ヤンデレ?メンヘラ?かかってこいよ、それで俺がお前らを愛する自信があるのなら

ニャル

一章 あまりにも純粋で歪んだ少女達

第1話 戦線布告

 眩しい日差しに照らされ、俺──黒鉄湊くろがねみなとの意識は覚醒した。

 傍らに置いた時計を横目で見る。 時刻は午前8時を指していた。

 布団のぬくもりを惜しみつつ起き上がり、我が家を見渡す。

 長い入院生活の後、この場所に引っ越してきたのはほんの一週間前であり、なおかつ緊急だった為、手配出来たのは2階建ての見た目はかなりボロボロのアパートだった。


「あれ?ひょっとして、起きてる?」


 狭い部屋の中、キッチンの中から声が聞こえて来る。

 振り返ると、学制服に身を包まれた一人の少女がキッチン台前に立っていた。


「あっ、やっぱり。おはよう、湊」

「おう」


 朦朧とした意識の中で、少女は羞恥心もなく思春期の俺の顔を覗き込むように近づけて来た。


「珍しいね、こんなに早く起きるなんて」

「せっかくの退院日だしな。それに、こんな時にまでお前に家事を任せるのも悪いだろ?」

「はい、嘘。湊、早起きしても私を手伝ってくれたことなんかないもんねー」


 微笑みながらも口元に人差し指を突き立ててくる少女は朝神奏あさがみかなで

 年は俺よりも一学年上であり、幼少の頃より付き合いがある、いわゆる幼馴染。 

 やや癖毛かかったロングヘアーに額を出した髪型は快活でながらも世話好きな彼女の母性的を表しているといえるだろうか。

 

「手伝うも何もなぁ。というかお前、俺が何かやろうすると台所から追い出すだろ」

「だって湊、一人だとカップ麺か冷凍食品しか食べないでしょ?私、たまには湊が愛情込めて作ってくれたものが食べたいんだけどなぁ」


 言葉とは裏側にしれっとした顔をしている辺り、相変わらずいい性格している。

 

「あ、飯作ってくれたんだろ?さっさと食って行くか」

「うっわ、可愛い幼馴染のアプローチをスルー?お姉ちゃん、かなり傷ついちゃったよ?」

「そうか、なら問題ないな。わざわざ口に出すってことはその程度ってことだろ?」

「もー!意地悪」


 わざとらしく膨れっ面を作る奏をスルーし、俺は顔を洗って拭いたタオルを洗濯機に放り込む。

 やがて洗面所を出ようとした時、再び奏に声をかけられた。


「あ、そうだ」


 俺が後ろを振り向くと、奏は再び眼前に顔を近づけ──


「お帰りなさい、湊。また改めて宜しくね!」


 彼女は、満面の笑顔で俺との再会を祝福してくれた。

  

 ただ一つ、一筋の光も刺さない漆黒の瞳を除いて……。

 




