第107話
そうして降り立った町の周辺の様子を目にして、少し驚いた。いないと思っていたのに、意外と人間がいる。
多分、到着の予定が狂ってしまった人々だ。明かりを灯し、何なら用意よくテントまで張って、門が開くのを待っている。
さらに逞しいことに、開門待ちの人々を狙った商人までいるようだ。水や食料、毛布などを提供している。
これも、訪れる人が多い王都ならではか。
――さて。人間の生活の一端を見て驚いている場合じゃない。早く迫っているという魔物の軍勢を見付けなければ。
できれば、緊急事態に耐性のない上層部が大袈裟に騒いでいるだけであればありがたいんだが。……そうはいかないか。
結界の外に出れば、探査も容易い。
少し探るだけですぐに分かった。確かに通常ではあり得ない魔力の数が固まって移動している。
方角は北。
確か、蜂も北だった。巣もしっかり北にあったからそれ以上は探さなかったが、そちらの方角に魔王軍としての拠点もあるのか?
まあ、今はいいか。まずは軍の勢力を偵察しに行くとしよう。
俺が動き出さないのに焦れて、メタモルスライムが張り付いた腕を引っ張ってきているし。こいつもリーズロットに忠実だな。
町からある程度離れたところで、フォルトルナーの姿に戻る。こっちの翼で飛んだ方が早い。
メタモルスライムはちゃっかり背中に乗った。
いいけどな。こいつを運ぶのが俺の役目だし。
風を操作し、浮力を使って上空へ。同様に風の方向を調整しつつ、目的地へと向かう。
この感覚だと、王都到達までは四、五日と言ったところか。足の速い種が先行すれば、明日攻撃を受けてもおかしくない。
しばらく進んだところで、目視に成功する。
先頭を進むのはオーガの群れ。後ろに続くのはゴブリン種。そして中枢を担うのは、一見すると人間種に近い容姿の持ち主たち。
唯一の違いは耳の長さぐらいだろう。長く尖っている。褐色の肌に黒髪、ダークエルフだ。
力の度合いを示す瞳の鮮やかさも全員高い。特に中心にいる紅の瞳の男は最低でも上位種。願望を含まずに判断するなら、おそらく最上位種だ。
この編成からするに、オーガとゴブリンはただの壁。ダークエルフたちを取り囲むように配置されている植物系、妖精系が主力だろう。
……使い捨て、か。別に同族意識など持っていないつもりだが、やはり面白くない気持ちにはなる。
そんなことを考えて眺めていると、不意にダークエルフの手が背負った弓にかかった。まずい!
「くッ」
気付かれた、射られると思ったのと、矢が俺の片翼を射抜いたのは同時だった。少なくとも、俺の反応速度での認識は。
落下した俺の数歩先に、すでに爪先が見える。
「フォルトルナーか。珍しい」
意外そうな呟き。見上げた先にいたのは、例の紅の瞳のダークエルフだ。
「おい、こいつを拾っておけ。我が神への献上品にする。丁重に扱えよ。壊したら殺す。お前らのように、掃いて捨ててもきりのないほど生まれる雑兵とは希少度が違うのだからな」
先頭を歩くオーガの一匹にそう命じて、ダークエルフは元の配置場所へと戻っていく。
命じられるまま、オーガが俺を抱え上げた。居丈高な命令に対して、特に何かを感じている様子はない。
この個体としての自我の薄さ。現存しているダンジョン所属の魔物だろう。
……今すぐ逃げるのは難しそうだ。あのダークエルフにもう片翼を射抜かれるのがおちだ。
メタモルスライムは――と見れば、いつの間にか俺から離れて草むらに隠れていた。正しい。
神への献上品と言っていたから、大人しくしていれば粗末には扱われないだろう。十全の状態で献上したいはずだ。
内側に入れたのはいっそ足止めにも有効かもしれないが……残念ながら俺の力では叶いそうもない。
メタモルスライムから受け取った情報を元に、リーズロットが対抗できるような配下を派遣してくれるのを願うのが最も現実的だろうな。
ただ俺の所感からすると、戦力を見たあと降伏を選ぶ可能性もある。魔王軍に所属して指揮権を持っているような奴はレベルの違う強者だと分かっていたが、まだ甘く見ていたと言っていい。
避けていたし、関わる機会もなかった。そんな機会、永遠に欲しくもなかった。
その後魔物の軍勢は、黙々と行進を続けた。夜が明けて朝が来て昼を回った頃、ようやく休憩に入る。
体力やスタミナを数値としてしか斟酌しない、徹底した合理主義の賜物だ。実にエルフ族らしい。
ああ、しかし――
すっかり空高く上った太陽を見て、ため息をつかずにいられようか。
間違いなく、不在がばれてる。騒ぎになるような立場ではないが、トリーシアは嫌味の一つ二つ言われているかもしれん。悪いことをした。
工作が上手くいっていれば儀式は遅れるはずだから、致命的なことにはならないと思うが……。
空を見上げて沈み込む俺の元に、大将らしきダークエルフが近付いてきた。
「具合はどうだ、フォルトルナー」
「悪くはない」
合流してすぐゴブリンメイジによって治療されたので、事実である。
「無駄に暴れない辺り、知能も低くはなさそうだな。何よりだ。希少品とはいえ、あまりに愚かでは神に捧げるのは躊躇う」
身勝手極まりないことだが、神に捧げるに相応しくないとこいつが判断したら殺されそうだな。
「調子が悪くないのなら歌ってみせろ。実力が噂に違わぬかどうか、確認しなくてはならない」
「断る」
冷静に考えれば、大人しく従って少しでも油断を誘っておくべき。だが実際には即座に口が断っていた。
思考は従うのが無難だと言っている。だが心が拒絶した。歌わされるのは好きじゃない。――否、嫌悪さえ覚える。
捕らえられて強要されたのは初めてだったから、こんな風に感じるのだとは知らなかった。無理やり歌わされるフォニアがよく死ぬ理由が理解できるというものだ。
「神さえ希う俺の歌を、お前ごときが計るつもりか。身の程を知れ」
「――……」
俺の言葉に衝撃を受けた様子で、ダークエルフは絶句した。
そして数瞬後に立ち直り、ぐぐ、と深く眉間にしわを寄せる。葛藤しているようだ。
「確かに。それは神の嗜好への侮辱か。しかし……」
「うふふ。貴方の負けね、エイディ。それに大丈夫。その子の歌はわたしが保証するわ」
「ステラ様」
割り込んできた第三者に対して、エイディと呼ばれたダークエルフは姿勢を正して敬礼をした。明らかに上位者に対する態度だ。
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