ヒロインもの(仮)
ミルティア
Prologue
第1話 あなたがヒロインなら 前編
「妖精が住む魔法の世界のヒロインになって、由緒正しい学園に通う王子様たちと仲良くなろう」
「心豊かな家族に囲まれ、牧歌的な風景の村で育つヒロインが巡り合う運命の景色」
「すべてを魅了する可憐な声にトウヘッドと碧眼」
「誰もが憧れる氷肌玉骨に妖精からも愛される魔法の資質」
「あなただけの物語を形作ろう!」
家族との人間関係が違和感、反目、反発、拒絶、絶縁と進めば、その人生は過酷なものになるだろう。
未成年ならば、さらに過酷なものとなる。
親や家族の庇護のもとに、自立した生活の基盤を持たない子供なら特にそうだ。
エリーゼは、その過酷な生き方を七歳の誕生日までに進んだ。
エリーゼが最初に感じた違和感は、その貧しさだった。
自分が覚えている生活水準との落差が大きかった。
潤沢に使えるお湯も無く、暑いときや寒いときに部屋を快適な温度に維持する冷暖房も無かった。
食材が常温で置かれ腐敗集漂う台所。
ネズミなどの不快な生き物が徘徊している家。
何より石鹸や紙どころか、水回りそのものが家に無かった。
反目は向上心のない家族との会話から悪化した。
エリーゼには人生一回分の知識と経験があった。
でも、その価値を父親は理解しようとしなかった。
母親は無視した。
兄は馬鹿にした。
姉は嘲った。
エリーゼの家族は、生活を豊かにしようとする向上心はなく、誰かの努力を馬鹿にしていた。
反発は、隣村の決闘裁判がきっかけだった。
ある日、車も自転車もないあばら家だらけの寒村から、多くの村人が舗装もされていない道をぞろぞろと歩き、人が一人飲み込まれそうな穴をいくつも避け、わざわざ半日もかけて隣村に旅行した。
エリーゼが初めて見る村の外は、ただ荒涼とした大地の連続だった。
村人の衣装は、エリーゼの記憶で判断するなら、美術館で見学した中世ヨーロッパの油絵の世界そのものだった。
村人たちは性別も年齢も関係なく、今から楽しい観光地に行くような華やかさで盛り上がっていた。
エリーゼは、その村人たちの集団から少しだけ遅れながら隣村に向かった。
エリーゼが初めて訪れた隣村は、エリーゼの村より豊かそうだった。
数十件の建物はあばら家ではなく、家のいくつかは煉瓦で作られていた。
隣村の生活道路は、砂や砂利で敷き詰められぬかるんでもいなかった。
その隣村の中心に作られた教会の建物の前の広場に多くの人が集まっていた。
エリーゼは、その広場に集まる人達の異様な熱気に面食らった。
押し黙ったまま広場を見つめる人々の様子は、まるで鉄火場に踏み込んだようだったからだ。
エリーゼが簡易的に作られた柵に囲まれた広場の円周の淵に集まる人々の集団から家族を探すと、エリーゼがいる場所の反対側に見つけることができた。
何とか、広場の円周に沿って家族と合流すると、エリーゼの姉からの第一声は冷たいものだった。
「いつもは生意気なことを言ってるのに、こういう時はのろまなのね」
エリーゼから見ても家族は美形ぞろいだったが、性格は最悪だった。
「エリーゼなんかに話しかけるなよ」
兄の言葉は、常に敵意があった。
「こいつと話してるとしらけるんだよ」
その兄の言葉がエリーゼの感情をネガティブな方向に動かしていた。
エリーゼにとって、家族と話す時間は苦痛でしかなかった。
「ほら見ろ。こいつと話しているから大事なところ見逃したじゃないか」
兄の苛立った声がエリーゼの思考を現実に引き戻した。
エリーゼが兄や姉たちが見つめている視線の先を確認すると、青色の全身タイツのような衣装を着た中年の男性が下半身をぎりぎりで動かせる大きさの穴の中に入った状態で棍棒らしきものを持っていた。
その下半身を穴に入れた男性の近くには、赤い色の全身タイツのような服を着た中年の女性が中身に何かが入っている巾着らしきものを手からぶら下げて、中年の男性を冷たく見下ろしていた。
ギラギラした人々の熱気と静寂が支配する中、正午を告げる鐘が鳴り響いた。
その鐘の音が終わらないうちに、本気で人を凶器を使って殴打する音がいくつも鳴り響き、静かながら人々は興奮を押し黙っている気配をたぎらせていた。
あまりにも凄惨な光景と誰も止めようとしないことに、エリーゼはただ恐怖で硬直するしかできなかった。
拒絶は、決闘裁判の傍聴の帰りの道から始まった。