 俺の両親は最低最悪の奴らだった。

 当時、俺は姉と妹、両親を含む祖母の六人家族で暮らしていたが、母はろくに家事もしなければ、外出もしない。

 父は妹が生まれから早々に会社をクビになり、祖母の年金と貯金にしがみつき、ギャンブルに打ち込む毎日。

 正直、家族全員で食卓を囲んだ記憶などなかった程だ。

 そんな環境の中で、子供だった俺達三人の身を案じてくれたのは祖母だった。

 率先して家事をしてくれたのも、学校の入学式に付き添ってくれたのも、保護者を代表して授業参観や家庭訪問を受けてくれたのも、運動会の応援に来てくれたのも全て祖母。

 しかし、その生活も長くは続かなかった。俺が小学五年に上がった頃、元からあまり身体が丈夫ではなかった祖母は重い病気にかかり、医師からは絶対安静が言い渡された。


 だが、父と母は、そんな病弱している祖母に家事を強要したのだ。


 ──ただの軽い病気だろ。

 ──いつまでも寝てんじゃねーよ居候。


 もはや罵声としか思えない言葉浴びせ、結果……祖母は半年後に死んだ。

 表向きの死因は病弱だったが、誰よりも近くに居た俺にはすぐにわかった。

 元々金の為には手段を選ばない両親だったこともあり、奴らは小学校の卒業と同時に俺達を叔父夫婦に押し付けるように預け、それ以来は姿を現さなくなった。

 その理由はもはや清々しいと言えるものであり、本人達曰く、"こいつが居ると新しい生活の邪魔"の一点のみ。

 叔父夫婦は呆然としていたが、もはや何を言っても無駄だと悟ったのだろう。

 結果、俺達は数年を叔父夫婦の元で育った。


「(変わってるよなぁ。我ながら……)」


 押し付けに等しい型で引き取ってくれた叔父夫婦も俺達兄妹のことで相当に頭を悩ませていたらしく、それを話題に喧嘩をする姿もよく耳にした程だ。

 そういう意味では、仕方のないことだったのかもしれない。


 あいつらが、妹にしようとした仕打ちは。


「湊?」

「ああ、悪い。考え事してた」

「もぅ、しっかりしてよ。せっかくの退院日、でしょ?」


 俺達が向かった先は、いわゆる警察病院。

 世間では事件関係者や負傷した容疑者を収監されるのが目的などと誤解を招くこともあるが、主な対応は通常の総合病院と同様であり、一般人も問題なく利用可能である。

 とはいえ、何事にも例外というものがあるのも事実。

 俺は受付で軽い手続きを済ませると同時に、待つこと数分後、一人の刑事がやってくる。審査自体はすんなりと通ることができた。

 刑事に案内されながら、白い病室に訪れる。

 中央のベッドを含め、何もない、全てが純白に包まれた部屋。広さは六畳程の病室の個室としては狭く、羽のような低い音が響き渡るのみ。

 

「あっ、兄さん。それに──奏ちゃんも来てくれたんだ」


 その中央のベッドに横たわっている一人の少女は俺達が室内に入ると同時に微笑んだ。

 明るめの茶髪に短めのポニーテール、そんな容姿に不釣り合いな純白の服を着せられた彼女の名は…… 黒鉄莉緒くろがねりお

 

 俺にとって、たった一人の妹だった。


「やっほ、莉緒。退院おめでとう。思ったより元気そうね」


 軽い挨拶をかわしながら、俺達は予め用意してあったパイプ椅子に腰をかける。

 狭い部屋だけに中央のベッドで座る妹を含め、高校生三人が居座るのはやや窮屈ではあったが、我慢出来ない程ではなかった。


「どうだ?具合」

「うん、もう殆ど大丈夫だと思うよ。明日は一日だけ様子を見て、問題がなければ次の日からでも学校に復帰できるって言われたし」

「無理はすんなよ」

「それ、兄さんが言う?莉緒なんかよりよっぽどだと思うけど」


 事情を知る妹、莉緒は俺の心境を察してくれる。

 さらに、面会に来た最後の一人……奏に視線を向けた。


「奏ちゃんも、わざわざごめんね」

「ううん。全然。もう体調はいいの?」

「この通り!──って言いたいけどね、これだけ長く入院してると食べることしか楽しみがなくって、少し運動不足かもなぁんて」

「あちゃー、それは一大事。ごめんね、これからはなるべくカロリーの低い物をお見舞いにするから」

「あはは、もう必要ないけどね……」


 乾いた笑いで顔で頭をかく莉緒。 

 幼馴染である俺の目から見てもスタイルは良い方だとは思うが、こういうところは女同士でしか話せない悩みと言ったところだろうか。


「でも、大変だったよね。叔父さん達に……いきなり、だったんだもん。それも何箇所も。本当に無事で良かった。怖かったよね」

「……うん。心配かけてごめんね。でも、もう大丈夫だよ。辛い時は兄さんが居てくれたから」


 そう言うと、莉緒は濁った瞳でその小さい指で俺の左手首を包み込んで来た。

 

「何はともあれ、莉緒が無事で何より……だね。それにしても、本当に愛されてますなぁ、お兄さん?」

「だろ?」

「あっ、自分で言っちゃうんだ!株が下がるなぁ」


 室内は笑いに包まれる。

 取り返しのつかない犠牲の果てに悲劇が終わり、取り戻せた平凡な日常。

 事実、その表現は間違いではなかった。

 

