第36話
結界は無事、起動した。例外処理も上手く働いたようで、結界に護られたノーウィットの町にいても問題は起こらなかった。
残すはダンジョン討伐のみ。
「イルミナさん、大丈夫かな……。やっぱりわたしも行こうかな……」
「やめておけ。足を引っ張るだけだろう」
リージェの戦闘能力では、一緒に行くだけイルミナの邪魔になる。
「それよりは、ポーションの一つでも作っていた方が後の役に立つだろう」
たとえダンジョン討伐に成功したとしても、そのときはすでに大氾濫の二波が来ている。傷を癒す道具はいくらあってもいい。
「あ! そういえば、トリーシア様も材料余ってるって言ってたかも。わたし、融通してもらえないか聞いてくる」
とにかくじっとしていられないらしく、リージェは勢いよく立ち上がる。
「好きにしろ。俺は自分の研究に戻る。しばらくアトリエに立ち入るな」
「こんな時でも!? ……まあ、ニアだもんね。分かった。緊急の時以外は」
絶対に入らないと言わせたいところだが、状況が状況だ。仕方ない。
リージェが出ていくのを見送って――俺もすぐに家を出た。向かう先はダンジョンだ。
イルミナには大氾濫の後の攻略を勧めたし、定石としても間違っていない。だからイルミナはその時を待つだろう。
だがその定石は、人間ならばの話だ。
俺は魔物なので、人間が侵入したときのように集中して襲われたりはしない。見たところ飛行能力を持っている魔物もいなさそうだったから、案外楽に奥まで行けるかもしれない。
何より、俺には勝算がある。真正面からやり合えば勝てる相手ではないだろうが、ならば真正面からやり合わなければいいだけのこと。
……イルミナは、強い、と思う。だがそれは騎士として――仲間がいることを前提にした強さだ。
ゴブリンジェネラルのときにそう思った。イルミナの護りは鉄壁だが、一人で戦うとなると、強者に対しては決め手に欠ける。おそらく彼女の役目は、味方を護り、攻撃の機を作り出すことなのだ。
そんな彼女が一人でダンジョン討伐になど挑んだら、どうなる? いずれ押し切られ、命を落とすだろう。
死なせたくないから、面倒に耐えてここまでやった。ダンジョン討伐に行かせては意味がない。
人の擬態をしたままの俺では足手まといだし、魔物であることを打ち明ける気もない。残る選択肢はただ一つ。独力での解決だ。
外壁には魔物の動向を監視するため、普段よりも多くの見張りが立てられている。町から出たい俺にとっても邪魔だ。
面倒ではあるが……本気でやれば抜けられなくはない。
作成難度レベル八に設定されている
服を脱いでバッグに突っ込み、人化を解く。空を飛んでしまえば外壁を超えるなど容易い。そしてそのままダンジョンへと直行する。
魔力はずいぶん高まっているな。大氾濫発生まで、半日もないかもしれない。
魔法陣に突入する直前、不自然な金のきらめきを見た気がして目を向ける、と。
――イルミナが、いた。
魔力濃度の高まりに気付いたか。大氾濫が起きた直後に突入できるよう、近くで待っているのだ。
イルミナの目は一瞬俺を捕らえて訝しげな色を浮かべるが、他に集中を割いているせいだろう。看破はされなかった。安堵しつつ、ダンジョンへと侵入する。
大氾濫直前だけあって、やはり魔物が多い。
上空を確保し余計な戦いは避けつつ、とにかく奥へと進む。
ダンジョンはそれなりに深かったが、魔物を大量生成中なのが幸いした。魔力が一方向から大量に流れてくるのだ。これを遡れば辿り着けるだろう。
そうして到達した最下層は、十二階。目の前にそびえる両開きの大扉に、ほっと息をつく。ダンジョンの造りは様々だが、この最後の部屋だけは変わらない。
しかしもちろん、目的は更に先。風を操作し、扉を押し開く。
中の様相はちょっとした大広間といったところか。石材の床には魔法陣が描かれ、淡く薄紫に発光している。
部屋にいたのは人型に近い進化をした、それでも鬼の特徴をその青みがかった肌の色と額の角、鋭い爪や牙といった各所に残したゴブリン種一体のみ。
どう見ても特殊個体。核と融合したダンジョンの主、
「何だ? お前は。私が創造した配下にフォニアなどいない。迷い込んできた野良か? それとも他の原初の魔物からの使いか?」
原初の魔物――エルダーゴブリンとでも称するべきそいつは、実に流暢にそう問いかけてきた。相手の言語が何であろうと問題にしない、変換作用を持つ言語魔法を使って。
これは、今日昨日生まれた原初の魔物ではない。少なくとも数年は経ている。
つまり己が充分な力を付けるまでダンジョンを隠蔽し、気付かれずにここまで来た知性と能力の持ち主だ。
脅威度Bでは甘そうだぞ、イルミナ。……何であろうとやることは変わらないが。
「近くの町に住んでいる……まあ、野良であることは否定しない。ただ、迷い込んできたわけではなく、お前を滅しに来た」
「脆弱種が、剛毅なもんだ。――いいだろう。折角そちらから飛び込んで来たんだ。その希少な体、素材にしてやる」
エルダーゴブリンは理由を問わなかった。同じ立場なら俺もそうだろう。
己の糧にするための喰い合いは、魔物社会ではままある。
背中に差していた大剣を引き抜き、エルダーゴブリンは跳躍する。そして。
「
足元に石材を少量作り出すとそれを蹴って勢いを付け、突きの体勢で突っ込んでくる。
対して俺は、魔力を含んだ鳴き声を上げるのみ。周囲の魔力が俺の声という命に従い、不可視の刃となってエルダーゴブリンへと放たれる。
「っ」
やはり飛行能力はないのか、エルダーゴブリンは軌道を修正せず、体勢だけを変えた。こちらが狙った部位への致命傷を避けるために身を丸め、腕や足――更に言うならそこに身に付けた防具で魔力の刃を受ける。
失速し、地上に落ちたエルダーゴブリンは、驚きを隠さない目で俺を見上げた。
「本当に、魔力そのものを操るのか」
そう。俺は――フォニア種は、世界にある源素の魔力、神力を、そのままの形で扱うことができる。……自身の体にある魔力や神力が尽きるまでは。
フォルトルナーにまで到達した今、魔力量、神力量だけは充分にあるので、戦えないことはないはずだ。事実、先程の一撃はエルダーゴブリンが身に付けていた防具を貫通し、赤い血を滴らせている。
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