第28話 かわいそうな裏社会
アルカディア王国の王都アルレガリア、その中心部に聳え立つアルトリア王宮。
世界最大とされる白亜の大宮殿はそれ自体が芸術であり、贅の限りを尽くした空間は、この世の何にも優る美しさがある。
そんなアルトリア王宮は、王族の居住区画を守護するような形で国軍の総司令本部が設置されており、シュナイゼル=フォン=バルトハイムはそこを目指して王宮の長い廊下を進んでいた。
シュナイゼルとすれ違う誰もが廊下の端に寄って頭を下げる。
将来の大将軍、アルカディア王国軍のトップを確約された男は、既に王宮でも無二の権力を有しているのだ。
しかしそんな男が、総司令本部の一室に入る瞬間に頭を下げた。
その行動が意味するところは一つ、会議室内にシュナイゼル以上の権力者がいるのだ。
「失礼します」
「シュナイゼルか。わざわざ呼びつけてすまないな」
「いえ、俺も閣下に頼み事があったんで」
軽い口調で会話しつつも、シュナイゼルは全身から吹き出る冷や汗が止まらなかった。
扉を開けた向こう側にいたのは、長い金髪を後ろにまとめた壮年の男であった。
長身痩躯、それが柔軟かつ強靭な筋肉に覆われ、高次元で膂力と速度を両立させる。
およそ戦士に必要な全てを備えた肉体である。そこに大将軍として各地の戦場を荒らし回った経験が宿っていた。
まさに怪物。
将来のアルカディアを支えるのがシュナイゼルであるならば、今のアルカディアを支えるのはこの男―――ガルディアス。
元は解放奴隷ゆえに姓を持たず、どん底から己が力だけで軍部の頂点までのしあがった、正真正銘の化け物である。
(ハッ、やべえわ)
今のシュナイゼルですら、まだ届かない頂点。
とはいえ四十歳を過ぎてここからはピークを保つだけのガルディアスに対し、シュナイゼルのピークはまだまだ先。
十年後にはその実力は逆転しているが。
ガルディアスは入室したシュナイゼルを席に促すと、一方で自分は立ち上がり何故か紅茶を淹れ始めた。
「閣下、何してんですか」
「見ての通りだ。客人が来たので紅茶を淹れている」
「そんなの使用人にさせれば―――」
「ふふ、そろそろ引退後の趣味を見付けようと思っていてな。存外これは楽しいものだぞ」
「はぁ」
不慣れな手付きは始めたばかりのためか。
戦場では一振りで敵を殺す槍を扱う手が、今はティーカップに添えられている。
なんとも不思議な光景にシュナイゼルは黙り込み、とりあえず完成を待つことにした。
「ふむ、こんなものか」
しばしの時が経ち、ガルディアスは不満げな顔で紅茶を机に運んでくる。
貴族として舌が肥えているシュナイゼルは、匂いからそれが失敗作であることを悟った。
「閣下。これ飲めるんですか?」
「さあ、俺も知らん。まあ飲んで死ぬってことはないだろう」
「いやいやいやいや」
「何を隠そう昨日始めた趣味だからな。毒味ってやつだ」
「はぁ」
上司の茶目っ気に呆れ顔をしつつも、素直にそれを飲むシュナイゼル。一口含んだ途端、意外そうに目が見開かれた。
「どうだね?」
「意外といけます。でも匂いがなあ、こう、いや言葉には出来ないんすけど」
「なるほど。香りに問題があるわけか。次はやり方を変えてみるとしよう」
「そんなの聞けばいいじゃないですか。ここ王宮ですよ」
ここは王族のために最上の人材が揃えられた場所である。紅茶の上手い淹れ方くらい、聞けばすぐに教えてもらえるだろう。
しかしガルディアスはゆっくりと首を横に振るった。
「それでは面白味がない。槍や剣に限らず、正解は自ら見付け出すものだろう?誰かの真似事では成れてもせいぜい模倣止まり。頂点には届かないからな」
