第149話 オブライエンの過去1

 シュナイゼルと共に向かった屋台にはそれなりに人が並んでいた。


 激しい訓練後の昼休憩、食べ物を販売しているというだけで需要を満たしているのだろう。


 俺達の目的は、かつてオブライエンの幹部だったという店主に話を聞くこと。ゆえに客足が途絶えるまで待つことにした。


「あの人が元幹部ですか」


「調べた限りだとな」


 遠くから店を眺め、接客をする店主の様子を確認する。ちょうど客とやり取りをしているところのようだ。


「いらっしゃいませ。ご注文は?」


「あー、こっちの白いパンと黒いパンはなんか違うのか?」


「原材料が違いますね。黒いパンの方は固いから、もし食べるならスープなんかに浸すといいですよ。あっちに産業廃棄物がなんとか~って言ってスープを売ってる店があったでしょう?」


「じゃあ白い方は柔らかいんだな?」


「ええ。まあそこら辺の感覚は人に寄りますけどね。どちらかと言われたら白い方が柔らかく、さっぱりしてると思います」


「じゃあこっちで」


「まいどあり」


 物腰穏やかで、若干説明口調な言葉遣い。店主である老人は、どことなくオブライエンに似た喋り方をしていた。


 というか、それにしても。


「あの爺さん、パン屋って柄じゃねえだろ。馬鹿みたいに強いぞ」


 俺の気持ちを代弁するようにシュナイゼルが呟く。


 流石はオブライエンの元幹部といったところか。店主は現役を退いてもなお隠し切れない雰囲気を纏っているのだ。


 彼自身は細身の老人だが、その体型はオブライエンのように非力さを感じさせるモノではない。


 例えるなら極限まで細く研ぎ澄ました日本刀。

 一見して華奢だが、使い手次第では名刀に化けるような、肌がひりつく凄味がある。


 そんな店主が穏やかな笑みで接客をする様を、俺達はしばらく観察していたのだが―――


「お?」


「あの人は確か······」


 店にオブライエンの側近らしき老人が立ち寄ったことで、周囲の雰囲気がガラリと変わった。


 それまで列を成して並んでいた軍人達は蜘蛛の子を散らすように解散し、その場に残ったのは店主と側近の二人。


「はぁ。営業妨害かと思いますがね」


「それに関してはすまないと思っている」


 細身の店主と、老いてなお見上げるばかりの巨躯を保つ筋骨隆々の側近。


 対照的な二人は、どこか緊迫感を持ったまま言葉を交わす。


「で、営業妨害までして何の用ですか。バックス千人隊長殿」


「その耳障りの悪い敬語はやめろ。貴様とて現役を続けていれば千人隊長だったろう」


「もう辞めたんですから、今じゃただの平民ですよ」


「そのことだがな―――」


「嫌です。何度頼まれても、どんな言葉で説得しようとしても、私が軍属に戻る事はないでしょう」


「今回に限っては事情が異なるのだ。今こそお前の力が必要だと分からないのか?」


 半ば懇願するように詰め寄るバックスというらしい側近。


 しかしそれでも店主の表情は変わらず、それどころか次に彼が放った言葉は、敬語すら取っ払った強い拒絶であった。


「私が剣を預けたのは真っ当に大将軍を志したオブライエンであって、今の落ちぶれた彼ではない。辞める時に言っただろう?預けた剣は返してもらうと。私はもう彼の剣ではない」


 鋭く、言葉一つでバックスを威圧する様は、まさにオブライエンの元幹部に相応しい。恐らく店主は幹部の中でもより替えの利かない存在だったのだろう。


 だからこそこうして、戦争直前になっても現在の幹部が説得に現れる。


「そう、か。ならば仕方あるまい。だが気が変わったらいつでも来い。お前の席は空けてある」


「二度とその席が埋まることは無い」


「フン」


 軋轢を感じさせる雰囲気のまま去るバックス。その背を見つめる店主は、どうしてかきつく拳を握り締めている。


「よし、今なら平気そうだし行くか」


「え!?今ですか!?」


 よくこの状況で首を突っ込む気になれるな!?


