第10話 問題解決

 入店した直後、俺は違和感の無い程度に店内を見渡す。

 特におかしな点はない。

 老舗の古本屋、そんな印象を与える内装だ。


 しかし端から疑って見てみると、途端に店内の全てが吸血鬼の存在を肯定するように映る。

 窓からの日差しを遮る一際背の高い本棚。

 その代わりに店内を照らす魔術灯。


 吸血鬼の弱点を避ける内装だ。


 そして―――


「いらっしゃい」


 カウンターから若い店主の声がする。

 一見して一般的な黒髪の青年だが、その顔はゲームで見た吸血鬼そのものであった。


「―――ッ」


 思わず声をあげそうになり、俺はギリギリのところで堪えた。


 抑えろ、抑えろ。

 こちらの敵意に気付かれ先制攻撃をされたら、確実に俺は無事じゃ済まない。

 そしてまだミーシャが無事であるなら、彼女まで危険に晒すことになる。

 絶好のタイミングまでは、無知で無害な子供を演じるんだ。


「あのー、もじのおべんきょうをするほんってありますか?」


「あるけど、お金は持っているのかい?」


「うん!パパにもらってきました!」


 演技はこんな感じで良いんだろうか?

 多分、まだ警戒はされていないと思う。


 その証拠に、吸血鬼は本棚から一冊の本を取り出すと、俺の所まで近付いてそれを手渡してきた。


 敵と認識した相手にここまで無防備に接近することは無いだろう。


「文字のお勉強はまだしたことがないのかな?」


「うん!」


「そしたらこれがいい。簡単な内容だから、すぐに分かるようになるよ」


 そう言って吸血鬼は、子供を安心させるような笑みを浮かべた。


 こいつの正体を知らなければ、絶対に怪しまないだろう優しげな笑み。

 人と変わらないそれを向けられて、僅かに俺の中で覚悟が鈍る。

 だって、こいつは吸血鬼だけど姿形は人間そのもので、こうしている間は本当に人間にしか見えないのだ。


 虫けらを殺しても罪悪感はないが、人に近い生き物を殺すとなるとどうしても大きな抵抗が生まれる。


 ―――いや、それすら吸血鬼の思惑通りか。


 ふと、公式設定資料集に記載されていた、吸血鬼の生態について思い出す。

 吸血鬼の人に擬態する能力が高いのは、疑われることなく人間社会に適応し、スムーズに狩りを行うため。

 こいつの優しさもそのための技能だろう。

 だったら遠慮は要らない。


 もういい加減覚悟を決めろよ、俺。

 決めたんだろ、ミーシャを助けるために戦うって。


 それに、あまり時間も掛けていられないのだ。

 もしミーシャ誘拐の犯人が吸血鬼じゃなかったとしたら、直ぐ様捜索を再開しなければならない。

 どのみち、俺の惨めな葛藤に時間を使っている余裕なんて無い。


「ありがとうございます!えっと、おさいふおさいふ」


 懐に手を突っ込み、財布を探す振りをして水筒を掴み取る。


 そして、無言でその中身、川の水を吸血鬼目掛けてぶちまけた。


 人外の化物相手にこんなものが効くのか不安はあるが、アルクエ本編だと実際に水を掛けられた吸血鬼が怯む描写が存在する。


 水に反する性質を持つ奴らは、害の無い少量の水ですら恐れるのだ。


「ひっ!?」


 顔に水を浴びた吸血鬼が僅かに怯み、数歩後退する。

 その間に俺は聖属性魔術の詠唱を早口で終え、全力の魔力を込めた一撃を解き放った。


 ―――神の威光ホロウ・リア


 それは聖属性の白い光を発するだけの魔術で、基本的には無害だ。

 

 しかし吸血鬼をはじめとする魔族たちは、この光に触れると全身が爛れて激痛に襲われる。


 聖属性に耐性を持っていればその限りではないが、十年後に発生するイベントでも神の威光ホロウ・リアが有効だったこの吸血鬼は、やはり全身を焼かれて絶叫した。


「ぎゃぁぁぁぁぁあ!?」


 激痛に悶える吸血鬼を前に、俺は次の行動を起こせずにいた。

 ここまでの流れは作戦通りだから動けたが、実戦でアドリブを利かせられる程荒事に慣れていないのだ。


 ていうかこれが初の戦闘だ!


