奥遠野不思議物語

柳成人(やなぎなるひと)

座敷わらし

第1話

「美国、もうすぐ着くよ」


 お父さんの声に目を覚ましたわたしは、窓の外を見てびっくりした。

 遠い山の上に見える白いものは、もしかして雪なのかな。

 行き過ぎる木々も、葉一つ付けない寒そうな姿のまま。

 もう四月だっていうのに、こっちはまだ春を迎えていないみたい。


「さぁ、着いたぞ。ここがこれからお父さんと美国が暮らす家だ」


 車から一歩外へ出た突端、冷たい空気がピリピリと肌を刺激した。

 吐く息が白い。

 手をこすり合わせながら、その場で足踏みを繰り返す。

 満開の桜に見送られてやってきたはずなのに、迎えてくれたのは透き通った冬の空。距離の遠さをあらためて実感させられた。

 車で数時間走っただけのはずなのに、こんなにも季節が違うなんて想像もしなかった。

 六年生の春。

 わたしは生まれ育った町から遠く離れた山奥の村へと引っ越した。

 五年間も一緒に過ごしてきたクラスメートたちと別れるのは本当に辛かったけど、一生のお別れになるわけじゃないし、これからもお父さんの仕事の都合で時々は遊びに帰れるって聞いたから、泣く泣く我慢することにした。

 だってうちはお父さんとわたしの二人暮らし。

 お父さんと離れて暮らすなんて、最初から無理な相談だった。

 たどり着いた先は、道路から少し上がった坂道の上に建つ、こんもりと大きい青い屋根の古いおうち。まるで昔話に出てくるおじいさんとおばあさんのおうちみたい。


「うわぁー、すごい」


 ちょっと重たい玄関のひき戸は木製で、開ける時にガラガラガラ……と音が鳴った。

 玄関のたたきは固めた土みたいになっていて、家の奥まで廊下みたいに伸びている。


「土間って言うんだよ。面白いだろう」


 家の中を靴を履いたまま裏まで歩いて通り抜けできるようになってるんだって。へぇー。

 黒い板張りの床はわたしの腰ぐらいの高さのところにあって、襖で仕切られた広いお座敷が奥の方まで続いている。


「すごいだろう。築百年以上経つ昔の民家なんだ」


 一目惚れしてこの家に決めたというお父さんは自慢げに言った。

 床も天井も、全部が真っ黒。抱えきれないほど太い柱や梁がツヤツヤと光っている。生まれてからずっとマンション暮らしだったわたしにとっては庭のあるおうちというだけで初めての経験なのに、こんなにも立派なおうちは新鮮だった。


「ねえお父さん、中入ってもいい?」

「もちろんだとも」


 わたしは靴を脱ぎ捨てて、早速新しい家の探検に出かけた。

 上から見ると田んぼの田みたいな形をした間取りは全部引き戸で仕切られていて、一番奥の部屋がわたしの部屋なんだって。

 荷物はもう全部運んであって、慣れ親しんだ机やベッドが並んでいた。

 その横に服や荷物が入ったダンボールが積まれているけど、それでもまだまだ物が置けるぐらいの余裕がある。


「どうだい? 広いだろう」


 お父さんがにこにこ顔を覗かせた。


「うん! びっくり! この部屋、本当にわたし一人で使っていいの?」

「もちろんだとも。美国、とりあえず自分の荷物整理しちゃいなさい。少ししたら足りないもの買出しに行くから。まずは暖房が必要だね」

「はーい」


 お父さんは両手にふぅふぅと息を吹きかけながら去って行った。とっても広い上、家具もほとんどないせいか、この家はすごく寒い。外と変わらないんじゃないかな?

 体を動かしてた方が温まりそうだし、お父さんの言うとおり、頑張って片付けから始めないきゃ!

 何って、わたしの部屋だけでもびっくりするぐらい広いんだから!

 一、二、三……畳の数を数えてみると、全部で十二枚あった。

 わたしの部屋だけで十二畳! この間まで住んでいた部屋に比べたらほぼ倍だ! すごく広い!


「ひゃっほー!」


 変にテンションが上がってベッドに飛び込む。

 見上げた天井がとっても高い!

