第2話
「そう言えばお母様やお祖父様達のカレシさんへの風当たりが強い話はしていたけど、お父様の事は話に出て来なかったわね」
「それこそが私の不幸の始まりなんです。私の母は、私が七才の時、私を連れて家を出たんです。つまり両親は私が七才の時、離婚したんです」
アイリッシュコーヒーの中のウィスキーが効き始めると、美佐希はいつも自分の事を語り始める。
「それからお父様には会ってないの?」
「全然ってわけじゃないです。高校の入学式の時、見に来てたし」
「そう。色々苦労してるのね」
「苦労? 私の苦労は、気難しくて気詰まりのするおじいちゃんやおばあちゃんの家で暮らさなきゃいけなかった事なんです。母が父にあいそをつかさなければ、そしたらそのまま三人で暮らせていたのに。いつも『次は絶対上手くいくから待ってくれ』なんて言いながら転職を繰り返している父さんに母は我慢できなくなったんです」
「……人の永遠のテーマかもね。次は上手くいくからって」
「だけど父は特別なんてす。『いつかいつか』ってまるで夢のような話をいつもしてたって」
「でも貴女のお母様も思い切った行動に出たのね。子どもを抱えて生活するのは大変だったでしょう」
「おじいちゃんは不動産会社経営していて、母もそこの社員になったから経済的にはあんまり苦労してません。だから父も何も言えなかったんです。父の方は、母と別れてからもうだつが上がらなかったみたいで。そうでなきゃ、母を引き留めるとか、私達を迎えに来るとかしたはずでしょ?」
「貴女はそれを望んでいたのよね」
「ええ。子どもの頃、私達は仲良し家族だと思ってたんです。まるで夢のような話ばかりしていても、私にとっては頼もしくて大好きな父でしたし、両親は仲良い時もあったし。特に父の車に乗って家族で出掛けるのが楽しみだったんです。海や山や色々な場所に連れて行ってもらいました。そしていつか連れて行ってやると父が約束してくれてた公園があるんです」
「公園? 有名な公園?」
「いえ、そうではなくて父が運送業をしていた夏のある日、偶然見つけた小さな公園なんです。小さいけど、木の上にリスの人形がたくさんあったり、色とりどりのビー玉で飾られたトンネルや、薔薇のアーチのかかった橋があったり。そんな夢のような公園だって」
「素敵な話。それでガーディアン☆スターに勤めようと思う位、公園に興味を持つようになったのね」
「それはあるかもです。でも結局公園に行く約束は果たされないままで」
「お父様もきっと約束を守りたかったし、ずっと家族で仲良く暮らしたかったんじゃないかしら」
「それはどうでしょう。母が私を連れて行く時、勝手にしろみたいな態度で平然としてたって」
「『平然としてた』って。憶えてないの?」
「ええ。なぜか出て行った日、父と別れた日の記憶が欠けていて。父の座ってる後ろ姿位で、他は何も憶えてないんですよね。でも……」
「でも?」
「近所のバス停で、母と待っている時、誰かから呼ばれた気がしたんです。バス停の後ろに道が横切っていて、その道は、急な坂道になっていて、下るとバス停のある道と合流するみたいな。私が呼ばれた気がして後ろを振り返ると、左斜め上の坂のてっぺんにある銀杏の樹の所に人影があったんです」
「その人の顔は見えたの?」
「それが午後の陽射しの強い日で、ちょうど太陽の光が眩しくてよく見えなくて、目を凝らしたんですけど」
「で?」
「やっぱり見えなかった……って言うか、記憶の中でのっぺらぼうなんです。樹の影にいる人は」
「それって怖い記憶?」
「アパートの部屋を出て行った日の事自体が嫌な記憶で思い出したくないから、怖いも何もないんです」
「ふうん。その場所に戻れば思い出せるのかしらね」
「そう言えば、生まれて七才まで暮らした街には、あれ以来行ってないんですよ。懐かしくて行ってみたい気持ちはあるんですけど、行く理由も見つからなくって」
「子どもの頃訪れた場所を大人になってもう一度訪れると、新たな発見があるものよ。それに公園の遊具の設計にも役立つと思うわ」
「そうか、行ってみよう……かな」
「そうね。それがいいんじゃない? あら、もうこんな時間。じゃ、故郷を訪れた話をいつか聞かせてね」
そう言うと、隣の女性は風のようにすばやくバッグを抱え、席を立ち、店を出ていった。美佐希が名前も聞き忘れた事に気付いたのはそのすぐ後だった。
――第3話へ続く――
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