エリーゼには、家族や村人達が同じ人間に見えなくなっていた。
ただでさえ信頼関係がなかった人間関係は、エリーゼの心の中で切り捨てるものになっていた。
そのエリーゼの態度は、家族に敏感に伝わりさらに冷え切った家庭環境になっていた。
一人孤立したエリーゼだが精神的には逆に家族を圧倒していた。
そのせいで、エリーゼの食事が抜かれる事が起きた。
父親からしたら、生意気なエリーゼに誰が上か知らしめておきたい感じの行動であった。
それがエリーゼのレッドラインだった。
エリーゼの行動は素早かった。
六歳の身でありながら居住を家畜小屋に移し、食える虫を家畜や牧草の残りを集めて作られた堆肥の中から探し始めた。
エリーゼは、家族と明確な距離を取り始めた。
家畜小屋には、牛と山羊が数頭飼われていた。
虫では足りない栄養と栄養素を補うために山羊の乳にも頼ったが、エリーゼは必要な栄養をかき集めるのに必死だった。
絶縁は、エリーゼが空腹と戦っている間に進行していった。
村を巡回する役人には、十年おきに村人たちの能力を調べる義務が領主から命じられていた。
この能力を調べることで、その人の未来が大きく変わる。
「この村の村人たちはこれだけか?」
でっぷりとした役人が、横柄な態度で村の広場に集まった村人たちを見渡した。
「エリーゼと言う娘が一人ここにいませんが……」
恐る恐る横柄な役人に消え入りそうな声で話すくたびれた初老の村長に、横柄な役人はうんざりした表情と面倒なことをさっさと終わらせたいとわかる声で大きく告げた。
「居ないなら居ないでかまわん。みんな一人一人この水晶に手をのせるんだ!!」
エリーゼは、己が能力を知ることはなかった。
エリーゼは空腹を満たすため家畜たちの排せつ物や牧草の残りを餌とする虫やオオカミなどのテリトリーの森の入り口で必死に食料を探し、家畜たちの排せつ物を乾かして燃料として使い、不衛生な食料や環境を少しでも衛生的で安全にするために使う石器や土器などを作って日常の道具として使い始めていた。
家畜小屋の中に自分のシェルターを確保したエリーゼのところに、兄と姉が自慢するように訪ねてきた。
「なぁエリーゼ?俺の能力が何かわかるか?」
自慢してくる兄を無視してエリーゼは家畜小屋で自分の寝床にしているわら束を整えていた。
「話を聞けよ!魔法を使えるだよ!!」
エリーゼは、愚かな兄が貧困からの現実逃避として妄想にすがっていると判断した。
「私もよ。きちんと学べば魔法を使えるのよ」
姉までエリーゼを見下すように話しかけてきたが、エリーゼにとって兄も姉の姿も貧困からのただの逃避行動の妄想に溺れているようにしか見えなかった。
もう理解もしたくないと、エリーゼは視線を背けながらわら束をつかむと、兄や姉のことなど気にせず、苛立ちから適当にわら束を放り投げだした。
「いい加減にしろ!!」
兄が叫ぶと手をエリーゼの方に突き出し、訳も分からない言葉を叫んだ。
エリーゼが訳も分からないままわら束の山に吹っ飛ばされたのはその叫び声を聞いた瞬間で、わら束があってもその衝撃がすさまじく、エリーゼは気を失わないよう耐えるのに必死だった。
この日の夜から、エリーゼは色とりどりな色で発光する小指ほどの透き通る羽が生えた人型の何かが見え出した。
家畜小屋の独特な臭気の中、エリーゼは自分の体の周りを親しげに飛び回る複数の発光体に怯えていた。
兄から受けた理不尽な暴力で脳か網膜に深刻なダメージがあったのではないかと。
どう考えても、エリーゼが知る高度な医療を受けられないこの貧困と医療技術の低さ。
社会保障も福祉も人権も期待できない社会体制を思い恐怖で震えていた。
このままここに留まれば殺される。
エリーゼは、家族もこの村も捨てる覚悟を決めた。
逃げるとして、何を準備するべきか。
どこを目的地と定めるか。
エリーゼは、思考の海に漂いながら整理した。
人が生きていくには何が必要だろうか。
文化、豊かさ、食料、家。
まずは、家。
次に豊富な食料と衛生的な淡水。
出来れば、第三次産業が発展しているなら最高だろう。
皮肉なことに、どれもがエリーゼの手に届く距離にあるとは思えなかった。
それでも、エリーゼはあきらめなかった。
こうして大気があるのは、太陽風から大気を守っている地磁気がある証拠である。
