糸目の衛士隊長はお人好し

新巻へもん

第1話 辞令

「ちょっと。これはどういうことなの?」

 衛士団の詰め所の掲示板に新たに張り出されている紙を見て、腰に手を当てたイライザが吠えていた。

 大規模なゴブリンの群れを相手にして帰って来たばかりだというのに元気一杯である。

 手負いの者もいる中でかすり傷1つ受けていない。

 

 イライザは年の頃は20代半ばで、ルビーとアンバーの中間色の髪が印象的な均整のとれた体つきの美人だった。

 もっとも美人という印象を抱くのは口を開くまでのこと。どちらかというと歯に衣着せぬ言葉の方が印象が強かった。しかも声がでかい。

 今日の声も詰め所に響きわたっていたが、イライザの声が大きいのはいつものことなので誰も気にもとめていなかった。

 それに声の音質自体は妙に耳に心地よかったりする。


 誰にも相手にされないと増々機嫌が悪くなるのだが……。

 イライザと同じ隊長職にあるブランドは細い目で周囲を見回した。

 しかし、ブランドの方に向けられたいくつもの期待の目が集中するだけである。

 これも上席の隊長の仕事かとイライザに近づいた。

「どうした? 何か事件でもあったのか? また王都で多数の死傷者が出たとか?」

「魔女の実がらみの事件じゃないわ。私たち衛士団に関すること」

 ブランドは、また経費を節減しろという訓令だろうか、と想像する。


 ここトールハイムはシッゲン王国の版図でも南よりにある。他の方面に比べれば国境は平穏と見られていた。

 町の南にある山の向うに広がる砂漠を越えてやってくる大規模な盗賊団が主な脅威である。

 だから、この地に置かれている騎士団は精鋭とはいえず、十分な予算が回されていない。


 そのあおりを受けてというわけでもないのだが、町中の治安維持にあたる衛士団についても金回りが悪いというのは一緒であった。

 軍隊やそれに準ずる組織は金食い虫と相場が決まっているのだが、衛士団に配分される資金は活動を維持するのに必要な額にも不足しがちである。


 実際平和ならそれで構わないのだが、安定しているのは国対国規模の話であり、トールハイム周辺にはモンスターの住む未開の地も多かった。

 その対処は盗賊団同様に本来騎士団の仕事であるが、あまり熱心とは言えない状況が続いている。

 主に地元民で構成される衛士団は、救援を乞われれば見過ごすこともできない。

 やむを得ず出撃すれば怪我もあるし、武具も破損した。


 あくまで自発的に所掌外のことをやっているのだから手柄にもならない。ましてや、それに関わる経費が別途支給されることも無かった。

 年に一度派遣されてくる会計管理官からは不急不要の支出が多いと言われている。

 前回の検査ではこのままだとさらに予算を減らされますよ、とも脅されていた。


「また節約をしろという話か?」

 イライザは振り返る。ぷりぷりと怒っていた。

 怒っているのだがそんな姿も魅力的である。

 生き生きと生命力の全てを外に向けて放射していた。

 眉をひそめれば折角の器量が台無しなのだが、本人はそんなことを気にする様子もなく、唾を飛ばさんばかりにしてわめく。

「そんなんじゃないわよ。新しい衛士団長が来るんだって!」

「そうか。副団長は昇格できなかったのか。お気の毒だな」


 どうもブランドの反応はイライザのお気に召さなかったらしい。

「ホーソンのボケナスが昇格しなかったのなんてどうでもいいのよ。どうせやる気が無いんだから。日銭を稼ぎつつ退団する日を待ちわびてる副団長がどうなろうと知ったこっちゃないわ」


 一応上役なんだからボケナスは無いんじゃないか。ブランドは目線で訴えてみる。

 イライザは、はあっと盛大にため息をついた。

「はいはい。どうせ私は口が悪い女ですよ」

「いや。はきはきと元気がいいのはイライザらしくていいと思うよ。ただ、もうちょっと言葉をだね……」


「いいの! ボケナスをおっとりや温厚だって言いかえたところで、ホーソンが日和見の事なかれ主義だって事実が変わるわけじゃないんだから。ああ、もう。話が脱線しちゃったじゃない」

「そうだ。衛士団長が着任するんだっけ。それのどこに問題が?」


 イライザは額に手を当てる。

「だ・か・ら、ホーソンが副団長でいる限り、あなたが副団長になれないんでしょうが」

「まあ、そうだね」

「そうだね、じゃないわよ。最古参のあなたが隊長のままだと後がつかえているのよ」


「そういうことなら、私のことは気にしないでくれ。副団長ってガラじゃないし、そもそも隊長職だって身に余っていると思っているぐらいなんだ。次の上申書にはフンボルトかイライザを推薦するように、新しい団長にお願いしようじゃないか」

