第8話

「――……」


 イルミナはなぜか、愕然とした様子で沈黙する。それに不安感を覚えた。


 まさか、人間の常識と違うのか? そんな馬鹿な。俺を魅了した錬金術――その使い手であった老女は、間違いなく人間だった。そして彼女は素材の属性調整を見事にこなしていた。


「貴方……」


 眉を寄せ、口調を詰問するときのようなものにしたイルミナの言葉は、大量の鳥の羽ばたきによって遮られる。


「!」


 それから一秒もせず飛び出してきたのはウルフ系中級種族の一つ、シャドウウルフ。気配遮断の能力に長けた進化先だ。


 不意打ちの一撃を、イルミナは瞬時に抜いた剣で弾く。同時に浅くない斬撃を受けたシャドウウルフは悲鳴を上げて飛びずさり、姿を消した。

 退いたわけではない。獣の気配は周囲に満ちている。囲まれている。


 彼らに俺は――何もしない。イルミナの前で戦えば、正体が魔物だと感付かれる可能性がある。ついでに、そもそもする必要がない。


「エアスラスト」


 反撃の魔法を放ったイルミナが、それだけでシャドウウルフを制圧したので。

 イルミナを中心にして風の刃が放たれる。シャドウウルフを狙うのに障害物となっていた樹木もろとも、無軌道な風の刃がすべてを刈り取った。

 後に残ったのは開けた視界と、無惨に散らされた草花。そしてシャドウウルフ六体とゴブリンメイジ二体の亡骸だった。


「炎を使うよりはマシ、だったよね」


 景観が悪くなったのは間違いないが、これぐらいで環境の変化は起こらないだろう。問題ない。

 イルミナは息をつきつつ、倒れた魔物たちの魔石を回収する。核を失った魔物の骸は魔力を失い、そう時間をかけずに大地へ還っていくだろう。


 話通り、獣系とゴブリン系か。ダンジョンに巣くっていたのもゴブリン系が多かった気がする。

 ゴブリン種は生まれたての下級種こそ、知能も低く肉体もそう強くない。しかし成長を重ねるごとに厄介さが跳ね上がるので有名だ。何しろゴブリン種は道具を使う。


「やっぱり、増えてる。いくらダンジョンができたからって、この数は異常……」


 眉を寄せ、イルミナが険しい声で呟くと、まるでその声を聞きつけたかのように重い足音が近付いてくる。実際のところ聴き付けられたのは、先程の戦闘音だろうが。


「お……?」


 現れたのは二メートル近い巨体の、やはりゴブリン種。しかしこいつはどう見ても中級種ではない。その厚い肉体も、重装備に耐えうる力も、上級種と見た方がいいだろう。


「ゴブリンジェネラルが、外に……!?」

「なんで、魔物、死んだ? 力、付けさせろ、命令された。守れなかった。お叱り、受ける。――お前ら、殺す!」


 殺気をみなぎらせるのと同時に、ゴブリンジェネラルは自身に強化魔法を発動させた。これだけでゴブリン種の危険度は跳ね上がると言っていい。


「ニアさん、下がって!」


 背中の大剣を引き抜いたゴブリンジェネラルは、力任せにイルミナへと振り下ろす。イルミナはそれを左腕の盾で受けた。激しい金属音が響いたものの、彼女は微動だにしない。


「はッ!」


 盾で大剣を逸らし、右手の剣を振り抜く。

 しかし防御の見事さと比べて、その一撃は精彩を欠いた。技術が乏しいという意味ではなく、単純に力が足りないのだ。

 イルミナの剣はゴブリンジェネラルの左腕を正確に捉えたが、奴の素肌に弾かれて終わった。より正確には、浅い切り傷を付けて終わった。


「おい……っ?」


 嫌な想像をさせるのに充分なやり取りに思わず声を上げると、イルミナからすぐに答えが返ってきた。


「大丈夫。向こうの攻撃も通さないから」


 それは大丈夫だと言えるのか?


 いや、いずれは何とかなるのだろう。時間をかけ、ゴブリンジェネラルに魔力消費を促せば、そのうち身体強化が解けてイルミナの剣も通るようになるはず。それには俺も同意する。


 だが、そんな無駄な時間を待つ理由はない。

 こういったときのために持って来ていた道具の一つ、サレメの毒を取り出す。発案者は主婦だったそうだ。主に害虫駆除に使われる微毒だが、改良を加えてもう少し強くしてある。


「コールウィンド」


 毒を撒き、ある程度の操作性がある風を生み出す。


「ぶっ!?」


 いきなり顔に叩きつけられたやや強めの風を、ゴブリンジェネラルは無防備に受けた。キョトンとしたその顔が、一拍後、見る間に苦悶のそれへと変わる。


「グッ、ア。アァァッ!!」


 喉を掻きむしり、悲鳴を上げ――仰向けに倒れる。しばし細かな痙攣を起こしていたが、数分後には静かになった。


「な……何をしたの?」

「毒だ。頑丈な奴を倒すにはこれに限る」


 最上級種にもなると内側も頑丈になるやつが増えるし、知能も増す。しかしとりあえず、今のゴブリンジェネラルには効いたので問題ない。


「ゴブリンジェネラルを瞬殺するような、毒……!?」

「サレメの毒だぞ? 別に驚かれるような品じゃないだろう。多少アレンジを加えてあるが」


 その結果、取扱注意の品になってしまったので、害虫駆除薬としては失敗作だ。


「アレンジ加えたってレベルじゃないと思うけど……。ねえ、ニアさん。さっきも思ったんだけど、貴方――」

「話は後でいいだろう。サレメの毒はもうないぞ。もう一体現れたら面倒なことになる」

「あ……そうだね」


 うなずき、イルミナは抜身のままだった剣を鞘に納める。


「昨日より更に魔物が多くなってるし、急いで終わらせた方がよさそう」


 イルミナも理解してくれたところで、採集作業に戻った。

 しかし、急激な魔物の増加か。

 ……嫌な予感がするな。

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