明日には狼狩りに行きます。

いいもち夢気分

第1話 敗けちまったよ!ベイビー!!

 地平線まである平原の真ん中で、羽を広げれば10メートルはあろうかというワタリガラスが、レンガの家も軽々と破壊できそうなくらい巨大な狼と戦っていた。カラスが爪で狼の眼を掻ききろうとするも狼は軽々と脇へ飛びのき、その脚で今度はカラスへ飛び掛かった。カラスはかわそうと羽ばたきかけて、翼を開いたまま停止した。狼の牙はカラスの翼にがっちりと食い込んだ。カラスの悲鳴が平原中の草を震わした。


 どさりとカラスは倒れ伏した。狼は噛み千切った翼をペッと草原の上に吐き捨てて、空に向けて遠吠えをした。空には雲一つなかった。遮るものが何もない平原では自身の遠吠えさえ返ってくることはなかった。まだ起き上がれないでいるカラスに闘志あふれる目で睨まれていた。その後ろで、大きなゴーグルをした小さな女が身をかがめていた。

 狼は牙を見せ2,3度息を吐き、くるりと向きを変えて元来た方角へ走り去った。


 倒れたままの大きなワタリガラスの背中から、羽毛を押し分けるようにして青年が出てきて、右腕を抑えて草に顔をうずめた。苦痛で声にならない呻きが食いしばった歯の隙間から漏れ出た。


 中身のなくなったワタリガラスの着ぐるみとちぎれた翼はみるみるうちに縮み、卓上サイズになった。


 青年はよろよろと立ち上がり、

「あいつ!牙ぶち抜いて中身引きずりだしてやる!ヨモギ、早くベイビーを治してくれ。あいつの後を追うんだ」とゴーグルの女に怒鳴った。

「そんなの無理。過ぎたことは忘れて、厄介なことは避けて」

ヨモギはゴーグルを外して、翼が落ちているあたりの草をかき分けた。


 ダン吾は右腕を動かさないように気を付けてワタリガラスのキグルミ、”ベイビー”を抱き上げ、テントの脇に置かれたベンチに座った。無くなった翼の先を親指で撫でた。敗けちまった!あいつ、キグルミか?少なくとも普通の獣じゃなかった。政府の奴らが新型を開発したのかもしれない。ベイビー!!痛い思いをさせてすまなかった。敵は必ず討つ。

 ヨモギが草の中から翼の先を見つけ出し、それを手にダン吾の隣に腰かけた。


「腕は痛まない?」

「平気だよ」

ダン吾はヨモギの手のひらの上にある翼を横目に確認した。

「さっき、私をかばってくれたんでしょ?」

「さあね」

「じゃなきゃ、ダン吾があんなふうに一方的にやられるなんておかしいもん。感謝してる。ありがとう」

ヨモギは手のひらで翼を包み込み、ダン吾の右腕にそっと触れた。ダン吾はそれをはねのけた。

「お前があんなところでぼーっとしてるのもおかしかったな。いつもいつの間にか安全地帯まで、一人で逃げてるだろ」

「ごめんなさい」

「謝るなよ」


 ベイビーの折れてしまった右翼を撫でると、右腕もずきずきと痛んだ。噛みつかれる寸前、狼の上の牙と下の牙には涎の糸が引いていた。ダン吾は歯の裏側を舌でなぞった。次にベイビーの足の爪を一本ずつ研ぐように触った。


「ヨモギ、謝罪も感謝もいらない。とにかく早くベイビーを治してくれ。このままじゃ、いたたまれない」


 ヨモギはため息をついて、掌を開き、翼の先をワタリガラスのキグルミの上に置いた。


「仕事だから直すけど、復讐なんてやめてね」

「ああ、わかってるよ」


 ベイビーの足の爪は鋭くとがっていた。


 テントの中でヨモギは道具の入ったウェストポーチを付けて、2本の棒を持って出てきた。ダン吾は目をつむり膝の上にベイビーを乗せて姿勢を正して座っていた。ヨモギは再び大きなゴーグルを装着した。

