亡き主へ捧げた感情

黒本聖南

第1話

 あの方はとても小柄で、けれどその背は、どんな殿方よりも大きかった。


『余は、戦った。この身が戦地に赴いたことはないが、この心は兵士、それに民と共にあった』


 貴様は後ろに控えていろと命じられたのは、あの方が幼かった頃。お世話をする時以外は常に出入口や窓の傍に立っていたら、あの方が淋しがって泣いたのだ。

 余には誰もいない。

 貴様以外には、誰も。

 離れるな、もっと傍にいろ、と。

 拒否権はないし、あっても使うつもりもない。

 そう命じられてからのほとんどの時間、あの方の後ろに控えた。


『余は、願った。この国が平和になり、民が安心して暮らせるようにと。故に、民の声にも積極的に耳を傾けてきた』


 あの方の、心からの笑顔が完全に消えてしまったのはいつだったか。

 思い返しても、出てくるのはあの方の背中ばかり。

 そこに叫ぶ為の口はないのに、いつもそこから悲鳴が聴こえた。

 何度か、さすろうと手を伸ばせば、すぐにその手を振り払われた。

 余計なことはするな、と。

 背を向けられているから、どんな表情をしているのか分からないけれど──悲鳴が余計に酷くなったのに気付いてからは、見ているだけに努めた。


『だというのに、何故、こうなった』


 暗闇の中、一筋の光を一身に浴びていた男がうずくまる。

 その頭には、色褪せた金色の冠が乗っかっている。

 男が、王だから。

 ──そして私は、彼の傍に立ち、踞る彼を見下ろしていた。


『望まれるまま、請われるまま、民の為、国の為に尽くしてきたというのに、何故、誰も彼も余を裏切り、余に剣を向けるか。余は貴様らの、王のはず』


 男の足元には、事前に剣が用意されている。

 冠と同じく色褪せた金色で、装飾品等は一切なく、目を凝らせば傷や凹みがあるような、抜き身の長剣。

 男は踞ったまま、片手で剣の柄を握る。


『ロザリー』


 はい、と返事をすると、男と同じ光が私にも照らされる。

 ただのロザリー、それが私の名前。

 男はよろよろと立ち上がり、私と向き合う。


『貴様だけだ。貴様だけが、余の味方のはずだ』


 それには返事をしなかった。

 私はただ、露わになった男の汗だくの顔を見つめるだけ。


『けして裏切らぬと、誓ったな。余は覚えているぞ、貴様がひざまずいて誓いの言葉を口にした日のことを』


 男は顔に笑みを貼り付けていたけれど、大量の汗のせいで、泣いているみたいに見えた。

 ……あの方も、こんな顔をしていたのか。

 もう確かめることもできない。


『命令だ、ロザリー。貴様のその口で、もう一度余に誓うのだ。余への永遠に変わらぬ忠誠を』


 少しだけ、吐き気が込み上げてくる。

 確かに昔、私は誓った。

 永遠に変わらぬ──想いを。


『……王よ』


 ゆっくりと、口を開く。

 ゆっくりと、目を細めていく。

 ゆっくりと、拳に力を込めていく。


『王よ。どうかこの、卑しき女の浅はかな言葉で、その耳をお汚しくださいませ』


 侍女すらも王を裏切る。

 先に裏切ったのは王だから。


『貴方は、王ではない。ましてや悪魔ですらない。貴方はただの──神です』


 侍女の愛する人を、王は死なせたから。


『自分の好きに手を加えられる自由がありながら、見ているばかりで何もしない。それを怠慢と呼ばず何と呼ぶのか』


 だから侍女は、愛する人の後を追うのだ。

 来世でも、あの方のお傍にいたいから。


『王よ、いや神よ。──けして貴様を許しはしない』


 いたかった、から。


『……それが貴様の答えか? 良い返事だな。余が……余が、神を嫌っていることを知っていて、そのようなことを!』


 笑みを消した男は怒りに顔を歪め、握る剣の先を私の首に突きつける。

 私はもう何も言わない。

 ──侍女の台詞は残り一つ、それは舞台が暗転してからのこと。

 何の抵抗もせず、首が切り落とされるのを待つだけ。

 ……これでもう、何回目か。

 王の求めに侍女は応えず、首を切り落とされ、そして後から王も、裏切り者達によってその首を切り落とされる。

 それが、あの方の考えた筋書き。

 もう訂正することもできない。


「……ぁ」


 無意識に上を向けば、あるものが目に入り、思わず声が出る。

 観客に聴こえていないことを願いながら、光が消える瞬間まで、それを見つめた。


 カーテンの上の方に引っ付いた、一匹の蝙蝠。


 最近よく、目に入る。

 舞台の上や、道を歩いている時に。

 好かれるようなことをした覚えはないけれど、何故か懐かれているらしい。

 特徴的な見た目をしているから、すぐにその蝙蝠と分かる。


 まるで本物のように光輝く、黄金色だから。


 ──ふいに、私達を照らしていた光が消え、蝙蝠の姿も見えなくなった。

 最期の台詞を口にしなければいけない。


『──この身朽ちても、貴方だけを想い続けると、この魂に誓います』


 その言葉に、吐き気を伴う苦痛を覚えながら。

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