第97話 決着

(あ、負けた)


 受け流し切れぬ威力に吹き飛ばされながら、ルーシーはそう確信してしまった。


 剣の才覚に優れているから、必要以上に見えすぎてしまうのだ。

 今の一撃で大きく体勢を崩されたため、次の攻撃は回避しきれない。

 かといって受ければさらに崩され、そこから一手か二手切り結んだ末に詰まされるのが分かる。


 分かってしまったから―――


 ルーシーは泣いた。


 何で泣いたのか、ルーシーは自分でもよく分からなかった。


 だけど、こんな時に何故か思い浮かんだノルウィンとサラスヴァティが共に訓練をしている光景が、とてつもなく眩しくて、悲しくて、堪らない。


 幼いルーシーはまだその感情を言語化出来なかった。


 仲の良い二人が一緒に強くなる横で、ルーシーは彼らほどの鍛練をしなくても、強さの階段を数段飛ばしで駆け上がれてしまう。


 強さは無くとも、彼らは多くを持つ。そして欠けている強さすら一緒に努力することで手に入れることが出来る。


 あの二人は欠けを埋め合う、お互いが必要な存在だ。


 しかしルーシーはそうではない。

 彼女には剣しかないのだ。ノルウィンやサラスヴァティの理想として、遥か高みで輝かしい姿を見せることしか出来ない。


 あまりにも一方的過ぎる関係性。

 真の意味でルーシーが二人に並び立つことはない。


 だからこそ、負ければ全てが無くなる。


 ノルウィンとサラスヴァティがルーシーの一敗をそのように重く受け止めることはないが、今、彼女はそう思ってしまった。


(やだ。負けたくない)


 もっと、もっと、なにか無いのかと。


 剣才、武の才以外は何も持たないルーシーは、足りない頭で必死に考える。


 だが考えれば考えるほど、敗北の二文字が濃密に現実感を帯びるだけであった。


 今の自分はここ止まり。最後の一滴まで絞り出した上で、完璧に負けるのだ。


(やだ、やだ、やだ、やだ!)


 避け切れない戦斧を受け流そうと、剣を持つ右腕を強く振りかぶるルーシー。柔らかく受け流すはずが、負けを強く拒んだ分だけ力んだ斬撃となってしまった。


 そうして受けを違えれば、


「あっ」


 戦斧と衝突した瞬間、右腕が大きく外に弾かれ、そして剣は宙を舞った。


 騎士が戦場で剣を手放す。それは敗北を意味する。


 リーゼロッテは笑みを浮かべつつも、僅かに満たされない貌で戦斧を振り下ろした。


 最早回避はかなわない。無手では受けも不可能。つまり、詰み。


 ルーシーの感性と理性が敗北を悟る。だけど、それでもなお諦めきれずに、彼女は―――本能に身を任せて勝利を欲した。


 その動作に思考は一切含まれていなかった。ただ、右腕は間に合わず、かといって素手で打開できる状況でもないから、無我夢中で抗った結果、彼女は吹き飛んでいく剣を左手で掴んで、そのまま振りかぶったのだ。


 それを見たリーゼロッテは内心で相手を称賛した。

 ルーシーは慣れない腕で剣を振るってでも勝ちを欲した。

 普通、追い詰められたら人は諦めるもの。

 ここまで戦いに本気になれる者はそういない。

 だから敬意を払って、受けもろともルーシーを打ち砕かんとして―――


「な、に!?」


 右と変わらぬ剣閃が、辛うじてリーゼロッテの戦斧を受け流した。殺し切れない勢いに再び吹き飛ばされながらも、なんとルーシーは九死に一生を得たのだ。


 あまりにも予想外の事態に、リーゼロッテは目を丸くする。しかし一番驚いているのはルーシー本人だった。


「·····私、両利き?」


 そう。ルーシーは生来の両利きであった。


 彼女の剣は、父への憧れから始まった。だから、右利きのシュナイゼルがそうであるように、ルーシーの剣は無意識で右に片寄っていた。


 こればかりは仕方ない。シュナイゼル以外も、周囲のほぼ全員が右利きなのだ。それを見て育ったルーシーが右を重点的に使うのは、ある意味で当然だろう。


 しかし、今、万に一つの勝ちを拾うために、遮二無二左で剣を振るった。


 振るって、しまった。


「······なんで、分かんなかったんだろ」


 両利きであること。その意味を剣の天才は瞬時に理解し、笑う。


「······こんなにすごいこと、気づかなかったの?」


 一歩、また一歩、ルーシーは取り憑かれたように、リーゼロッテへと向かっていく。


「両利き。珍しくはあるが、それだけで勝てるとは思えん。満身創痍のお主に何が出来るのだ?」


「······出来るよ。なんだって」


 今度はルーシーが攻めた。速くて強いが、超速くて超強いリーゼロッテには及ばない。この程度の攻めならば、一発戦斧を振りかぶれば容易に砕ける。


 未だに勝利の確信を持ったまま、リーゼロッテは余裕の表情でルーシーの攻めを受け―――そして、目を見開いた。


「なん、だと!?」


 圧倒的な手数。右で剣を振るったと思えば即座に左に持ち変えまた斬撃を放つ。

 両腕を振るった後は再び攻めるまでに一瞬の時間を要するが、そこは天才のルーシーである。

 隙間の時間は、蹴りに体術にフェイントに、何でも繰り出すことが出来る。


「······すごい。これ、すごい!」


 右手で出来ることが左手でも出来るようになれば、単純計算でも技の種類は2倍になる。

 そして使い手の練度次第では、左右のコンビネーションで技のバリエーションは無数に広がっていく。


 両利きとは、そういうこと。


 先程の倍以上の手数、倍以上の技でルーシーが攻め立てる。


 それはもう、リーゼロッテですら止められるものではなかった。


 僅か十数秒。あれほど最強を誇ったリーゼロッテを、その圧倒的な身体能力による暴力を技で打ち砕き、ルーシーは戦斧を激しく吹き飛ばした。


 今度はリーゼロッテが無手となった。


「そうか、これが―――」


 どこか晴れやかな、そしてそれ以上に悔しげな顔をして、リーゼロッテは笑った。


「······私の、勝ち!」


 唖然と立ち尽くす敗者に、強烈な一撃が叩き込まれる。ルーシーの全力をもろに食らったリーゼロッテは、血を吐いて崩れ落ちた。


⚪️


「やった!見た!?見たノルウィン!ルーシーが勝ったわ!」


 隣でサラスヴァティが満面の笑みを浮かべ、飛び上がりながら大声で叫ぶ。


 闘技場はそんなサラスヴァティの声が掻き消されるほどの爆音で満ちている。


 歓声、拍手、あるいは怒号。この世界にきてから今が一番うるさいのだろう。


 だけど、どんな音も今の俺の心を捉えることはなかった。


 俺は、左右を巧みに組み合わせて、新たな可能性を見せたルーシーに釘付けになっていた。


 すごい。すごい。凄すぎて凄いしか言えない。


 だって―――


 ノルウィンの身体は右利きだけど、その中にいる『俺』は左利きなのだから。




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