第2話 誕生!織田信忠

弘治三年 織田信忠は尾張国、清洲城で産声を上げる。

父、信長が24歳の年だった。奇しくもこの年、信長の弟・信行が二度目の謀反を起こし、信長に誘殺されている。ともすると、伏し目がちになりそうな城内の空気を一層した、めでたい出来事が、信忠の誕生だった。

「奇妙丸君は、まっことお元気で」

そう言って奇妙丸(信忠の幼名)の乳母、遥は慎ましく笑った。

城内の景色はすっかり秋めいて、日の入りも随分と早くなっていた。

上手に歩けるようになった奇妙丸が、外に出たいとぐずるので、乳母は奇妙丸を外廊下に連れ出した。たまたま付近を通りかかった信長や、側室の吉乃、帰蝶も一緒である。吉乃は妊娠中で、突き出た腹を摩りながら歩いていた。帰蝶は鮮やかな赤い打掛の裾を自ら上げ、腰の前で束ねていた。

「頼もしいのう。あの子がやがて、織田家の当主になるのだから」

そういう帰蝶の顔に笑顔はなかった。細面な顔つきに切れ長の一重。一見、冷たそうな印象を受けるのは、彼女があまり笑わないせいもある。

「其方も育て甲斐があるというものじゃ。のう遥」

「育てるなどと、とんでも御座いません。わたしくはただ、若君のお傍にお仕えしている身」

背が高く器量良しの遥は、乳母というには派手な女だった。

「奇妙は、其方に懐いておるではないか」

「いえ、わたくしなど、多くの乳母の中のたったひとりに過ぎず」

「それではさつきはどうじゃ?」

「わっわたくしで、ござりますか。わたくしは新参者ですで」

さつきは身をかがめ、すっかり俯いてしまった。今年、二十五歳になったばかりのさつきは小柄で、お世辞にも美人とは言えない容姿であったが、そこにいるだけで安心する心地よさを持っていた。既に嫁いで、奇妙丸と同じ年の娘がいる。

「あ、らっ」

廊下を走り回っていた奇妙丸は中庭に出て、突然、立ち止まり、変な声を出した。

「なにかしら?」

帰蝶は打掛を持ち直し、目を細めて、奇妙丸が見つめる先を見た。

「あれは」

帰蝶が言うのと同時に、さつきが声を上げ、走り出した。

「若君いけませぬ!」

しかしすばしっこい奇妙丸に追いつけず、小石につまずき転んでしまった。

「若君、さあ」

乳母の遥は奇妙丸の膝元の砂をはたくと、彼を抱き上げた。そして奇妙丸の視線の先を見る。そこには、肌が透き通る様に白くて美しい女が立っている。

「若君、さあ、参りますぞ。ここは危ない、危ない」

遥は奇妙丸を女から隠す様にして外廊下へ上がった。

「いいにおい」

奇妙丸はそういって、女の方を指さしている。

「良い匂いがした?」

「うん」

遥が女のいた方を見た時、そこにはもう女の姿はなかった。

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