第14話

 軽い夕食を用意して、俺はリージェに貸した部屋の扉を叩いた。


「夕食ができたぞ。冷めないうちに来い」

「すぐ行くわ」


 答えの通り、リージェは扉を開けた。部屋は――この短時間でずいぶん綺麗になっている。部屋の中でせっせと働いている雑巾が主力なのだろうか。

 埃っぽさが失せて、むしろ爽やかな花の香りがほのかに――っまずい。


 ブレンドされた香料の中に、魔除けの効果のあるレビナの存在が感じ取れた。体が反応し、不快感が込み上がってくる。早く離れよう。

 踵を返し、ダイニングへと戻る。俺が皿によそっている間にリージェは手洗いを済ませ、席に着く。

 メニューはパンとスープとサラダ。リージェにどう映るかは知らないが、これが俺の日常である。


「いただきます。――って、あの……」

「何だ。足りないものでもあったか?」

「……じゃなくて。コート。着たままなの?」


 顔の半分まで影で覆うほど目深に被ったフード付きコートは、家の中では更に奇妙さが際立つだろう。だが。


「ああ」


 首肯した言葉に嘘はない。一応ここは工房で、俺はギルドに所属している。急な来訪者がないとは言い切れないのだ。

 そのため、普段からローブは脱がない。リージェは一切無関係だ。


「そ、そう」


 とはいえ、それを相手が信じるかはまた別の話だが。

 疑わしく思っているのは声で分かった。だが同時に、追及しようともしていない。どうせ一晩限りの関わりだ。深く突っ込む意味もない。

 特に会話もなく、黙々とスプーンを口に運ぶ。


「――ごちそうさまでした」

「いや。口にできるものを提供できたのなら何よりだ」


 屋台などで軽食を買うこともあるし、その経験から味覚が大幅に人間とずれているわけではない……と思う。少し濃く感じはするが。

 俺としてはわりと真剣な問題だったのだが、きょとん、としたあとリージェは噴き出した。


「変な言い方ね。普通においしかったわよ。ちょっとヘルシーな感じだったけど」

「悪いな。濃い味は苦手なんだ」

「そうなんだ。――ねえ、参考書とか持ってない?」

「一応あるが……王都の方が品揃えもいいだろう」

「見たことない本が掘り出し物的にあるかもしれないわ」


 ないと思うぞ。俺が持っているのは本当に有名な基礎参考書だけだから。

 ……それに、私的な空間に踏み込まれるのはあまり好きじゃない。

 俺が乗り気ではないのを見て取ったのか、リージェはむうと頬を膨らませ――名案を思い付いた様子で手を叩く。


「じゃあ、交換ならどう? 今わたしが持っている本を見せるわ。その中に貴方が気に入った本があったら貸すから、その代わりで資料室を見せて?」

「む……」


 俺が持っている参考書をリージェが知らない可能性は無きに等しいが、その逆、俺が知らない本はごまんとあることだろう。

 王都に――というか、大都市に近付けない身としては、もの凄く気になる。

 俺の反応が悪いものではないと見抜いたリージェは、にこーっと愛想笑いをしてポシェットに手を伸ばす。そしてどんどんとテーブルに本を積み上げていった。


「さあさあ! どうぞご覧あれ!」


 プライベートに踏み込まれたくない気持ちと知識への欲求は、数秒で後者に傾いた。

 仕方ないだろう。この機を逃したら、次に高度な専門書と出会えるのはいつになることか……!

 一番上の本に手を伸ばし、ページを捲る。


「交渉成立ね? ねえ、見てきてもいい?」

「好きにしろ。苦情は受け付けないが」

「言いませんよーだ」


 皿を流しに片付け、リージェは足取り軽く資料室へと向かう。

 ……ふむ。なるほど。劣勢になりがちな素材の性質を引き継ぐには……。




 読み進めて少しした頃、ばたばたっ、と慌ただしくリージェが戻ってきた。


「ちょ――、ちょっと! あ、貴方、これ!」

「ん?」


 何事かと顔を上げてみれば、リージェの手には一冊のノート。……しまった。研究ノートを置いたままだったか。


「……見たな?」

「見たわ」


 研究途中の物だから体裁は悪いし、記している情報も半端だ。加えて低ランク品の研究だから、リージェにしてみれば何の価値もないものだろう。

 だが俺にとっては曲がりなりにも数十日をかけて記録していった時間の結晶。見られて嬉しいものではない。

 しかしまあ、置き忘れていたのは俺の失敗。リージェに然程の罪はあるまい。

 然程に留まるのは、それが明らかに市販の本ではないと分かるからだ。


「俺の管理が杜撰だったのは間違いないから、見たことについては文句をつける気はないが……。いい趣味とは言えないぞ」

「うっ……。ごめんなさい」


 罪悪感はあったのか、リージェは怯み、謝った。


「で? それがどうした」

「どうしたも何も! これがどういうことよ!?」

「研究過程だが」

「それは分かるけど! そうじゃなくて貴方――属性の構成を操作できる、の?」

「……当たり前だろう?」


 それができなくて錬金術など行使できないだろうが。


「っ……!」


 眉をしかめつつ肯定した俺を、リージェは絶句して凝視して。


「わ――、わたしに、教えて!」


 はあ?


 ……こいつは一体、何を言っている?


「王都でしっかり学んだお前に、俺が教えることなどないと思うが」


 むしろ俺が教わりたいぐらいだ。


「王都の王宮錬金術士だって、そんなことできる人少ないわよ! ……というか貴方、どうして王都に来ないの? 構成操作ができるほどの才能なら、すぐ王宮に呼ばれるわよ。一級の待遇が受けられるのに」

「別に……栄達を求めるだけが全てじゃないだろう。俺はここで自分の研究ができれば満足だ」

「もったいないッ」


 そう言われても。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る