その言葉で脳裏に小賢しい弟子の顔を思い浮かべつつ、シュナイゼルは苦笑した。
「頂点って、店でも出すつもりですか」
「それもいいな。お前に大将軍の地位を任せたあとは、それを目標にしてみるか」
そう答えて自らの紅茶を飲み干すガルディアス。やはり不味いのか、顔をしかめている。
「にしても不味いな。初めて槍を持った日を思い出すかのようだ」
このまま放っておいたら、いつまでも紅茶について語りそうな様子だ。
一つの事に没頭したらそれしか頭になくなる上司の悪癖を思い出し、シュナイゼルはため息混じりに口を開いた。
「はいはい、紅茶の話は分かりましたから。んで、俺を呼び出した用事ってなんですか」
「ああ、すまないな。本題を忘れていた」
一旦ティーカップから手を離し、途端に真剣な表情になるガルディアス。そこに今まで笑顔で紅茶について語っていた男の姿はない。
「来月の武術大会における治安維持の話なのだが―――」
そこからガルディアスが語った内容は、シュナイゼルの予想を越えた面倒事であった。
今年の武術大会は建国500年記念で王族が民衆の前に出る瞬間があり、他国から見たらそれはまたとない暗殺の機会である。
ゆえにそれを防ぐため、当日の警備を万全なものとするのは勿論の事、犯罪や他国の間者の温床となっている裏社会への警戒も必要なのだが―――
「裏社会を統べる巨大な組織が不自然な早さで潰れ、均衡が崩れた事で治安が悪化してしまったのだ」
巨大な組織の支配下に置いていたから保たれていた均衡が崩れ、現在の裏社会は混沌を極めていた。
荒れ果てた環境で残った反社会勢力を討とうにも、小さな集団を全て見付け出す作業は、1ヶ月で間に合うものではない。
シュナイゼルは事の重大さに気付いて眉を潜める。
「そりゃあまた、面倒な事になってますね」
「ああ、恐らくは他国の間者の手が入っているのだろう。潰れた組織の周囲で怪しい動きが見られたらしい」
「なるほど。んで、俺主導でそれを潰して来いって話ですか?」
「話が早くて助かる。国の威信をかけた行事に失敗は許されないからな。どんな手を使ってでも、当日までに敵を潰してくれ」
王族の命を守るのは勿論の事、他国から招く重鎮に危険が及ぶことも許されない。
任務達成は困難を極めるだろう。いくらシュナイゼルであっても、一ヶ月丸々任務にあてなければならない程に。
「はぁ、折角休み取ったんですけどね」
娘たちと過ごす時間を増やすため、数ヵ月前から予定の調整を進めてようやく休暇が得られそうだったというのに。
それが急遽飛び込んできた任務で潰れてしまい、シュナイゼルは不機嫌そのものな顔でため息をついた。
間者ども絶対にぶち殺してやる、と。
言葉にならない怒りが渦巻く。
⚪️
―――同刻、王都アルレガリアの商業区画にて。
買い物で出掛けた幼い子供が、ひっそりと裏社会に誘拐される事件が発生した。
子供の名はノルウィン=フォン=エンデンバーグ。
他国の間者が、裏社会の闇を潰そうとするシュナイゼルへ、先回りする形で警告をしたのだ。
下手な真似をすれば、弟子の命は無いぞ、と。
完璧なタイミングで放たれた一手。それは他国の間者の優秀さが伺える犯行であったが、しかし彼らは唯一にして絶対のミスを犯した。
釘を刺すために、ノルウィンの命を狙うべきではなかったのだ。
誘拐したノルウィンが持つ異常性、彼が育んできた人間関係を、下手に刺激するべきではなかった。
これより巻き起こる裏社会を巡る動乱をきっかけに、世界はノルウィンという名を知ることになる。
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