第90話 圧倒的な壁
貴賓席からでは遠すぎてアリーナがよく見えない。というわけで、俺たちは一般の観客席で試合を見守る事にした。
歩く隙間もない程の人で満ちた客席。しかし先頭を歩くヴァーゼルを見れば、皆がビビって左右に道を開けてくれる。
そうして無理やり最前列に陣取った。ここからならアリーナが、そこに立つサラスヴァティがよく見える。
「頑張れサラス!」
俺の声援が届いたのだろう。サラスヴァティがビクリと肩を震わせて周囲を見回し、俺を見付けて微妙な顔をする。
応援は嬉しいけど恥ずかしいといった感じの表情だ。
「······頑張って」
「サラスヴァティさんがんばれー!」
ルーシーとレイモンドの応援が重なる。それを聞くサラスヴァティは恥ずかしそうに肩を震わせながらも笑顔を見せていた。
過度な緊張は無さそうだ。あれなら万全な体勢で勝負に臨めるだろう。
しかし―――
「リーゼロッテ=オブ=ヴァルキュリア。まだ子供だというのに、まさかこれ程とは」
ヴァーゼルが目を見開いてリーゼロッテを見る。
俺たちの応援も、会場の声援もかき消すほどに、リーゼロッテは幼少の部の中で隔絶した雰囲気を纏っていた。
これまで一度も強敵と当たらなかったリーゼロッテが、ここに来てサラスヴァティという相手を認めてしまっていた。
一切の油断も遊びもなく戦斧を構える様は圧巻の一言。
圧倒的だ。あまりに圧倒的過ぎる。
でも、それでも!
俺はサラスヴァティの努力を知っている。一度は心が折れかけ、そんな苦しみを踏み越えてもう一度剣を握った彼女の勝利を信じたい。
実際は無理かもしれないけど、全ルートで死ぬ運命にあるクレセンシアを助けようとしている俺が信じてやらなくてどうすんだよ。
頑張れ、サラスヴァティ。
⚪️
(ああ、やっぱり違うわね)
サラスヴァティは対面のリーゼロッテを見て、自らの非力さを嘲笑った。
サラスヴァティは、ルーシーやシュナイゼルなど一線を越えた強者を何度も見てきた。その経験が訴えかけるのだ。目の前の少女もまた、世界に愛された戦の申し子であると。
自分たちより三歳も歳上で長く経験を積んだ怪物。心身の成長分、ルーシーよりも厄介な相手かもしれない。
そんな化け物が、一切の油断もなく戦斧を構えている。
サラスヴァティは笑えてくる思いであった。これほどの怪物が、なんで自分なんかに本気を出すのかと。
「そのように怯えるな。折角の戦がつまらなくなるであろう」
「怯えてなんか無いわよ」
「なれば良い」
(なにがいいのよっ)
サラスヴァティはギリ、と強く歯を食い縛る。
分かっている。分かってはいるのだ。
どれだけ努力したところで、天才が同じ量を積めば自分は所詮格下である。
こうして八強まで残れたこと自体がある意味奇跡に等しい。
だけど―――
(ああもう!なにも考えなくていいわ!これ以上はおかしくなるッ)
無理矢理思考を切断し、サラスヴァティは無心で剣を構えた。
父の背に憧れ、初めて剣を握った日から変わらぬ基礎的な構え。
シュナイゼルのように荒々しくもなければ、ルーシーのように脱力しているわけでもない。
彼らのように特別になれないから、どこまでも基礎に徹してきた。
戦斧を構えるリーゼロッテは獰猛な笑みを浮かべた。
途端にサラスヴァティは動悸が早くなるのを感じ取る。
怖い、苦しい。客席から降り注ぐ大歓声が、まるで自分の負けを心待ちにする合唱のように聞こえてしまう。
(早く、早く、始まりなさいよ!)