まず、人類の三大発明の一つ羅針盤の製造から始めた。
といっても、本格的なものではなかった。
家から折れた針を一本。
気が付かれないようにそっと入手した。
その折れた針を、天使の輪が光り輝くトウヘッドの髪に素早くこすりつけた。
それから、肩から背中に流れるロングの髪を手ですくと、髪の毛が数本指に絡みついて取れた。
その数本の中からもっとも細くて綺麗な毛髪を一本選ぶと、吊り下げたときに針が水平になるよう手際よく結ぶと、右手で髪の毛を摘まんでそっと吊り下げた。
吊り下げた針がくるくる回りふらふら回り左右に振れ静かにある向きで止まる。
エリーゼは、吊り下げた針を何度も左手の人差し指で右に左にとそっと押す。
その度に針は同じ向きでしっかりと止まった。
そのしっかりと南北を記す針を、エリーゼは静かに見つめていた。
次にエリーゼが求めたのは地図だった。
だが、それは早々とあきらめた。
考えてみたら、地図とは国家機密である。
この封建的な体制下で自由に様々な情報にアクセスできるとは思えなかった。
エリーゼが悩みながら家畜小屋にたまった排せつ物や食べ残しの牧草をたい肥にするために集めている所に行くと、一羽の白と灰色の羽根の鳥が排せつ物の山の上に佇んでいた。
その鳥をエリーゼは見たことがあった。
港に停泊している客船や貨物船の間を自由に飛び回るカモメだった。
カモメは、エリーゼを見つめた後甲高い鳴き声とともに羽ばたき飛び立った。
エリーゼは、そのカモメがまっすぐ飛んでいった空の先をただ見つめることしかできなかった。
その夕方、姉と父親が家畜小屋に訪れ家畜の世話をしているエリーゼに話しかけてきた。
父親の酒臭い息から発する話は、エリーゼの理解を超えていた。
「あー、つまりな。魔法の資質がある兄と姉を魔法が学べる学園にやらなきゃならん」
姉が父を促すと、父はエリーゼに聞かせるためでなく通告するために話を続けた。
「学園に行くためには金が要る。それもたくさんだ。それでだ、エリーゼ。お前を売ることにした」
その父の発言を補足するように姉が話し始める。
「ようやく薄気味悪いあんたでも家族の役に立つことができる日が来たってことよ。見てくれだけは綺麗なんだから、すごく高く買ってくれた人に感謝するのよ」
その姉の表情と態度は、悪意で歪んでいた。
「明日の朝には、あんたは立派な金貨と交換ってことよ。せいぜいあの醜い男と仲良くなる事ね!!」
エリーゼは、二人の会話を激発しそうになる怒りの感情を必死に抑えて聞いていた。
父と姉が帰った後、エリーゼは先ほど見たカモメのことを思い出していた。
あのカモメが飛んでいった先には海があるのだろうか。
海があるなら、塩には困らないとか魚がたくさんいるかなとか海藻は食料として期待できるのかなと呆然としながら考えていた。
夕焼けが星空にかわるころ、エリーゼはカモメが飛んでいった先に海があることを期待して村を出ることを決意した。
皮肉なことに、エリーゼの家からは楽し気な会話が聞こえ、エリーゼの悪口を家族全員で話しているのも家畜小屋の中まで聞こえてきていた。
その話声の喧騒を利用して、エリーゼは持ち出せそうなものをそっと確認する。
自分が作った方位磁石。
ナイフ代わりに作った石器。
夜の寒さに耐えられるよう服の中に着ぶくれするほどのわらを細かくしたものを詰め込んだ。
この村を捨て生き残れる保証はなかった。
それでも、エリーゼは絶望的な未来から逃れるために歩き出すことを決断した。
村人もエリーゼの家族も寝静まったのか静かになった。
家畜が起きないようできるだけ静かに家畜小屋の扉をそっと開ける。
風が一つも吹かない中、満天の星空と満月がやさしくエリーゼを照らしていた。
エリーゼの近くを色とりどりな色で発光する小指ほどの透き通る羽が生えた人型の何かが数多く静かに飛び回っていた。
そっとエリーゼは自分が作った方位磁石を右手で吊り下げ方位を確かめる。
振り返りもせず静かにエリーゼは歩き出した。
エリーゼは歩きながら、ただ願った。
どうにか私が逃げ出した痕跡が残りませんようにと。
その日の夜遅く。
季節外れの雪が静かに降り出した。
まるで小さな足跡を隠すように。
エリーゼ七歳の誕生日の事であった。
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