 いや、まあ時間もそんなに無いし、タイミング的にはここが一番なのかもだけど。


 さっさと歩き出したシュナイゼルを慌てて追い掛けるように、俺は急いで走り出した。


⚪️


 じっとバックスが去っていった方を見つめていた店主が、こちらに気付いて振り向いてくる。


「盗み聞きですか?」


「すまねえな。悪い趣味だとは思うが、事情が事情でよ」


「はぁ······最近、私生活を覗かれているような気がしていたのですが、貴方だったようですね。シュナイゼル軍団長」


 ため息混じりに言葉を絞り出す店主。そこだけ切り取って見たら、くたびれた老人に見えないこともない。


「まあな。今日はあんたに話があって来た」


「オブライエンのことですね」


「話が早くて助かる。戦争に不安を残したくねえんだ。あいつの近くにいたあんたから、出来る限り多くの情報を聞きたい。出来れば、かつては真っ当だったらしいあいつが狂った原因も、聞いておきたいところだ」


「――――――」


 長い、長い沈黙。店主の表情には酷い葛藤が表れていた。

 オブライエンや彼に関する話には、それほどの真実が含まれているのだろうか。


 しばらくの沈黙の後、店主がようやく口を開く。


「良いでしょう。ただしここでは場所が悪い。少し移動します」


⚪️


 そうして俺達は人気のない場所まで移動した。


 とは言ってもここもまだ平野で、さっきまで居た場所と特に代わり映えのない景色が広がっている。


「少し疲れました。座っても?」


「構わねえよ」


「では失礼」


 草木の生い茂る草原に腰を下ろした店主は、一息付いてからこちらを見上げてくる。どうやら俺達にも座れというらしい。


 仕方なく俺とシュナイゼルもその場に座り、店主と目線を合わせた。


「君がノルウィン君だね?」


「え?あ、はい。そうです。はじめまして」


 突然話し掛けられ、狼狽えつつも答える。


「ふむ。シュナイゼル軍団長。この子を同行させたのはなぜですか?」


「やっぱりガキは気に食わねえか?」


「いえ。単に理由が気になるだけです」


「こいつが優秀だからだ。あんたも噂くらいは聞いてるだろ?」


「まあ、そうですね」


「このボウズは、その噂の百倍は優秀だぞ。間違いなく俺の後か、遅くてもその後には大将軍になる器だ」


「なるほど······」


 シュナイゼルの強気の発言に目を見開いた店主は、じっと俺を見て押し黙る。

 こちらを推し量るような視線が俺を貫く。


「良いでしょう。この子の道が大将軍へと通じているならば、私がする話は聞いておくべきですから」


「すみません。よろしくお願いします」


「まあ、君にはまだ難しいかも知れないがね―――」


 そう言って苦笑してから、店主は唐突に表情を消した。


 真顔、ではない。これはそれよりも闇深い、なんというか虚無感?喪失感?


 とにかく心が芯から冷えるような不気味さがあった。


 その表情のまま店主が口を開く。


「シュナイゼル軍団長。突然で申し訳ありませんが、貴方にはそれが無いと冷静ではいられない、もし失えば気が狂うという程に大切だと思うものはありますか?」


「あ?それは話に関係あるのか?」


「はい。大切なものは何でも構いません。家族、友人、地位、名誉、金。真っ先に何か思い浮かびましたか?」


「家族、だな。もし亡くしたら正気じゃいられねえよ」


「そうですか。ノルウィン君もあるかな?」


「あります」


 サラスヴァティ、ルーシー、ミーシャ。多くの顔が浮かんでは消え、最後に一つ、クレセンシアの笑顔が脳裏に刻み付けられる。


 この世界で俺が守ると誓った少女。今もなお死の定めに縛られた少女。


 もし本当に失えば、俺は狂ってしまうかもしれない。これまでの全ては、それを防ぐための努力だったのだから。


「そうですか。シュナイゼル軍団長、ノルウィン君。昔のオブライエンにもね、あったんですよ。失ったら正気じゃいられないほど大切なものが」


「······もしかして、大将軍か?」


「よくお分かりですね。そうです。彼は誰よりも大将軍という座に焦がれ、それを追い求めていました」


 大将軍が大切。それを失えば狂う。俺にはいまいち理解出来ない感情だが、ガルディアスやシュナイゼルがそれにかける思いを考えれば、確かにあり得ない話ではないのかもしれない。