 シュナイゼル大将軍は何やってんだよ。早く助けに来てくれないと―――


「ぐ、がっ、デメェ、やりやがったなガキがァ!!」


 鬼の形相で吸血鬼に睨まれた途端、全身に鳥肌が走った。

 感じたこともない恐怖で身がすくみ、足が震えて動かなくなる。


「あ、ぁ」


 咄嗟に魔術で応戦しようとしたが、声すら掠れてしまった。


 なんだ、これ。なんだこれ。

 まさか、今ぶつけられているこれが殺気なのだろうか?


 分からない。

 分からないが、とにかくヤバイ。


 この悪寒だけは本当にヤバイッ!!


「《風の精霊よ、我が背に翼を!》」


 足元に爆風を起こして、吹き飛ぶように後退する。

 直後、俺が立っていた場所を深紅の刃が切り裂いた。


 ―――今、避けなかったら死んでた?


「チィッ」


 舌打ち混じりに更に一閃。吸血鬼は手の甲から伸ばした血の剣で、続けざまに斬りかかって来る。


「ちょ、ずっとお前のターンかよ!」


「意味分かんねぇこと抜かしてんじゃねーぞクソが!」


 上段から叩き付けるような一撃をサイドステップで回避し、一瞬店内を見渡してから次に自分が逃げるべき場所を模索する。


 この狭さじゃ、闇雲に逃げても捕まるだけだ。

 家具や本棚を盾とする軌道で店内を逃げ回り、何とか斬撃をやり過ごしていく。


「シュナイゼル大将軍!早くして下さいよ!」


「悪い悪い、ちょっと遅れたわ」


 バンッ、と背後で扉を蹴破る音。

 ようやく助けが来たと安堵した瞬間、俺の真横を何かが猛烈な勢いで通りすぎた。

 それは圧倒的な速度と威力を持って吸血鬼に直撃し、敵ごと壁にぶち当たって砕け散る。


「ハッ、飛んだ飛んだ」


 ニヤつくシュナイゼル、そして背後で扉を失い開きっぱなしになった出入り口を見て、扉を蹴飛ばしたのだと納得する。


 えぇ······。


「念のためもう一発行っとくか」


 崩れ落ちた吸血鬼の頭を引っ掴んで起こすと、シュナイゼルはボディーに強烈な拳を叩き込んだ。


「ガハッ!?」


 血を吐き、泡を吹き、白目を剥いて痙攣する憐れな吸血鬼。


 俺が命懸けで逃げ回ってた相手が、一瞬で半殺し状態になっていた。

 なにこの人怖い。


「おし、これでしばらくは動けねえだろ。さっさと使用人探し行くぞ」


「あ、はい」


 完全に沈黙した吸血鬼を置いて、俺は奥の部屋に向かった。


⚪️


「ミーシャさん!」


 奥の部屋には求めていた少女の姿があった。

 両の手足を縛られ、猿轡も噛まされているが、命に別状は無さそうだ。

 ただ、憔悴しきった姿は弱々しく、こちらを見る目は焦点が合っていないように思えた。


 目立った外傷は無いが、念のため回復魔術を発動させる。

 よほど酷い怪我じゃ無ければ、これで一先ずは安心なのだが―――怖いからまだ掛けていようか。


「魔術の無駄打ちはすんな。その嬢ちゃんなら大丈夫だ。見りゃ分かる」


 シュナイゼルがそう言うなら安心だ。俺はホッとしてミーシャの顔を覗き込んだ。


 お、虚ろだったミーシャの目がハッキリしてきた。

 眩しいのが気になるのか、回復魔術の発光に目を細めているようだ。


「生きてて良かったです。今外しますから、じっとしてて下さい」


 俺は落ち着かせるようにささやきながら、手足を縛るロープを魔術で切断し、ゆっくりと猿轡を外してやる。


「お坊······ちゃま?」


 良かった。あまりのショックで記憶が壊れているとか、そういうのはないようだ。


「はい、僕です。ミーシャさんを助けに来ました。もう吸血鬼はいませんから、安心して下さい」


 そう答えると、ミーシャは小さく頷いてから目を閉じてしまう。

 疲れや恐怖が溜まっていたのだろう。安心したら意識が途切れたようだ。


「シュナイゼル大将軍、ミーシャさんを運ぶの手伝って下さい」


「おうよ。あと、さっきから俺のこと大将軍っつってるけど、俺はまだ軍団長だからな」


「あっ」


 そうだ。シュナイゼルが大将軍なのはゲーム本編、十年後の話だった。

 まだまだ若いのだし、今がそうとは限らないか。


 なんて、締まりのない事を考えながら、俺たちはエンデンバーグ家に戻っていった。

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