 イライザは燃えるようなオレンジの髪の毛をかきむしる。


「あなたを差し置いて私が副団長になれるわけがないでしょ。そんなことになったら、皆から身の程知らずと思われて鼻で笑われるのが分かり切ってるじゃないの!」

「そんなことはないだろう。イライザは明るいし皆から好かれているじゃないか。剣士なのに攻撃魔法だって使える。モンスター討伐のときに君が居ると衛士団はしゃきっとするし」


「ああっ、もう。私なんかよりあなたの方がずっと住民に信頼されてるでしょ。トールハイムはブランドが居る限り安泰だって言われてるのも知ってるくせに」

「いやあ、私が無駄に年を取っているから気を遣ってるだけだよ。ここのエースは君だ」


 イライザは頬を紅潮させた。

 エースと言われればもちろん嬉しい。ましてや敬愛しているブランドの言葉である。

 同僚としてだけでなく、異性としても意識しており、その相手から褒められて悪い気がするはずもなかった。

 外見の変化はもちろん悪意の発露ではない。


 だが、先ほどから散々まくしたてた後である。

 ブランドには心のこもらないお世辞にイライザが怒っているように感じてしまった。

 むう、私などに褒められても嬉しくないか。まあ、確かにこの1年ほど練習試合で勝てたことが無いからな。

 ブランドはなんとか話題を戻そうと試みる。

「まあ、団長が居ないというのも不便なところがあったし、いいじゃないか。どれ、なんて方が就任されるんだい?」


 ますます不満そうな顔をしてイライザが吐き捨てる。

「ベアトリス・コローネよ。侯爵家のお嬢様が団長ですって。どうせ家柄で選ばれたに決まってるわ。いくら国境が安定しているからって舐められたものね」

「本人も見ていないのに断定するのはどうかと思うぞ。コローネ一門は武人の家柄だ」


「だからなんなのよ。どうせ箔をつけるために団長になったに決まってるわ」

「まあ、そうだとしても私たちが信頼されているということじゃないか」

「はあっ?」

「仮に箱入りのお嬢様なら、信用がない人間の上に立つなんて危なくってしょうがないだろう?」


「どうして、そういう発想になるのよ?」

「やはり君がいるからじゃないか。頼りになる同性が居た方が何かと心安いだろうからな。そうだ、これからは暑くても上半身肌脱ぎになるのは控えるように気を付けよう。深窓の令嬢が見たら卒倒するかもしれん。お前達も行儀よくな」


 ブランドは部下の衛士たちを振り返って呼びかける。

 部下の1人である副隊長格のノートンが引きつった笑みを浮かべていた。

「どうしたノートン。多少窮屈になるだろうが我慢できるだろう? 衛士たるものレディに対して紳士たれ、だ」


「いやあ、まあ、そうだとは思いますよ、俺も。ただねえ」

「なんだ。言いたいことがあるならはっきり言え」

「レディといえば、この場にも一人いるんじゃ、ってだけですけどね」

 ノートンの視線がブランドの後ろに向かう。


 ブランドは笑った。

「何を言うかと思ったら、イライザのことか? 何を言っているんだ。イライザは確かにレディだが、同時に俺たちの仲間だろう? そんな他人行儀の気遣いはかえって失礼だろうが。なあ、イライザ」


 イライザの菫色の瞳がブランドに刺さる。

「ええ、ええ。私は衛士仲間ですからね。そういう気遣いは無用ですとも。あなた達の上半身を見て顔を赤らめるような小娘でもありませんし。そもそも、ブランドにそういうのを期待してませんから」


 イライザは踵を返すと更衣室に向かった。

 更衣室でがっくりと項垂れると両手で顔を覆う。

 あああ。

 またやってしまった……。

 隊長職にあるイライザは常に気を張って職務を遂行していた。

 女性だからといって舐められるわけにはいかない。


 詰め所にいるとついつい仕事モードになってしまい、ブランド相手にも強い口調で話してしまったことを反省する。

 本当はブランドにだけはあんな態度をするつもりはなかった。

 しかし、他の団員の目線があったこともあり、一度始めた路線を変更することもできずに終始つっけんどんな態度になってしまっている。

 鼻にかかった甘えた声の1つも出したいのだが、イライザにはどうやったらいいのか分からない。

 はあ、とため息をこぼすとノロノロと制服を脱ぎ始める。


 ブランドも着替えを済ませると部下と連れだって行きつけのルイジの店に繰り出す。今日の働きに部下に酒を振るまうつもりだった。

 どうせ独り身で他に給料を使う当てもない身の上である。

 店に向かう途中でノートンがささやいた。

「今日は覚悟しておいた方がいいですよ。イライザ隊長荒れそうです」


 一瞬戸惑った様子を見せるがすぐに分かったという顔をする。

「ああ。今日はうちの隊の方が戦果を挙げたからな。僅差ではあったが。大丈夫だ。同じ衛士団の同輩に小功を誇るような真似はせん」

 ノートンが変な顔をするので、ブランドはそんなに器が小さいと思われているのかと反省するのだった。

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