 そう、間違いでは。


「そうだ。兄さん。確か学校の近くに引っ越したんだよね。ちゃんと自炊はしてる?もう叔父さん達もいないんだから、あんまり無駄遣いしちゃ駄目だよ?」

「ああ、それなら大丈夫だ。安──」

「はいはーい。その為の家事代行が参上!なんてちゃってっ」


 静寂。

 それは、あまりにも長く続く……永遠にも感じてしまう沈黙。

 妹の中の時が再び止まった瞬間。

 俺の中の止まっていた時が動いた瞬間。

 

「……ひょっとして、奏ちゃんが手伝ってくれたの?」

「それがですねー、酷いんだよ。湊ったら、引っ越しの連絡一つもくれないんだもん。おまけに、部屋の中はグッチャグチャ。ご飯はインスタント食品ばっかり。だ・か・ら、家事代行無料サービスの出番。でしょ?」


 奏はからかうような悪戯っ子のような笑みを俺に向けてきた。

 その間も、莉緒からの追求は止まらない。


「兄さん、まさか奏ちゃんと暮らしてるの?」

「ううん。最近はご飯を作りに行ってるくらい。私はそれでも良かったんだけど、振られちゃったから。ね?」

「どうかな」

「ほら、素直じゃない。でも、大丈夫。莉緒が戻ってくるまでは責任取ってお姉ちゃんが面倒見てあげるから」

 

 世話好きな幼馴染のお節介。

 先程までと何一つとして変わらない平和な会話の中で、莉緒は静かに呟いた。


「あはは、ありがとう。兄さんは本当に昔から奏ちゃんにお世話になりっぱなしだね」

「どうしたの?別に莉緒にお礼を言われることじゃないよ」

「深い意味はないの。ただ、今のうちに言っておこうと思って」


 濁った瞳のまま莉緒は口を横に引き裂いたような笑みを浮かべる。

 それと同時に、室内にノック音が響く。

 ポケットにあるスマホを確認すると、時刻はすでに15分を回っていた。面会終了の合図だろう。


「時間だな。奏は先に出てろよ。俺は莉緒の退院の手続をしてから出るから」

「うん、わかった。またね、莉緒」


 そう言い残し、奏は病室を後にした。

 とっさに脳内に浮かんだ言い訳ではあったが、元より俺自身もこの病院に通院していた為か、違和感なく受け入れてもらえたようだ。


「………」

「………」


 狭い病室の中で、沈黙が舞い降りる。すでに面会時間終了のノック音は消えていた。

 どれほどの時間が過ぎただろう。

 僅か数秒か、数分か、はたまた数十分か。

 ただ静かに、会話もなく。響き渡る羽の音。

 永遠にも感じる時間の中で、最初に口を開いたのは妹の方だった。


「嘘つき」


 そう言う妹の表情は、笑みだった。

 先程と同じく、面会に来た友人と家族に見せた歓迎の笑み。

 

 しかし、今の妹の意図は全く異なるものだった。


「どうして──どうして嘘をつくのかなぁ?兄さんは」


 妹の、一筋すら射さない漆黒の瞳は──


「兄さんは莉緒を受け入れてくれるって言ったよね?自己中で身勝手な莉緒を受け入れてくれるって言ってくれたよね?」


 真っ直ぐに、この俺を捉えていた。


「それとも、また嘘なのかな?なら……」


 妹は自身の首筋に巻かれた包帯に手をかける。

 ゆっくりと、ゆっくりと白い包帯がベッドの上に落ちて行く。


 そこにあったのは──妹の決して完治することのない傷だった。


「もう一度、教えてあげるね?」


 首元の傷。

 ナイフの切り傷、ネジで抉られた穴、煙草を突きつけられて出来た火傷痕。

 

 そう、あの日。

 

 妹が……自らの手でつけた傷跡。


「あはっ、でも嬉しかったな。あの時、兄さんは莉緒を選んでくれた。他の誰でもない、莉緒を。それって、兄さんの心の中に居たのは"あいつ"じゃなくて、莉緒だったってことだよね?」


 妹は変わらず明るい笑顔で言い放つ。

 全てを見透かしているような黒い瞳に映し出されるのは、昨日のことのように思い出せる悪夢。

 何故今まで気づけなかったのか。

 あるいは、心のどこかで気づかないふりをしていたのか?