「私は彼とは幼い頃からの付き合いでしてね。それこそ今のノルウィン君より小さい頃から、オブライエンは大将軍になるんだと口うるさく言っていました」


 昔を懐かしむように目を細め、澄み渡る青空を見上げながら店主は言葉を紡ぐ。


「大将軍、英雄、そういった輝かしい姿が幼心に響いたのでしょう。それで実際に大将軍候補に登り詰めてしまうのだから凄いものです。しかし、結果はお二人が知っての通り。彼は争いに敗れ、この地に流されることとなった。あの時の絶望は忘れられませんよ。彼だけではない。彼の背に夢を託した私たちも、平静ではいられなかった」


 ―――俺がクレセンシアに全てをかけるように、オブライエンも大将軍という最強の座に全てをかけていたのか。


 今の俺より幼いといえば八歳未満。そんな頃から夢見た地位に手が届きかけ、しかし突き落とされた絶望はどんなものだったのだろう。


「まあ、言葉にすればこうやって数十秒で話せてしまう。あの時の気持ちは、実際に味わったものにしか分からない。しかし、想像はして欲しい。本当に、当時の私たちは持ち得る全てを費やして、大将軍を目指していたのです。あらゆる時間、あらゆる娯楽、それこそ好きな女すら捨てて、オブライエンを支え続けた。それだけが、私たちの夢だったから」


 そう語る店主の言葉に嘘は無いだろう。先程の合同訓練で見た側近達がオブライエンに向ける忠誠心は、確かに本物だった。


 誰よりも大将軍に焦がれ、それを目指していたという当時のオブライエンには、唯一無二のカリスマがあったのだ。


「でも、私たちにとって唯一にして最大の不幸は、下の世代にガルディアスという怪物がいたことです。武力と智力を兼ね備えた超人。あれこそ完璧な大将軍だった。あれに智力だけで渡り合ったオブライエンも十分に化物でしょう。しかし、全てを持つ本物には叶わない。この絶望が、あなた方に理解できますか?」


 空を見上げていた店主がこちらを振り向いて問い掛けてくる。


 再びその貌に浮かぶ喪失感、虚無感。ああ、これは人生を賭けた夢が敗れた表情なのだ。


 これを失えば冷静ではいられない。きっとこの店主も、オブライエンの失脚で大切な何かを失った。


「オブライエンの努力は端から見ても本物だった。常軌を逸していた。周囲の凡人が妥協し、諦め、遊び、笑い、そんな時ですら研鑽を怠らなかった!でも、神は彼に二物を与えなかった。どうしても、どう鍛えても、オブライエンの身体では強さに限界があったんです。お二人も見たでしょう?あの細い、貧弱な身体を」


「そう、だな」


 シュナイゼルが気まずそうに呟く。神に愛され、最強の身体を生まれ持った彼からすると、この話は思うところがあるのだろう。


「ガルディアスに大将軍の座を取られた事で、私たちは皆狂ってしまったのでしょう。オブライエンは希望を失い、そんな主の背に夢を託していた我々も、何かを失った。この地に流された時、私たちは死んだも同然でした。だから、だから―――」


 容易に、狂う事が出来た。


 店主は、そう言葉を続けた。


 狂うとは、一体どういう意味なのか。俺とシュナイゼルが驚愕する中で、店主はさらに先を口ずさむ。


「今話した過去が、オブライエンが狂った原因。そしてその後、この都市が現在の体制に至った理由がこれからの内容です。まず始めに言っておきますが、現在のオブライエンの独裁は、彼が産み出した形ではありません。ほとんど、彼の部下がやったものですよ」


「どういう形であれ、オブライエン様に一番上にいて欲しかったということですか?」


 思わず言葉が漏れる。


「そうです、ノルウィン君。彼に夢を託したからこそ、私たちは彼が頂点でなければと思ってしまった。こんな辺境の土地ですら、ね」


 過去の痛みはまだ店主の口から晒されたばかり。


 これより語られる隠されていた真実は、俺達の予想を遥かに越える衝撃を秘めたものであった。

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