セミ、風鈴、まつり花火。
次の日の午後、約束通り中の村駅まで迎えに行った。
彼女はピンクの不織布マスクをして、貸した傘と小さな鞄と紙包みだけを手に立っていた。
今日もやはり都会の子っぽい服装だった。
お腹が出るほど丈の短いカットソーにへそが隠れるほどハイウエストのデニムのショートパンツである。
昨日も思ったが、まつりさんの腹筋は目がひきつけられるものがある。
よく男性が胸の大きな女の人の胸元を凝視するけれど、その気持がわかりそうなレベルだ。
彼女の腹筋は、まるでプロボクサーかなにかのようにきれいにくっきりと割れて浮き上がっているのだ。
率直に言って、うらやましい。
私の服装もこの辺の人間というより、東京で言えば二子玉川あたりからやってきたようなバッキバキにキメた夏物と巻いた髪とゴールドのアクセサリーで固めている。マスクも黒の立体不織布だ。
二人まとめて、東京からの観光客風である。ただし、乗ってる車だけは地元ナンバー。
「ファミレスでお茶じゃないんですね」
彼女は挨拶代わりにわざとそんなことを言ってきた。
「ええ、スピリチュアルな数珠も喪服と一緒に実家に置いてきたから」
こちらもそう言い返して少し笑い、それから彼女は助手席に乗り込んでくれた。
「すずしー、生き返るー」
車の空調のノズルを自分に当てながら、まつりさんは安堵したように顔を緩めた。
「昨日はごめんね。一緒に乗せて送ってあげれればよかったんだけど、法事の荷物で後ろの席一杯で」
「いえいえ、バッテリーと傘だけで十分ありがたかったです。それより、耳、左右で違うのつけてるんですね」
まつりさんは助手席のシートベルトをとめながら、そんなことをふいに訪ねてきた。
そういわれて、私ははたと耳に触れた。右耳は大きなフープピアス、左耳は丸い粒がついている。
それに触れて、ああと狼狽した。
母に借りた真珠のイアリングだ。法事でつけて、それをこちらだけ付け替え忘れて来たのだ。
「またやらかした。こう見えてそそっかしいの。さっき、法事が終わってね。急いで着替えて来たから。せっかく髪まで巻いたのに」
そう言いながら、両耳の飾りを外し、ドアポケットに差したハンドバッグの中に仕舞った。
「私も、たまに寝ぼけてて左右で違う靴下履いて、おしゃれと勘違いされて恥かくときあります」
私はこれになんとなく愛想笑いした。
「うらやましい。そういうの、私みたいな老けて見えるタイプだとイタいと思われるから」
車を発車させる。
「とりあえず、光明寺から行く?」
「あ、はい」
光明寺は、祖母の菩提寺とは逆の方向にある。先祖代々の墓も同じ寺の敷地内だ。
昨今の情勢もあって、法事そのものはいわゆる会食の席を除いた、略式の形で行われた。
だが、親族一同はそのまま祖父と私の両親が一緒に住まっている実家に集まって、昼食は正月か御盆かというような親族の宴会になった。
私はそこから一人早々に撤退して、母から車の鍵を借りて家を出たのだ。
「……本音を言うとね、まつりさんには感謝してるんだ」
「なんでですか?」
「法事の後の、親戚の集まりから抜け出す口実ができたから」
「仲、悪いんですか?」
「ううん、親戚同士は仲良し。多分この後も、夕方まで誰も帰らないで本家で酒盛りしてると思う。その仲が良すぎるのが、私にゃ辛いんだわ」
「それはどういう意味で」
「愚痴になるけど、本気で聞く?」
「笑って済む範囲なら」
「わかった、手加減するね……私ね、いま独身で彼氏もいないの。つまり、結婚もしてないければ婚約者もいない状態。東京と違って、この辺は、よっぽどモテない感じでもない限り、女なんて25までに相手みつけて結婚して子供作って、ってのが普通だから」
そこまで言うと、まつりさんは納得したようにああと相槌を打ってくれた。
だから私はそこまででやめた。
正月のときも思ったが、近頃、親戚一同が揃う場所に顔を出すのが少しつらい。
特に一昨年から、3年付き合った彼氏と分かれてから、ぐっとつらくなった。
なぜって?
