第52話 魔術の解析

 ミーシャが部屋に戻って来た時、ノルウィンは机に突っ伏して眠りに付いていた。

 浅い睡眠。不規則な呼吸。ノルウィンはどこか苦しそうにしており、その様子を何百回と見てきたミーシャは直ぐ様回復魔術を掛けた。


 魔力切れによる気絶。今回も自分を限界まで追い込んで、心身ともにボロボロになっているに違いない。


 前に一度だけミーシャも加減を誤って魔力を切らしたことがあったが、その時の苦痛は想像を絶するものであった。

 あれ以来、残存魔力が半分を切ってからの魔力消費が恐ろしくなる程には、トラウマとなっている。


 なのに、ノルウィンはまだ六歳なのに、躊躇い無く魔力切れを起こすまで魔術を発動し続ける。それが最も魔力の成長に良いと、必要だからと、ただそれだけの理由で。


「私はそれを、凄いですねと褒める気にはなれませんよ」


 六歳の子にここまでさせる環境が許せない。今すぐにでもやめさせるべきなのに、ここの大人たちは異様な努力を重ねるノルウィンを見ても、ただその成長を喜ぶだけで心配をしないのだ。


 よく分からないが、戦士としては正しい価値観なのかもしれない。だけどミーシャはそうは思わない。国のため、将来のため、あるいは権力のためでもあるか。それは幼子が幸せを手放す理由にはならないはずなのだ。


 そういう人材が国には必要なのだとしても、何故ノルウィンがそこに選ばれる必要があるのか。


「親代わりのつもりなんですけどね。私は何も出来ません。私だけが」


 シュナイゼルは師匠として、サラスヴァティは並び立ち、共に成長するライバルとして、ルーシーは目標として。それぞれノルウィンにプラスとなる何かをもたらす存在である。


 しかし自分は、と自問して。ミーシャは自嘲の笑みを浮かべた。


 自分だけがノルウィンの力になれていない。バルトハイム公爵家に来た時点で、唯一の特技と言える回復魔術すら自分以上の使い手がいるだから。


「はぁ」


 最初は、自分が守ると誓った子。今では自分ではどうしようもない所まで行ってしまった。ならせめて身の回りの世話くらいはしてあげないと。


 そう思って、ミーシャはノルウィンが突っ伏す机の整理を始める。散らばった書類を分類ごとにまとめ、本を棚に戻し。


「また新しい事を始めたんですね」


 整理の途中、ミーシャはノルウィンが文字や図形を殴り書きした羊皮紙を見て呟く。


 比較するように並ぶ二枚の紙。片方にはミーシャもよく知る火属性第一階梯魔術、《フレイ》の魔方陣が描かれ、その周囲に考察や気付きがびっしりと書かれている。


 そしてもう一方の紙には、《フレイ》を数十倍複雑にしたような、見たこともない魔方陣が描かれていた。


 魔方陣の中心部分に《フレイ》と酷似した形があり、その周囲を幾何学的な紋様が覆う。恐らくは《フレイ》を改造、強化した魔術の魔方陣なのだろうとミーシャは当たりを付ける。


「これは、分析しようとしてるんでしょうか?」


 ノルウィンの殴り書きを読み進めると、二つの魔方陣を見比べて浮かび上がる共通点や違いを徹底的に羅列し、その意味や効果、考察について書いていることが分かった。


 恐らくは、複雑な方の魔方陣を解析しようとしているのだ。


 しかしその作業は滞っているようで、ノルウィンの文字はあるところから全く進んでいなかった。それをどうにかしようとする内に魔力切れを起こして、気絶してしまったに違いない。


「何が書いてあるのかさっぱりです。ノルは研究者とかの方が似合っている気がするんですけど······」


 六歳とは思えぬ能力の高さを改めて実感し、ミーシャは小さくそう呟いたのだった。


⚪️


 それからひたすら魔方陣の解析を続けた。

 既存の《フレイ》と、それを天才が改良した最早全く新しい魔術と言っても過言ではない《フレイ》を比較し、浮かび上がる共通点や違いから、アルマイルの魔術を紐解いていく。


 それはとてつもなく困難を極める作業であったが、幸い俺にはアルマイルが共有してくれた感覚があった。


 魔力の流れや力加減、また魔方陣が成り立つ過程を一つずつ思いだし、その感覚を言語化していく。


 そうして俺だけの魔術指南書のようなものが出来上がった時、気付けば丸四日が過ぎていた。


「よっしゃぁぁぁぁあ!!出来た!!」


 毎日魔力切れを起こす程の訓練を一年半以上続け、シュナイゼル曰く既に一般的な魔術師の数十倍はあるらしい俺の魔力。それを毎日解析のために限界まで使い、ようやくここまでこれたのだ。


 今回は本当にキツかった。朝から晩までとかではない。気絶から目覚め、再び気絶するまで。ひたすら脳みそと魔力を酷使する四日は、かつてない苦痛と、だからこそ達成感を伴う時間であった。


「ふぅ」


 このまま感動に浸っていたいが、今は訓練が先だ。俺は早速言語化に成功した手順を再現しようと魔力操作を始める。


 やはりそう簡単に上手くいくものではなかった。独特な魔力操作は理屈が分かっていても慣れるものではなく、何度も失敗を重ねていく。


 ―――ここからは以前槍を学んだ時と同じ作業だ。


 無限に積み重ねた失敗から不要な点を洗い出し、自分に必要なものだけを抽出していく。そうして残ったモノを組み合わせた時、俺にとって最善の技が完成するのだ。


「今のは違う。魔力の流れが強すぎる。ここは緩く、いや、柔らかくか?とりあえず試してみよう」







 ―――挑戦的な笑みを浮かべて、既存の魔術体系から逸脱した技術を少しずつモノにしていくノルウィン。

 世界が彼の恐ろしさを知るのは、まだ先の事である。




 それから数十分後。



「ノルウィン!今日はミーシャさんの誕生日なのよ!」


 バンッ!と扉を蹴り開けて部屋に飛び込んで来たサラスヴァティ、その怒鳴り声を聞いて、ノルウィンはハッと顔を上げた。


「やっば、忘れてた······」


「プレゼントとかは用意してるんでしょうね?」


「あ、と、その」


「仕方無いわね。今から買いに行くわよ!」


 サラスヴァティに耳を引っ張られて引き摺られていくノルウィン。その姿に、未来の英雄たる威厳は欠片も存在しなかった。





 

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