第18話

 准君に連れられてやってきたのは神社の近くの小川。一応、猿ケ岩川の支流なんだって。今捜索が行われていたり、以前丘の上から水神様にきゅうりを投げた本流からは、だいぶ離れている。川幅は狭いし、水深だって膝ぐらいまでしかなさそう。こんな場所でも大丈夫なんだろうか。


「さあ、呼べ」


 准君は同じように、わたしに言った。


「水神様ぁー! 出て来て下さーい!」


 サトリの時と同じように大声で叫ぶものの、川は静かに流れるばかりでさっぱり反応を見せない。


「やはり、供物がないと駄目か」


 准君は袖口からおもむろにきゅうりを取り出した。

 すごい、また出た。用意がいいって言うか、なんていうか……。


「ねーねー、いつもきゅうり持ち歩いてるの?」


 聞きにくい質問を千代ちゃんがズバリと口にする。


「馬鹿な。こういう時の為にわざわざ用意したんだろう」


 照れ臭そうに差し出されたきゅうりを受け取り、もう一度。


「水神様ぁー! 出て来て下さーい!」


 大声で叫んで、きゅうりをぽちゃん、と川に投げ入れる。

 すると――ブクブクブクと川の底から泡が湧き出し、飛び出した緑色の手がきゅうりをつかんだ。続いて現れる、お皿と大きなくちばし――見覚えのあるシルエットは、河童の姿をした水神様だ。


「河童だっ!」


 口走ってしまった千代ちゃんの口を慌ててふさぐ。

 前回は一緒になって叫んじゃったけど、神様だって知ってたら河童呼ばわりなんてできないもんね。


「なんだ。またオメーたちか」


 水神様は全然気にしてない様子で、目をぱちくりさせた。たった一度だけ、しかも一瞬だけでしかないのに、わたしたちを覚えてくれているみたい。


「水神よ、教えて欲しい。今日、この辺りの川に小さな男の子が落ちなかったか? 小学校一年生の男の子だ」

「川に? いや、見ねえな。水遊びに来た子たちがいたけど、もうちっと下流の方だ。でもって、もう少し大きい子ばっかりだったな」

「あっちの本流も?」

「ああ。水源から海に流れ出るまで、今日川で溺れたような子どもはいねえよ。みんな元気に遊んで、無事に帰っていった」


 わたしはほっと胸を撫で下ろした。ということは、郷介君は川でおぼれたわけじゃないんだ。でも、だとするとあの靴はどうしてあそこにあったんだろう?


「そうか。教えてくれてありがとう」

「なんだそれだけか。オメー、もう一本くらいきゅうり持ってねえのか? あるんだったらよこせよ」


 准君はしかめ面をして袖に手を入れると、きゅうりをもう一本取り出した。

 っていうかまだ持ってるの? 一体何本持ち歩いてるんだろ?


「おー、悪いな。次呼ぶ時は、もうちょっとたくさんきゅうり用意しといてくれよ。じゃあな」


 河童はざぶん、と水しぶきを上げて川へ飛び込んだかと思うと、次の瞬間には静かな清流へと戻ってしまった。

 聞こえてくるのはトロトロという川のせせらぎと、少し離れた田んぼから聞こえてくるカエルと虫の賑やかな合唱。

 気がつけば、辺りは夕闇に襲われつつあった。


「これで、山にも川にもいない事がわかったな」

「じゃあ、次は? 後はどうすればいいの?」


 サトリや水神様から情報を得られたのは良かったけど、結局手掛かりはなしだ。


「これ以上はどうしようもない。山や川で事故に遭った心配はない事がわかった。後は何か、他の理由でいなくなったとしか考えられない」

「他の理由って……」


 考え込むわたしの目を、准君はじっと見据えた。

 物言いたげなその視線に、わたしは言葉に詰まる。


「ねえ、准君はわかるの? 後はどんな理由があるっていうの?」

「鈍いやつだな。自分で姿を隠したのでもなく、事故に遭ったのでもないとすれば、考えられるのはひとつしかないだろう」


 准君は深々とため息とともに吐き出した。


「誰かにさらわれたのかもしれない」


 誘拐。

 それは確かに盲点だった。

 目を離した隙にいつの間にかいなくなる……そうだとするならば、一番最初に疑うべきは人さらいだったんだ。


「でも……不審者とか変な車がいれば、すぐにわかるでしょう?」


 ほとんど知り合いだらけのこの村では、他人が混じっていれば目立ってすぐにわかるはずだった。それだけに、誘拐なんて考えは頭の中から真っ先に除外してしまったんだ。


「知らない人間が犯人とは限らんさ。身内や、村内の人間の犯行というケースだって考えられる。最初に言っただろう。はじめからこれは、僕たちの出る幕なんてないんだ。さっさと警察にでも探してもらうのが一番なんだよ」

「でも、そうだとしても何のために。あんな小さな男の子を」

「子どもを連れ去るやつの気持ちなんて知らないよ。気まぐれで急に連れて行ってしまう事だって……」


 准君が不意に言葉を切った。何か思い当たったのか、ぼーっと中空を見つめている。


「まさか……いや、でも……」

「違うよ。多分、人さらいじゃない。あたち、違うと思う」


 千代ちゃんも真剣な表情で言った。

 なんだろうこの子。

 やっぱり何か不思議な力でも持ってるのかしら?