年上の従兄弟は男女を問わず皆結婚しているし、はとこ夫婦にいたっては故人の祖母から見たらひ孫が3人も居る。
まあ、具体的に辛いのは、今年の法事は一つ下の従兄弟が婚約者同伴で来たというのも大きい。
孫同士従兄弟同士で顔を合わせ、話をするのはもちろん楽しい。甥っ子姪っ子に「とわちゃん、とわちゃん」と懐かれるともう極上の幸せがある。
けれど、叔父叔母両親から、「そろそろ登環ちゃんもいい人いないの?」などと言われると、ひきつった笑顔以上のリアクションは取れなくなる。
結婚を急かされるのは、つらい。ただでさえ昨今の情勢上、出会いの場自体が無いのだ。
「私も、彼氏はいません。まだしばらく、作る気もないですし」
「今大学生でしょ? 下手に社会人になると出会いの場減るよ? 私も一昨年まで付き合ってた彼とは大学で出会ったし……結婚すると思ってたんだけどね、その人と」
「それはそれは……まあ、私の場合、作る気がないというより、作ってる暇がないんですよね」
「ああ、それはわかる。私も大学通いながら奨学金の返済のためのバイトしてた、デートなんか休講や学校が休みの時期に映画見に行ったくらいだし」
「……マッチングアプリとかは、使わないんですか?」
「うん、登録してみたことはあるんだけどね……けど職場で同期の子に怖い話聞いちゃって、それっきり」
「どんな話ですか?」
「『マッチングアプリで知り合って、1年半交際した相手が実は既婚者で、向こうははじめから不倫目的だった』って話。ちなみにその人は今、相手の奥さんから慰謝料で訴えられてる」
「うっわ」
「そんなの聞いたら身構えちゃうでしょ? そんなに疑心暗鬼になりながら相手を探すの、なんか疲れるなと思って」
「ああ、ですよね」
「それに、最近思うんだ。別に友達と仕事さえ安定させることができれば、一生一人でもそれはそれでいいんじゃね? って」
「……わかります。私も、周りの大人の人達みんなそんな感じで生きてますし」
「いいなあ、楽しそう」
「ええ、楽しいですよ。たまにしんどかったり、心配になることもありますけど」
「そういう風に思ってると、ちっちゃい頃から知ってる親戚のおばちゃんとかから『いい人いないの?』なんてにこにこした顔で聞かれると、もうどういう返事したらいいかわからなくなるのね」
「……そういう意味では、私は恵まれてるかな」
「いないの?」
「いないというか、理解があるというか」
「うらやましい。その腹筋くらい羨ましい」
「なんで急に腹筋なんですか」
そう言ってまつりさんは笑った。
光明寺は高い杉林に囲まれている。直射日光は差さず、ほどよく涼しく感じる。
セミはうるさいが動画で撮らなければなんということはない。
まつりさんの携帯電話を預かり、アングルを変えながら苔の森で何枚か撮影した。
一枚取るごとに次々にポーズや表情を変える。撮っている方もその瞬間瞬間を切り取るようで楽しい。
「まつりさん、もしかして結構撮られなれてる?」
「え? ええ……まあ」
まつりさんは少し言い淀んだ。
「なに、読モとか?」
「いやー、そこまですごい感じのものではないんですけど、仕事でチェキとか、スタジオで撮影とかはちょくちょくあるんで」
「なにそれ、アイドル? 練習生とか? ごめんね、おばさんそういうの詳しくないから」
「んー、近いようなー遠いようなー」
「まあ、言いたくなければ聞かないけど」
「えー、ここまで話したらむしろ聞いてくださいよ」
「じゃあ聞きましょう」
「その前に車戻りません? 汗かいてきちゃった」
「そうだね。その格好だと日焼けも激しそうだし」
「一応日焼け止めは塗ってきたんですけどね」
二人で車に戻りながら、次の行き先を考えて、ふと思い出した。
「そうだ、クリームソーダとかき氷、どっちが好き?」
「んー、クリームソーダかな。なんかいいお店あるんですか?」
「いいお店というか、中学の同級生がガラス工房とカフェやってて、今の時期はガラスの器でかき氷出してる」
「えー、行きたいです! いきましょう!」
そうして、次の宛は決まった。
……涼やかな風鈴の音は、東京ではなかなか聞かなくなった。
集合住宅などではほかの住人からうるさいとクレームがついたりするためだ。
その音の涼が、その店にはあった。
いわゆる古民家を改修したカフェである。店の間仕切りを兼ねた棚にはずらっと、様々な吹きガラスの器が飾られている。
「ふー、生き返るー」
