7-3

 そのときに感じたのは、なんと言い表していいかわからない……冷たい怒りと、それから……。

「去り行くべし、汝罪深き者よ、去り行くべし、汝誘惑者よ。あざむきと策略に満ちたる者よ。美徳に仇なす者よ。罪なき者の迫害者よ――」

 ブラウン氏――の姿をした悪霊――は蛇が鎌首をもたげるような動きで、ゆらゆらとこちらへ戻ってきた。

「皮肉だな。お前の祈りがあの呪われた一族の末裔すえを地獄に追いやることになったのだとすれば」

「彼はお前たちのところへは行かない。主の平和へ至る道を見つけたのだから」

「ほう、我らの言葉は信じぬのに、あの傲岸不遜の吸血鬼の言うことは信じるのか?」

「彼は自分の身を投げ出してこの子を守った。彼がかつて何者だったとしても、魂は救われるだろう」

 悪霊は獣が吠えるような声で笑った。

「馬鹿な吸血鬼のことはどうでもいい。だがお前に俺たちを祓うことはできないぜ。なぜならお前はこいつらのためでなく、自分の罪悪感を帳消しにしたくてやっているんだからな。そろそろ認めたらどうだ……」

 コンクリートの冷やかさが石造りの聖堂の冷たさに取って代わった。

 またあの場面――声が出ない。

 レオーニ神父が目の前にいた。めったに見せたことのない、哀しげな顔をして。二度も師父の姿を見せられて、幻覚だとわかっていても心臓が痛い。

 あのとき私は尋ねた。

 どうしても、無私の精神で奉仕するという心境に至れないのですが。愛というより義務的なものに感じられるのです。それで誰かを救うことが可能なのでしょうか……。

 夢の中と同じようにレオーニ神父が口をひらく。

 思わず目も耳もふさぎたくなった。お前にはできないと――同じことをくり返すのがおちだと――頭の中で声がこだまする。

『それでいいじゃないか』声が響いた。

 懐かしい、歌うようなイタリア訛りが言うのが聞こえる。

『苦しむ人、病者の中にキリストを見ると我々は言う。でも、その人たちを通じてキリストに奉仕したいと思っているのは我々のほうじゃないか。救われているのは我々だ。自分のためにやっているんだよ。それでいいじゃないか。結果的にその人たちが助かるのなら』

『師よ、それではあなたは……』

 そこまで言ったところで青白い霧が晴れた。

 眼前に迫っていたのはにやにや笑いを貼りつけたブラウン氏の顔で、その手にはハンマーが握られていた。

「情けない顔だな、神父。それでも俺たちをどうにかできると思うならやってみるがいい」

 「キリストに座を譲るべし……」と私は唱えようとした。だが、口をついて出たのは悪魔祓いエクソシズムの祈りではなく……

「……呼び求める私に答えてください、私の正しさを認めてくださる主よ。苦難から解き放ってください。憐れんで、祈りを聞いてください……」

 立っていられずにその場に膝をつく。

 ――咎人とがびとであり、私がを愛したのが罪ならば、私もまたともに地獄に堕ちるべき者です。主よ、あなたはなにもかもご存知です……。

 滲んだ視界に大きな影が映る。

 主よ憐れみたまえ……

 そのとき私は誰かの手が肩に置かれるのを感じた。

 触れられているところからあたたかななにかが流れ込んでくる。ふりかえるのもおそろしいくらいの光に包まれる中、誰かがやさしい声でささやくのを聞いた。

 その声に自然と体が引き上げられる。

 見えない力に突き動かされるようにして伸ばした右手が、ブラウン氏の額に触れた。大きく見開かれた彼の瞳の中に映るのは、信じられないといったおそれと恐怖――

主は汝を駆逐したまうイレ・テ・エクスクルディテ汝とその使いがために・クイ・ティービ・エト・アンゲリス

永遠の地獄を用意されたまえり・トゥイス・プレパラヴィト・エテルナム・ゲヘナム

その御口より鋭き剣出で・デ・クユス・オレ・エクシビト・生者、死者グラディウス・モルトゥオス

そして世界を火にて裁きにきたまわらん・エト・セクルム・ペル・イグネム――アーメン」

 唱え終わった瞬間、コンクリートの室内が目もくらむ輝きに満ち、私――とブラウン氏――は反発する格好かたちではじき飛ばされた。

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