逆光の樹影、ガラスのリノウ

秋色

第1話

――ハリネズミのマウンテンロード?…ハリネズミのギザギザ散歩道?……いたずらハリネズミのプロムナード? えっと……――


「ね、この『いたずらハリネズミのプロムナード』ってネーミング、どう思う? 弱いかなぁ?」 


 六月のオフィスは金曜日の夕暮れ時だけにもう閑散としている。帰り支度をしている同僚の綾奈を引き止めるように、美佐希が話しかけた。

 スケッチブックの中には、何ページにも渡ってハリネズミが描かれている。散々描き直され、次第に正体が分からなくなっている、いたいけなハリネズミ達。


「これ、私の考えた新しい時代の公園遊具なんだけど、ハリネズミの形のオブジェの真ん中に子どもののぼれる階段が三段あるの。のぼっていってまた下りるような。少し傾いだ形にわざとしてる。傾いた表彰台みたいなやつ。子どもが階段を上る練習ができるでしょ?」


「えーと……。このハリネズミの顔はかわいいよ」


「やっぱビミョウかな?」


「そんな事ないけど、ちょっと地味かも」


 美佐希達の会社、ガーディアン☆スターは公園や庭園の敷地内に置かれる遊具、モニュメントの設計を行っていて、年に一度、社内で新製品の企画コンテストが催される。その名も新時代遊具企画コンテスト。そして今年のコンセプトは「ボーダーレス」だった。

 全社員に応募の資格があり、受賞すれば特別な賞与や社内での昇級がある。美佐希達のようにデザイナーとしてでなく事務部門で採用されている社員についても条件は変わらない。


「仕方ないよ。これが私の実力。『いたずらハリネズミのプロムナード』で帰りに企画室に出そう。そう言えば綾奈は応募しないの?」


「うん。やっと二年目に入ったばっかで自信ないもん」


「そっか。同じ二年目で応募する私は、度胸あるよね」


「いや、そんな意味じゃないよ。美佐希の公園遊具愛は特別だしね。あ、そうだ! 会社の裏の公園に女神みたいな銅像があるでしょ? この会社の守り神だって噂だよ。願掛けすると願いが叶うんだって。せっかくコンテストに応募するんだからさ、今からお参りに行こうよ。付き合うから」

綾奈が誘った。


 企画室に寄り、会社のビルを出た途端、賑やかな街のさざめきが波の音のように遠くから聞こえてくる。それにも関わらず、二人が向かうのは薄暗い公園の方だった。


「ちょっと不気味だね。でも願いを叶えてくれる女神だと思うと、この銅像もけなげに見えてくる」


「さぁ、お参りしようよ。コンテストで美佐希にも奇跡が起こるかもよ」


「やっぱり私の受賞は奇跡なんだー」


「まーまー」


 綾奈になだめられた美佐希は、綾奈に見習い、ギリシャ神話に出てくる妖精ニンフのような銅像の前で手を合わせた。



***



 金曜日の夕闇が迫る頃、美佐希は会社の近くのシルバースプーンという喫茶店にいた。

 このちょっとレトロなレストランで過ごすひと時は、美佐希のお気に入りの時間だった。今日、一人きりなのは少し寂しいけど。いつものアイリッシュコーヒーとクッキーを注文する。


「ねえ、貴女、このお店で何度かお見かけしたわね。それに会社でも。私もガーディアン☆スターにいるのよ」


 突然、美佐希はカウンター席で隣に座っていた中年女性に声をかけられた。ウェーブのかかった髪が肩の上で揺れている、綺麗な人だった。ヴァニラのような甘い香水の香りがする。モスグリーンのワンピースが品の良いその人に似合っている。茶色の硝子のような瞳には無数の星が煌めいているように見えた。