「マジであと5分いたら化粧溶けてたー」
「わかりますー」
私の同級生の案内で、一通りガラス工房を見学した後に入ったカフェは、ガラスを溶かす炉の熱で目が痛くなるようだった熱さから一転して、エアコンがよく効いていた。
席につくと、私はコーヒーと宇治金時を、まつりさんは望み通りクリームソーダを前にしていた。
この店のクリームソーダは緑ではない、ブルーハワイ系の青の色をしている。クリームもアイスクリームではなくソフトクリームである。
それが独特の縦長のグラスに盛り付けられている。
またスマホを預かり、それを食べようとしているところを撮影して、返す。
「あ、コーヒーが写り込んじゃった。加工しないと」
「なに、におわせ対策?」
「ですねー」
「で、まつりさんは大学生とは別に、一体何をやってるの?」
「えー、どうしようかなあ」
思わせぶりの調子に、これにずるーっとテーブルの上に伸びるようにこけて見せる。
「さっきは聞けって言って今度はじらすの?」
「アイドルでも読モでもないっていうとなに? インフルエンサー的なこと?」
まつりさんは首を横に振り、すこし恥ずかしそうに言った。
「……ロレスです」
……一瞬、聞き取りきれなかった気がした。
「え、もう一度」
「プロレスです。プロレスラーでーす」
これをきいてぎょっと目を剥いた。
この瞬間、私の脳裏に浮かんだのはフェイスペイントを施した恰幅のいいパイプ椅子を掲げて暴れまわる往年の女子プロレスラーだった。
「マジで?」
イメージとあまりに違いすぎる。
いや、私の女子プロレスについての情報が古すぎるというのもある。
というか、そもそもプロレスラー自体、子供の頃見たテレビのバラエティ番組の体罰系罰ゲームの人のイメージか、上半身が裸でオイルでもかぶったような汗をかいた男の人のイメージしかない。
まつりさんは恥ずかしそうに顔を覆った。
「やっぱりいまの聞かなかったことにしてください。忘れてください」
「いやいや無理無理、わすれらんない。言葉のインパクト大きすぎ……そんなになんていうか、強そうじゃないって言ったら失礼だけど、いやたしかにお腹とか細い割にしっかり鍛えてるなーとかは思ったけど」
深呼吸して、おしぼりで顔を拭った。
「ごめんなさい、ちょっととりみだしました」
「はい……けど、大学生やりながらプロレスラーやってるのは、本当です。鍛えてるのも、その関係です」
「ですよね、というか、そうですか……」
「あ、引いちゃいました?」
「引いたというか、意外すぎて。女子プロレスラーっていうと、もっとこう大柄でむちっとしてるイメージっていうか」
「そういう選手もいます。けど、私はそういう感じの戦い方じゃないので」
「戦い方によって、体格ってちがうの?」
「はい、全然違います。体の大きい選手は、筋力とか脂肪とかたくさんつけて、ぶつかられても殴られても蹴られても弾き返して投げ飛ばす、ってタイプになれますけど、私みたいに背が低いタイプはできるだけ早く動いて、止まらず動き続けて相手に捕まらないように試合をするので、結果的に細め軽めになる人が多いです」
「そうなんだ」
「ちなみに、いくつから?」
「高校卒業と同時にデビューして、まだ2年目です」
「強いの?」
「いやー、私なんかまだまだ、年末に初めてシングルで勝利取れた感じですし」
「そうなの……」
「ポートレートやチェキは、物販で売るために結構よく撮るんですよ」
「なるほど、それで撮られ慣れてると」
「はい」
「ちなみに、得意技とかあるの?」
「ええ、まつり花火って呼んでるんですけど、スワンダイブ式のボディアタックを」
「スワンダイブ式って?」
「あ、プロレスのリングって、四角いリングに鉄のワイヤーをゴムで包んだ太いロープが三段張ってあるんですけど、その上段、トップロープっていうんですけど、そこからえいって飛んで、お腹からえいってぶつかる感じの」
「それでその腹筋!」
思わず声を高くすると、まつりちゃんは恥ずかしそうに頬に両手を当てた。
「きゃー、言われる気はしてました」
「ああ、ごめん……」
話はそのままプロレスとはなにか、という話題に傾いた。
そして最終的に
「そんなにいろいろ聞くなら見に来たほうが早いですよ」
といわれ、流れで東京に帰ったら、彼女の試合を見に行くことになった。
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