第17話 あなたを理解出来るのは、私だけ


 プレジャーレストラン襲撃事件から数時間、俺はようやく警察の取り調べから解放されていた。

 事態が事態なだけに、店側は三日ほどの休業を決め、人質となった彼女も自宅に戻って行った。

 やべぇよやべぇよと焦りつつ、慌てて店を出るもそこはすでに無人。

 かつて天野澪と対峙した裏口にたどり着くのは難しくはなかったが、そこで目撃した光景に俺の口はすっかり閉じてしまっていた。


 それからは、どれほどの時間が過ぎていたのか。 


 対峙していた二人の少女の内の一人……莉緒がプレジャーレストランに戻ったのを改めて確認する。

 そろそろいいだろう。

 俺は路地の間から出て行った。思った通り、もう一人の方には即にバレてしまっていたらしい。


「質問責めは終わりですか?」

「ようやくな。6〜7割は説教の嵐だったが。ったく、せっかく丸く収めてやったってのに辛辣な刑事だぜ」

「それは同感です。しかし、刑事さんは黒鉄君の凄さを知りませんからね。私も黒鉄君なら大丈夫と思いつつ、内心はかなり不安でしたよ?」

「うわぁ、嘘くせえ……」


 俺たちはわざとらしく笑い合う。

 改めて考えれば、この上品で大人しそうな外見からは想像もつかないが、俺としてはしてはこんな風に軽口を言い合える関係が理想的だろう。


「莉緒とは何を話してたんだ?」

「少し黒鉄君達との昔話を聞いていただけです。それにしても、お互いに辛い幼年期を過ごされたんですね。一時とはいえ、あの妹さんが黒鉄君を恨んでいたなんて信じられません」


 くすくすと笑みを浮かべる彼女。特別知られて困る様な話題でもないか。


「それにしても、ふふ……やっぱり黒鉄君も妹さんには甘いんですね。強くて頼りになって極悪非道なお兄さんなんて私も憧れちゃいます」

「極悪非道とは随分な言われようだな。俺はいつだって博愛主義のつもりだってのに」

「うーん、博愛主義……と。全ての人を平等に愛する人、ですか。なるほど、散々犯人を煽って地面に地をつけさせた挙句に全治半年間まで追い込む人は博愛主義に当たるんですね。私、全然知りませんでした!」


 ご丁寧に天野澪はスマホで意味検索までして笑顔で乗ってきた。

 本人曰く、小学中学生共に数少ない友達の輪にすら自らは入って行けなく、いつも一人で居たとは思えぬ程にノリがいい。

 ただ猫を被ってるだけの優等生だったら良かったんだがな、とつくづく思うものである。


 この何気ない軽口を続けたいのは山々ではあるが、そろそろ莉緒も俺が居なくなっていることにも気づいている頃だろう。

 予めスマホの電源は落としてはいるが、再度ここに駆けつける可能性は高い。早々に終わらせるべきか。


 あのウェイトレス、桃瀬紫が語った事が真実だとすれば、自ずとたどり着く当然の疑問。


『澪ちゃん、その幼馴染に会う為にわざわざ偏差値の低い渦巻き学園に来たんだって。愛されてるねー黒鉄君』


 言いたいことは山ほどある。聞きたいことも山ほどある。

 が、まずこれだけは答えてもらわなければならないだろう。


「……お前、いつから俺を知っていた?」


 俺の言葉は、今まで穏やかだった天野澪の表情に微かな変化を起こした。

 しかし、それは決して焦りではない。むしろ、よくぞ聞いてくれたとばかりの余裕さえ感じ取れた。

 俺と彼女は一年前の入学式が初対面。少なくとも、俺自身の記憶にはない。 

 小さな街だけに、多少のすれ違いくらいはあったかもしれないが、そんなものは知り合いとも呼べる関係ですらないだろう。


「紫さんですか。もぅ、黒鉄君はぶっきらぼうなくせにお友達を作るのがお上手ですね」


 意味深な笑みを浮かべる彼女。

 しかし、どうやら隠すつもりはないようだ。


「安心して下さい。実際、直接会ったのはあの入学式が初めてですから。単に私があなたを知っていただけです」

「なるほど、そいつは実に興味深いな。で、その理由は?」

「いくら黒鉄君の頼みでも、そこまでは教えられませんね。ただ、今の情報だけでは私に辿り着く事は到底不可能でしょう。少しだけヒントを出します」


 彼女は笑みを崩さない。前回に続き、この女の行動は不自然かつ先が読めない。

 そして、その疑問はすぐに明かされることになった。

   