「そうですか? ごめんなさい。同じ会社だというのに憶えてなくて」


「たいていボックス席にいるでしょ? 今日はあの青年はいないのね。いつも仲良さそうにしている……」


「え、ええ。まぁ」


 陵矢とイチャついている所を見られていたと知って、美佐希は少し気まずかった。


「スケッチブックを持っているのは仕事のため?」


「仕事は一般事務なんです。でも、今年の新時代遊具企画コンテストのために、スケッチブックにアイデアをまとめていたんです。やっと出来上がって、さっき企画室に出してきたとこなんですけどね」


「そうなの? 良い結果が出るといいわね」


「そうだ。同じ会社の方なら、見ていただけますか?」


 美佐希はスケッチブックをぱらぱらとめくった。


「同僚は地味だって言うんですけどね」


「とても可愛いと思うわ。若い女性らしい瑞瑞みずみずしさがあって。地味というより、対象となる層が限定されてしまうのが少し残念かな」


「対象となる層? 四才以上の子どもを対象としているんですけど?」


「公園で癒やされたいのは子どもだけじゃないでしょ? 子どもの側からしか物事を見ていないようだと、いい遊具は作れないのよ。子どもだけでなく、大人も優しい気分になれるものでないとね」

涼やかな声で言う。



 美佐希は、まるで自分が子どもだと言われているみたいで、その言葉が少し気に触った。完全に話の主導権を握られているし。でも会社の先輩に当たる人なので、それも仕方がない。それに洗練された都会の夜みたいに美しい相手にすっかりのまれている気がした。

 だから次に相手が美佐希に、いつものデートの相手のことを訊かれた時も素直に答えていた。


「いつものカレシは今日は忙しいの?」


「いえ。私は陵矢とは、別れたんです」


「あらあら……」


 美佐希は、自分も大人である事を相手に示したかった。それにもう一つ理由があった。誰かに自分の決断を聞いてほしかったのだ。恋愛相談にのってもらえる人は身近にはいない。綾奈は恋とは無縁だと自分で言っているし。


「どうしてそんな事になったの? あんなに仲良さそうだったのに」

 カウンターの隣の席の女性のウェーブが揺れる。


「だって私にあと一年待ってくれって言うんです」


「何を?」


「一緒に暮らすのを」


「まだとても若いのに、結婚を急いでるのね」

 

「もう二十三才です。結婚を急いでいるわけではないんです。好きな人と早く一緒に暮らしたいだけなんです。私の年頃の一年って大きいんですよ」


「一年なんてあっという間と思えるように、いつかなるわ」


「そんな風に思えるようになる前に、幸せを繋ぎ留めておきたいんです」


「幸せって繋ぎ留めておけるものかしら? もっとフクザツなものよ。遊具だって単一な遊び方しか出来ないのは、意外とつまらないじゃない?」


「難しい哲学の話なんかいいです。ウチのカレシはビビりなんです。私の母や祖父母から気に入られてない自信があるから、逃げ腰なんです」


「穏やかじゃないのね。あれだけ仲がいいんだから、自然体で話し合ったら身内の人にも良さを分かってもらえるんじゃないかしら?」


「それが難しいんです。だってウチの母は好き嫌いが激しいし、祖父母は厳格なんです。特に祖父は、男がチャラチャラしていたり、軟弱なのが許せないから、陵矢の事、あんまり気に入ってないみたい」


「親や親族が反対するからなんて他人本位な理由で別れたら、後悔するわよ」


「反対されるから別れるんじゃないんです。相手の家族に怖気づいて『待っててくれ』なんて無責任な事を言う人は、こちらから願い下げなんです」


「キビシイのね。カレシさん、ショックを受けたんじゃない?」


「『そうしたいならすればいーじゃん♪』なんて言って口笛吹いてました。ムカつくでしょ?」


「相手も相当、負けん気強いみたいね。でもやっぱり早まりすぎじゃない?」


「仕方ないです。『待ってくれ』も『いつか』も、父の口癖だったから。今はもう会ってない父の」


「今はもう会ってないって?」

 相手の女性は小首をかしげた。



             ―第2話へ続く―

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