 今まで住んでいたマンションがおままごとに思えてくるぐらい、こんなに広いおうちにも部屋にも感動だった。

 小高い丘の上に立つこの家は庭だって広いし、目の前は見渡す限り田んぼばかりだ。視界を遮るものなんてほとんどない。


「すごい! 田舎って素敵かも!」


 思わず笑みを浮かべたその時――、


 視線を感じた。


 ドキッとして、ベッドの上に起き上がる。

 ……誰?

 今、誰かに見られていたような気がした。

 胸がドクドクと波打つのがわかる。

 まさか。

 古いおうちと言えば、アレが出ないとも限らない。

 よく見れば天井の木目も人間の顔みたいに思えてくる。

 もしかしてアレが……こっちを見てたの?

 

 カタッ。


「ひぁっ」


 物音に飛び上がるほどびっくり!

 振り向くけど誰もいない。

 何もない。

 今のは何の音だったんだろう?

 ゾクゾクっと背中に寒気が走る。


「お父さん。お父さーん!」


 周囲を見渡しても誰もいるはずなんてないんだけど、なんだか気味が悪くなって、お父さんの姿を探した。


「おや、どうした。何かあったのかい?」

「何にもないけど、変な音がして……」

「音?」

「うん。なんだか誰かいるみたいな気が……」


 お父さんは怪訝な顔をしたけど、すぐに満面の笑みに変わった。


「そうか。古いおうちだから、もしかしたらぼくたちの他にも誰かいるのかもしれないね」

「やめてよー」


 ぞぉーっと背筋に冷たいものが走り、泣きたくなる。

 お父さんは昔からそうだ。オバケに限らず、UFOとか神様とか、色んな不思議な物が大好き。


「だって不思議なものって、面白いだろう?」


 なんて平気な顔で言うんだから信じられない!

 そもそも誰かって、誰よ?


「そうだね……例えば、座敷わらしとか」

「きゃあっ」


 わたしは悲鳴をあげてお父さんに飛びついた。

 座敷わらしって言ったら妖怪だ。わたしの大嫌いなオバケだ。


「はっはっはっ」


 そんなわたしを見て、お父さんはおかしそうに笑った。


「大丈夫だよ。例え座敷わらしだったとしても、悪いことなんてしないからね。むしろ幸せをもたらしてくれるっていうんだよ。この奥遠野の村には、昔からそういう不思議な伝承が多いんだ。運が良ければ美国も会えるかもしれないね」

「運が良ければって……そんなの嫌ぁ! 絶対会いたくない!」


 わたしは涙目で叫んだ。


「大丈夫。ちゃんと村の人にも確かめたんだから。少なくともこの家には、美国が怖がるような悪いオバケはいないよ」


 お父さんはにこにこ満足顔。

 何を隠そううちのお父さん、実は童話作家。小さな子供向けの絵本を書いている。

 この奥遠野村に引っ越してきた目的もそこにある。なんでも子どもたちに夢を膨らませるような話を書くためには、今まで暮らして来たような町の中では限界なんだって。

 もっと不思議や夢が溢れているような、山奥の村で暮らしたいって。

 そうして選ばれたのが、この奥遠野村ってわけ。

 娘の立場で言うのも変な感じだけど、お父さんの絵本はなかなかの人気だ。

 特に「みーちゃん」という小さな女の子が色々な冒険をするシリーズはどのページを開いても明るい色がいっぱい使われていて、優しく可愛い絵で、見ているだけでなんだかほっこり胸が温まるように感じる。

 「みーちゃん」のモデルがわたしっていうのは内緒だけどね。

 新しいお話が届けられるのを楽しみにしている子も沢山いるらしい。

 だからわたしもお父さんの仕事の為に田舎に引っ越すのは仕方ないと思ってる。

 お父さんが今までよりも良い作品を書くためにはそうしなきゃいけないっていうんだから、子供のわたしは従うしかないんだ。

 何よりわたしもお父さんの絵本のファンだから、素敵なお話が出来上がるのが誰よりも楽しみ。

 でも、それとオバケは別だ。

 なんていったって、わたしは昔からオバケとか妖怪なんていうものが苦手だから。

 苦手っていうか大嫌い! テレビでもそういう番組が始まればすぐにチャンネルを変えるか消すかしちゃう! それでも夜はほんのちょっと見ただけの怖そうなシーンが頭に残って、眠れなくなっちゃうぐらい。

 だから絶対オバケなんかには会いたくないって、思っていたんだ。

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