 驚くほどに、あっさりと。


「二カ月前、あなたがご両親を手に掛けてしまったあの日。世間では過度なストレスから娘を殺めようとしたとされていますが、真実は違いますよね?何しろ妹さんの首元にある傷は、ご両親ではなく彼女自身の手でつけられたものなんですから」

「っ……」

「それだけではありません。あの事件の裏で、彼らに妹さんを殺めさせようとした黒幕。朝神奏さん──黒鉄君の幼馴染でしたよね?」

 

 さらりと爆弾発言をかます天野澪に、俺の心臓は高鳴った。


「ヒントはこの二点です。黒鉄君なら大丈夫だとは思いますが、頑張って下さいね」

「(まさか……!)」


 そんなバカな話があるのか?

 否、実際目の前にあったのだ。


 かつて、被害者である莉緒ですら知り得ないと思っていた真実。当事者である俺を除けば、その根源であった奏のみ。

 かつて、武術に。奏の、愛する者の為にと夢中だった日々。だが同時に、この人生において最大の過ちだと思い知らされた。


 何故ならそれは、妹の心を壊す元凶になってしまったのだから。


 莉緒の首元にある傷──それが叔父夫婦ではなく莉緒自らの手によるものだと気がつくのはそう遅くはなかった。

 ふと目を閉じれば、昨日のことのように蘇る。

 首元から赤い血を流し続ける莉緒と、莉緒を囲む叔父夫婦。

 その光景を目の前にした瞬間、俺は何度も何度も殴った。自らの拳が、顔面も、制服すらも奴らの血に染まる中、確かに俺は莉緒の表情を見たのだ。


 ……あいつは、笑っていた。


 首元からナイフやネジ、煙草の火傷痕。想像を絶する痛みの中、瞳から光沢が消え、焦点すらも合わない目で笑っていたのだ。


「私の話、僅かでも信憑性を感じてくれましたか?黒鉄君」

「……お前、一体何者だ?」

「ふふ……いいですね、その重々しい表情。今の黒鉄君からすれば、私は得体の知れない存在そのもの。もっと私を見てください。私のことだけを考えて下さい。私なら、あなたの隣に並べる。私だけが、あなたをわかってあげられる。もう二度と、他の泥棒猫に取られる心配はありませんから♩」


 目の前の少女の天使のような満面の笑み。その先にあるのは、狂気。

 今回の一件、事の発達は莉緒が裕也から預かったらしい割引き券に加え、今朝の狙ったようなタイミングの待ち伏せ。

 これは天野澪が裕也を通して渡させたということで筋は通る。ただ、その目的まではわからなかった。聞いたところで答えてもくれないだろう。


「少し話し込んでしまいましたね。最後に一つだけいいですか?」

「……なんだ?」


 天野澪は背を向けたまま話しかけてきた。微かながら、顔はこちらに傾いている。


「澪、と呼んで下さい。私も他の皆さんと同じ土俵に立つ身、いつまでも苗字呼びでは距離感を感じますから」

「……?ああ、別にいいが」

「ふふ……嬉しいです」


 彼女は嬉しそうに顔を赤らめた。


「つか、そう言う割に天──澪は苗字呼びなのか?俺は全然構わないが」

「実に魅力的な提案ですが、私はまだ遠慮します。それに、妹さん以外の皆さんは黒鉄君を名前で呼びますからね。これはこれで特別感もありますよ」

「そういうものか?」

「そういうものです。では黒鉄君、また学校で。繰り返しになりますが、もう一度言いますね。本当のあなたを理解出来るのは、私だけ。この言葉、忘れないで下さいね?」


 言いたいことを言い終えたのか、彼女……澪はプレジャーレストランに戻って行った。

 結局、最後まで笑みを崩すことはなかった。今回は完全に計画通りだったということだろう。


 あの女は、第三者には決して漏れていないはずの奏の秘密を知っていた。

 それは、あの女が干渉していたからなのか。

 だとしたら何故、あの女にはそれを知ることが出来たのか?

 何故俺のことまで知っていたのか?


 もしかしたら、あの事件そのものが彼女の差し金だったのではないのか?


 少し考えるだけでも、これだけの疑問が生まれてしまう。

 ただ、今は奏の方をなんとかするのが先だろう。


「本当のあなたを理解出来るのは私だけ、ねぇ……」


 あの時の彼女の言葉の意味だけは、理解することは出来た。

 だが残念ながら、あの女の思い通りになるつもりはない。

 例え、それが間違った道だとしても。


 

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