反出生主義について

 あらゆる問題の解決法として、「この世界に生まれない」というものがある。これは確かにその通りだ。ただ、解決法というよりかは、そもそも問題を発生させないということらしい。この議論はひっくり返せば、「問題は生存しているから起きる。存在しなければ何の問題も起きない」ということであって、ここで反出生主義とつながってくる。


1.なぜ子供を産むのか?

 ここでいかに生が苦痛かは言うまい。ただ何故子供を産むのはよくわからない。子供を持っている人で、何故子供を持つのかを真剣に考えた親はいるだろうか?僕が言うのは、経済的な話ではなくもっと実存的な話でだ。


1-1.できちゃったから説

 これはおそらく最も動物に近い人間の出産法である。僕はこういう人々は社会に相応しくないと考える。そもそも文明とは、野蛮性を排除していった挙句に成立したものである。そして何の計画性もなく子供を作るのは野生の所作である。発情したら機械的に子孫を残す動物と彼ら、一体何が違うのかを教えて欲しい。また、調べると四人に一人がデキ婚らしい。野蛮性は結構身近にある。


1-2.能天気説

 これは1-1と並行させて語られるべきだろう。つまりこの説の人々は生を全く真面目に考えたことのない人々である。故に出産のリスクを考えないで性行為に及ぶ訳であり、中絶-つまり数十年後の死を目先の死に変換する作業-よりも出産を選ぶ。


1-2-1.中絶について

 ここで話はズレるが中絶について話そう。おおよそ出産には計画を伴う。計画の無い出産は子供に不幸を及ぼす可能性がかなり高い。まず経済的に見て、勿論出産には莫大な費用がかかる。それを用意できなければ破滅は目に見えている(計画が必要ないほどの富豪は別)。また親の育児への関心もなくてはならない。これが無いと育児放棄やネグレクトが起きてしまう。

 他にも色々要素はあるが割愛させてもらおう。そしてこれらの要素を出産前に考慮して、育児・出産が困難だと判明した場合、母体は中絶を選択するのである。

 困難と分かった場合、中絶を選ぶのは良い。しかしここにとんでもない選択のミスをする馬鹿がいるのである。

 つまり産むのである!彼女らは生が無条件で素晴らしいと考えているのである。しかしそれは彼女らの自己満足でしかない。生まれる子供は別人格であって、はたしてその生命賛歌の思想は伝染するのか甚だ疑問である。伝染しない場合、子供らは地獄を見るであろう。

 こういう選択のミスを促すのは、「赤子に申し訳ない」という謎の思想である。それは中絶時の赤子への身体破壊を申し訳なく思わせるための思想である。しかしそれには赤子の中絶時点での神経の発達具合を調べる必要があるし、もし神経が未発達で痛みを感じない状態ならただただ滑稽である。

 あと甚だ滑稽な思想は、「赤子が親を選ぶ」説である。そもそも選ぶという認識能力を伴う行為を、どうして赤子ができるというのか?というか体自体存在していないではないか。これは妊婦を慰めるための作り話であるから、大した理論体系である必要はないのだろうが、これではあまりに女性を見くびっているのではないか?


...1-2に戻って

中絶より出産を選ぶのはつまり想像力の欠陥であり、計画性の皆無であり、共感性の欠如であり、思考の無能である。一度考えて欲しい。中絶か出産かを考えているというのはつまりその時点で現環境に問題があるということの証明に他ならない(考えなしに産む=現環境に問題なし、という訳ではない)。そんな環境のもとに君は生まれたいだろうか?生まれたから幸福という訳ではない。それは生きているから幸福という訳ではない、ということからも分かるだろうに。


1-2-2.親はあなたでなくてもよい

余談。なぜ自分は自分なのだろうか?と考えることは多々あるだろう。そしてこれは、真面目に考えればわかるが、理由なんてものはないのだ。これに関して言えば、別に誰でも良いのだ。自分がA太でなくても実はいいのであり、B子でもC郎でも何でもよい(あの人の方が幸せそうという感覚とこれとは関係ないが)。

 これを発展させれば、親子関係は役割の形式が重要であって中身が誰であるかはどうでもよいことになる。親がある日急にA助からB夫に変わったら驚愕するだろうが、しかし初めからB夫ならそれが彼らの普通であり、逆にここでB夫がA助に変わったらまた驚愕するのである。

 つまり親子愛というのは形式の愛であって、その点では夫婦仲の方が恋愛を経る分(お見合いを除く)真実味があるだろう。


...1-2に戻って

 少なくとも今まで生きてきて、不幸の方が多いと思ってきた人間は子供を産むべきではない。人生は遺伝や環境に負う所が多い。不幸者にはそれ相応の理由があるのだ。遺伝的な話をすると、鬱は遺伝に関係があるし、容姿が優れないとそれだけで攻撃される(筆者の意見というよりかは事実として)。また運動能力や知能もだ。環境的な話をするとまだ改善できる面なら良いがそうでもない。子供の学力は親の年収に相関するのだ。日本は学歴社会なうえ、親の大半は教育のことなど微塵も知らない(そのくせうるさい。本当にクレーマー以下の唾棄すべき存在だ、恥を知れ!)。

 つまり不幸者が子供を産んでもまた一人不幸な人間が誕生するだけである。客観的に見て、不幸人間のクローンを量産して、何が面白いのだろうか?とんだ悪趣味にしか見えない...。


 おそらく、子供は親の趣味の一つでしかないのだ。親の成長物語の尊い犠牲である。勿論人生に意味はない。故に全てが可能である。人を殺して逮捕されようが、それすら無意味なので、刑罰の重みも消える。重みの消えた刑罰はもはや何の拘束力もないので、犯行から刑執行は茶番と化す。

 子供を産むのも自由である。子供の人生なんてものは考えなくてもよい。産むだけでは親になれない、確かにそうではあるが、それは我々馬鹿で汚らしい現代人のクソゴミ共からしたらあまりに崇高で困難である。僕はあまりに考えすぎた、あまりに人生を考えすぎた、あまりに他人に憐憫しすぎた...。世の大人はもっとオナニー感覚で子を作っているに違いない。でなくてはこんなにも「親ガチャ」で騒ぎにならない筈だ(親ガチャ問題は、それが事実かどうかではなくそんな言葉が頻出するほどに出生の基盤が揺らいできたということではないのか?)。


 しかし、同情気質な僕には世間一般の価値観が分かりませんでした。

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対世界呪詛 @byoukiningen

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