてん、とメタモルスライムが落ちる。今の今までリーズロットの姿と魔力を偽装していたのを止めたのだ。

 やっぱり、参戦はしていたんだな。


「では、お伺いしますわね~? 死にたいかしら、それとも降参されますかしら~」

「降参しよう」


 己の命を救うことを、原初の魔物は迷わなかった。


「まあ、それはよかったです~」


 原初の魔物の宣言と共に、彼の体の下で魔法陣が輝く。強制転移されようとしているようだ。

 決着がついて尚、留まることは許されないんだな。よくできている。


「よかった? 何がだ。まさかわしの命を惜しむとでも?」

「いいえ~。全然~」


 肯定したらしたで驚くが、こうも曇りのない笑顔でいつもの調子と変わらず言われると、微妙な気持ちにはなるな。

 ああ見ろ。原初の魔物も苦い表情だ。


「では、よかったこととは?」

「貴方の命にリズは価値を感じていませんけれど~。でも、貴方のことが大切な人はいるでしょう~?」


 こうして魔王軍としてデュエルを挑んできているぐらいだ。他者との繋がりは確実にある。

 その中には悪くない仲を築いている者もきっといるだろう。


「恨みを買うの嫌ですし~。何より、恨むということは悲しいということですもの~。己の手で不必要な悲しみを作り出したがるほど、リズは物好きではありませんの~」

「……」


 リーズロットの言葉に原初の魔物は目を見開き、うなだれる。


「……そうか」

「ですので、この度の戦利品についての交渉、楽しみにしておりますわ~」


 そういえば魔法陣の展開は原初の魔物だけか。モスナ像は両断されてから沈黙したままだ。リーズロットに所有権が移っている気配がある。

 まあ、それぐらいの利益はあってもいいんだろう。侵攻側のリスクとしても。

 もっとも、リーズロットは条件次第で返すつもりのようだが。


「仕方あるまいな。では、それまでモスナを素材にしてくれるなよ」

「分かりましたわ~」


 リーズロットが応じた言葉が届いたかどうか、というところで原初の魔物の姿は消えた。

 そして始まったときと同じく、厳かに鐘が鳴る。


「よし、終わったな?」


 隠れていた木の上から降りて、リーズロットの側に着地してそう訊ねる。


「終わりましたわね~」


 リーズロットの口調はいつも通りだったが、ほっとした心情も現れていた。これで三年はデュエルで脅かされないと言っていたからな。


「しっかし、不思議なもんだな。ダンジョン内は異空間だぜ? 外部の神力をこうも的確に呼び込めるもんか」

「ダンジョンそのものだって、外部の力に影響されなくはないだろう。異空間ではあるが繋がっていないわけじゃないからな」


 言葉の通り不思議そうだった半人半竜へとそう答える。

 ましてここは表層だ。入り口に近ければ近いだけ外にも触れやすい。


「ご苦労様でした、アシュレイ」

「なんのなんの。マスター以外の奴に仕えるのなんて御免だしな」


 どうやらこいつは名前付きネームドか。普段は階層の境界を護ったりしていそうだ。


「終わってすぐですまないが、リーズロット。お前の配下で見目のいい奴を見繕って、地上に送ってくれないか」

「地上? ですの~? 人間たちから攻撃されてしまうのでは~?」

「そんな余裕はないから大丈夫だ。お前のダンジョンを制圧しに来た魔王軍と戦っているはずなんだ。覚えているだろう。神人とダークエルフがいたあの一団だ」

「ああ、そういえば。王都の近くに布陣しているようですわね~」


 自分のダンジョンに関わることだ。動きの監視は続けていたらしいな。

 メタモルスライムは残してきていたし、そいつが伝えてきていると思われる。

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