 

 かつて妹を救ってしまった後悔という感情が、俺の中に残った。


「……ねぇ、兄さん」

 

 気がつくと、妹はベッドの上から俺の手を握りしめていた。

冷たい。

 人間の体温とは思えぬ程に冷え切っていた彼女の身体は、まさに死体のようだった。

 今の妹の目には、自分に都合の良い理想の関係しか見えていないのだ。

 

「莉緒は、兄さんを手に入れる為なら何だってするよ?」


 俺がその言葉を聞いたのは、二度目だった。


 あの夜。

 首元から赤い血を流し続ける妹と、その妹を囲む叔父夫婦を見た瞬間、俺は己の人生で一番の失敗を痛感したのだ。


 なんだ、これ。

 嘘だ。

 嫌だ。

 認めるか。

 こんなもの、認められるものか……!

 これは、悪い夢だ……!!


 どれだけ自分に言い聞かせても、現実が変わる訳などないのに……。


 それからのことは、よくは覚えてはいない。気がついたら、俺は二人を殴り倒していた。

 大切な人の為にと今まで学び、会得したもの為でもあった全てを、数年の育て親である叔父夫婦に浴びせていたのだ。

 

 ──そうするように仕向けた、目の前の悪魔の思うがままに。


「もう、誰にも……あの雌豚にも……絶対に渡さない。邪魔をするなら──兄さんだって許さないんだから。だからね、これは罰。兄さんが莉緒以外の女の子を見たことへの。わかってたこと……だよね?」


 妹の言う通りだった。

 わかってたことだった。

 だからこそ、目を背けた。

 これは、自分に与えられた当然の責任だというのに……。

 かつて、自己中で身勝手な妹を受け入れてしまった。

 

 それが、目の前の天使のような笑顔の悪魔を生み出してしまっているとも知らずに。

 

 ──妹を受け入れたあの日、話を聞いてやると言ったのは誰だ?

 

 ──お前が自分で選んだ道だろう?

 

 ──ならば、受け止めてやれ。 

 

 ──この女にはお前しかいないのだ。

 

 ──話を、聞いてやれ。

 

 ──そして、受け入れてやれ。

  

 ──目の前の悪魔を生み出してしまった責任を果たせ。

 

 ──それこそが、無責任に"彼女達"へ手を差し伸べたお前への罪。

  

 ──そして、救ってしまったことへのお前への罰なのだから。


「兄サンハ、イツマデモ莉緒ト一緒ニイナキャ駄目ナンダヨ?ダッテ、莉緒ガソウ決メタンダカラ」


 妹は、あの頃から変わらない。

 我儘で、身勝手で、自分が欲しいと思う物はどんな手段を使ってでも手に入れようとする幼い子供のまま。

 

 当然、それに対する俺の答えは決まっていた。


「あぁ、うるせぇうるせぇ。散々人を嘘つき呼ばわりした挙句、似たような台詞を何度も繰り返しやがって。少しは聞いてるこっちの身にもなれっての」


 俺の手を握りしめる妹の手が止まった。


「今度はどうする気だ?自分自身で、また首元を傷つけるか?それとも、あいつのように、財力で第三者に殺させるか?それとも──あの時のように、俺自身の手で邪魔者を殺めさせるのか?」


 妹は、いつも笑っていた。

 

 だから、俺も笑った。


「やってみろ。それで本当に俺がお前らを愛する自信があるのならな。ただ今回ばかりは、俺もちょいとばかり抵抗させてもらうぜ」


 狭い病室の中で、俺達は笑い合った。


 そう、これは……抵抗の物語だ。


 あまりにも純粋で、あまりにも一途な恋によって、決して取り戻せない程に日常を壊された自業自得な負け犬の……ほんのちっぽけな。

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