 ダン吾の体の真ん中に魂の光が灯っている。いつもとおなじ色、いつもとおなじ暖かさ、いつもとおなじ脈を打っているが、右側が不自然にぎざぎざしている。


「ダン吾、魂を開放して。でも、右側に気を付けて。慎重に」

「ああ」


 ダン吾の魂から放たれる光がゆっくりとふくれていき、ダン吾自身の体を包み込んだ。ダン吾のベイビーも呼応して大きくなっていた。

「ちょっと。着装はしないでよ?」

ダン吾の額には汗がにじんでいた。右側のぎざぎざになったところの負担が、想像以上に大きいらしかった。

「急ぐね」

と言いながらヨモギはカラスの折れた翼を元の場所にあてがった。それからダン吾の魂に棒を一本添え、もう一本を口にくわえて直さなくてはいけない翼の接合部に当てた。ダン吾の魂の拍動に合わせて光背も揺らめく。さっきの狼には、光背がなかった。それに、目を凝らしても狼のキグルミ装者の魂を見ることができなかった。ゴーグルの調子が悪かったのかな。でも、ダン吾の魂は見えているわけだし……。ウェストポーチから毛糸を取り出し、棒の後ろに開いた穴に通し、5針ほど縫って仮止めした。それにしても、なんて鋭い牙だったんだろう。切り口がきれいすぎて、特別な処理がほとんどいらないほどだ。ヨモギはダン吾の魂の状態を逐一横目に見ながら、切断された内部機構を修繕し、抜け落ちた羽やこぼれた分の詰め物を補充していった。次第にカラスの翼は元通りにくっつき、ダン吾の魂の右側もギザギザが消えていった。


 ヨモギはゴーグルを外した。

「はい、できた。おつかれさま」

前髪が汗でびっちょり濡れていた。


ダン吾も汗でびしょびしょになっていた。立ち上がると草の葉に汗の滴がぱたたと落ちた。

「ああ、助かった。早速、あの犬っころのケツを蹴り飛ばしに行こう」

ヨモギがうなだれ気味にため息をついた。

「だめ。まだ完全にくっついたってわけじゃないから。しばらくは着装を控えて。それに、報復なんてしないでって言ったよ」

「報復なんかじゃない。リベンジマッチだ」

ダン吾はそう言って左右の拳を二三度突き合わせた。


 ヨモギは道具の後片付けをしながら、

「リベンジマッチなら、そんなに急ぐ必要ないでしょ。食料ももう少ないし、予定通り川を辿って街を目指すよ。ほら、テント畳むの手伝って」

ダン吾は上下の歯をぎしぎしこすり合わせながら、ぎこちなくペグを引き抜いた。


 片付けがあらかた済むと、ヨモギはサイドカーに荷物を積み込みだした。ダン吾はその間にバイクのゼンマイを巻いていた。

「よし、これだけ巻けば1か月は走り回れるだろ」

「全部巻いて24時間が限界。バイク巻く度にこの話するの、やめない?」

「なら今日はもうやめとこう。ほら、行こうぜ」

そう威勢よく言ってダン吾はバイクの側面から30センチ大の巻き鍵を取り外してサイドカーに投げ入れ、バイクの後ろに座った。ヨモギが鉄板入りのフードを被り、ゴーグルをつけてバイクにまたがった。ダン吾はその肩につかまる。

「ねえ、ダン吾、サイドカー嫌い早く治してくれない?」

ダン吾は返事をする代わりに舌を出した。


 アクセルを回すとゼンマイが動き出し、ローアンドロングの車体が軽やかな音を立てて走り出した。車輪が草を踏み、轍を残していった。先にも後にも草原が広がっていた。川が一本流れていた。ここ数日二人が釣りをした川だ。釣果はいずれの日も0だった。魚影すら見えない。そのおかげで、二人の最近の食事は乾燥させた塩鮭と塩漬けの木の実と醤油漬けの干し肉だった。それももうあと1日分あるかないかだ。


 しばらく行くと川が本流から一本細いのが別れていた。ダン吾はそれを数100メートル前に見つけるや否や

「おい!あっちの川を辿ろう!狼はあっちだ」

「だめって言ってるでしょ!」

「いいだろ!川の先には人がいるって決まってる!どっちに進んでも一緒だろ!それに、狼が逃げたってことは、あいつの暮らす人里があるはずだろ!それもそれほど遠くない!」

バイクの風を切る音に負けないようにダン吾は声を張っていた。ヨモギは返事をしなかった。


 どんどん川の分岐点が近づいてきていた。ヨモギはさっきの狼のことを考えていた。あんな風な魂のキグルミは初めてだった。どういうことだろう。支流の先に目を凝らすと、ぼんやりと魂が集まった場所が見えて、それはたぶん村だった。ヨモギはハンドルを切った。

「いい?報復もリベンジマッチもしないこと!約束して!」

ダン吾は上機嫌な声で

「ああ!わかってるよ!」

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