「試合開始!」
合図が聞こえた瞬間、サラスヴァティは身体強化すら用いて全力で前進した。
これまで全ての試合を一撃で仕留めてきたリーゼロッテに対して、それはあまりにも自爆的な突撃である。
客席からは悲鳴が上がるが、試合を見守るシュナイゼルは「よし!」と拳を握った。
超大な戦斧。重く長い武器と戦うなら、まず懐に入らなければ話にもならないのだ。
実際、その判断は正しい。
細かい取り回しが出来ない戦斧に対し、狭い剣の間合いは抜群に相性が良いからだ。
間合いの外から一方的に殴られるのは辛いが、逆に懐に入ってさえしまえば、並の使い手はそれでおしまいだろう。
ただ、当たり前の事ながら、リーゼロッテは並ではない。
全神経を集中させたサラスヴァティは、リーゼロッテの初撃を回避して剣を打ち込んだ。
剣の間合い、かつリーゼロッテは戦斧を振り抜いた直後。ここからの巻き返しなど―――
リーゼロッテが、全力で振り被った体勢から、腕力だけで無理矢理戦斧を引き戻す。
無茶な体勢でしかも片腕、その戦斧にはろくな力など入っていなかった。
だというのに、全力で放ったサラスヴァティの剣が弾かれた。
「う、そ」
物理法則を覆すかのような所業に、サラスヴァティは一瞬放心してしまう。それは瞬きほどの時間であったが、世界に選ばれた戦士にとっては十分すぎるほどの隙であった。
強烈に振り抜かれた戦斧が、慌てて剣を構えるサラスヴァティを防御の上から滅茶苦茶な力で吹き飛ばした。
「が、あがっ!?」
これまでの選手たちのように、サラスヴァティが血反吐をぶちまけてアリーナを転がる。身体強化を用いていなければ、今の一撃で終わっていた。それほど圧倒的な力であった。
会場は静まり返っていた。これまでの遊びとは違う。あまりにも圧倒的な光景に、誰も何も言えなくなっているのだ。
「落ち着けシュナイゼル。まさかとは思うが飛び出して行くなよ」
「分かってます!分かってますよ!」
目を見開き、血が出るほどに歯を食い縛って懸命に堪えるシュナイゼル。
今にも娘を助けに行きそうな彼を抑えるのはガルディアスであった。
彼らですらリーゼロッテの力は予想外だったのだ。
「もう終わりか?」
「ぁ、ま、まだに決まってるでしょ」
何とか立ち上がるも、サラスヴァティは既に満身創痍である。アルマイルは試合終了を言い渡すタイミングを伺い始めていた。
だが、そんな状況でリーゼロッテは笑う。それはもう楽しそうに、本心からの笑みを浮かべていた。
「ふは、本気で妾に勝つ気でおるわ」
「当たり前、じゃない」
一瞬、躊躇いのような表情を浮かべるも、すぐにそれを振り払ってサラスヴァティは剣を構えた。
端から差があることくらい知っている。その上でここにいるのだ。ならこれくらいで挫けてどうする。
敗戦濃厚。されど万に一つの勝ちを拾うために、サラスヴァティは再び前進した。
まずは間合いを潰さなければならない。でなければ長柄の武器に勝てる道理はない。しかしそんなことは、戦斧を扱うリーゼロッテが最もよく知っていた。
「ふむ。少し本気になるとするかのう」
今度は接近する前に遠間から戦斧が振るわれる。大振りではなくコンパクトな攻め。サラスヴァティを警戒して、さらに遊びを削った無駄のない一撃である。
何とかそれを回避して距離を詰めようとするサラスヴァティだが、異常に速い引き手から繰り出される二撃目はどうしようもなかった。
受けも、流すもあり得ない。少しでも触れれば吹き飛ばされる剛撃を前に、またしても後退を余儀なくされる。
さらに―――
後退したはずのサラスヴァティに迫る戦斧。圧倒的な身体能力にものを言わせたリーゼロッテが、即座に詰め寄って続け様に攻撃を仕掛けたのだ。
「ぁ、ぐ」
ひたすら受けに回るサラスヴァティは一杯一杯で、最早攻めに転じる体力すら残っていない。
「ふむ。つまらんのう。お主はこの程度なのか?」
これで詰み。止めの一撃を振り上げたリーゼロッテが、失望をその目に浮かべてサラスヴァティを見下ろす。
「わた、しは―――」
迫る超重量の一撃。圧倒的強者がまたしても勝利を重ね―――
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