 でも千代ちゃんが言うと、なんだかそんな気がしてくるから不思議。


「そういえば……美国、郷介君を猿ケ岩川で捜索していると言ったな。それは何か、手がかりがあったのか?」

「うん。川の土手に生えてる桜の木の下に、靴があったんだって。二つこう揃えてあったって言うんだけど」


 両手の甲をくっつける真似をして見せた途端、准君は明らかに表情を強張らせた。


「靴が揃えてあった……?」

「そう。わざわざ揃えるくらいだから、川遊びでもしてたんだろうって……。でも、変だと思わない? 少し前まではみんなとかくれんぼしてたんだよ。意地悪されたって言っても、わざわざ一人で猿ケ岩川まで行って川遊びするなんて……」

「なるほど。わかった。美国、僕は戻る。お前は宇夫方うぶかたの家で待っていろ」

「戻るって……准君はどうするの?」


 胸がドキッとした。准君、自分では気づいてないかもしれないけど、今、わたしのこと名前で呼んだ。さっきも。これで二回目だ。


「ちょっと気になることがある。僕はこれからいったん神社に戻って、奥宮に登る」

「奥宮に? こんな夜に?」

「ああ。もう何度も登っているから大丈夫だ。悪いが、急ぐから今日は送ってやれない。ちゃんと前を向いて、気をつけて帰るんだぞ」

「え、ちょっと、准君」


 わたしが制止するのも耳に入らないらしく、准君は駆け出して行ってしまった。


「気をつけてねーっ!」


 背中に向かって叫ぶけれど、届いているのかどうか。

 美国。

 わたしの名前を呼んだ准君の声が思い出された。

 胸の奥が、なんだかほんのり熱くなった。



   ※     ※     ※



 里花ちゃんの家に戻る頃には、すっかり日も暮れて夜になっていた。

 家中電気が点けられて、まだ沢山の人が出入りしている。

 やっぱりまだ、郷介君は見つかっていないんだ。


「美国!」


 わたしが見つけるより先に、瑞穂ちゃんが気づいてくれた。縁側の奥に座り込んでいる里花ちゃんの周りに、雅紀君や信夫君、他のクラスメートたちが集まっていた。

 いつもならもうとっくに家に帰っている時間のはずだけど、心配でみんな帰れないでいるんだ。雅紀君や信夫君は事件の当事者なだけに、なおさらだろう。


「どう? 何かわかった?」

「こっちは?」


 お互いの表情から結果を察して、どちらからともなく俯いてしまう。

 結局大人たちも、今日の捜索では見つけることができず、一旦打ち切りとなったらしい。

 でも、間違いないと見られていた猿ケ岩川で見つからなかったのは、逆に朗報と言えなくもない。


「明日の朝、隣町の消防団とか、警察の人とかも集まってみんなで探すんだって」


 手がかりは川のほとりに残された靴だけ。

 明日も猿ケ岩川を中心の捜索を予定しているって。

 川にはいないって、水神様も言っていたのに。


「やっぱり准君にも、わからないか」

「あ、でも……」

「でも?」


 言っていいんだろうか。

 准君は「気になることがあるから、奥宮に登る」と言っただけだ。

 郷介君の失踪と無関係ではなさそうだけど、ここで軽はずみに口にすることで、変にみんなに期待を持たせるのは気が引けた。

 何より准君に迷惑がかかる。


「……明日、もう一回准君のところに行ってみようと思う」


 言えなかった。


「そうね。わたしたちも、明日の朝もう一回探してみようって言ってたの。大人たちは朝の六時には集合するって言ってるけど、わたしたちは八時に小学校でって。美国もいったん学校来なよ。それから准君のところ、行ってみたら?」

「……うん」


 そうしてわたしたちも解散する事になった。

 家に帰って布団に入ってからも、わたしはさっぱり眠れなかった。


「郷介君、見つかるかなぁ」

「帰って来てくれるといいね」

「うん」


 真っ暗な天井を、千代ちゃんと並んでいつまでも見上げていた。

 つないだ小さな手がとっても心強く感じられて、わたしはひとりきりじゃなくて良かったと、心の底から思ったんだ。


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